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2013年8月30日金曜日

地球の歩き方とLonely Planet

世界を旅するために使うメジャーなガイドブックは「地球の歩き方」と「Lonely Planet」。
それぞれ一長一短があり、性質が異なる。

地球の歩き方は日本の出版社が出しているので日本語で見ることができ、しかも日本人に人気のあるスポットがふんだんにカラー写真と共に掲載されている。映像があるため見ているだけでも風景が見られ楽しくなる。
一方Lonely Planetは、イギリス人夫妻が貧乏旅行した日記に起源をもつので、貧乏旅行者向けの情報がベースにある。観光地とは程遠い小さな町も紹介されていたり、ヒッチハイクの情報や同性愛者のためのスポットも紹介されており、写真のスペースを入れるくらいなら少しでも情報を!映像は行って見ろ!と言わんばかりのテキスト攻めである。
両者の特徴は勿論それを利用する国々の国民性の違いを表しているようにも見える。
南アフリカの地方都市(いわゆる観光地ではない)で生活していた時、出会うのはいつも欧米の旅行者だった。日本人は見たことがない。欧米のバックパッカーはホント何にもないようなところにでもフラフラと現れる。数ある観光スポットでよくここを選んだね!みたいな。
おそらく彼らは素晴らしい景色や荘厳な歴史ある建造物を見るだけでは物足りなくて、ついふらっと歴史や文化を「今」生み出しているような名もなきところを訪れているのだろうと思う。
それから欧米はヒッピーへの憧れや懐古もあるのかもしれない。あの独特の原点、野生回帰への憧れというか、なんというか。。。
一方、日本人は結構メジャーな町や観光地でなら見ることができる。
勿論日本人でも辺境を旅する人もいるが欧米のバックパッカーに比べ少ない気がする。

それともう一つ。
地球の歩き方が写真をふんだんに利用する一方、Lonely Planetには殆ど写真がない。これは一般書にも顕著に表れている違いである。英語で書かれた本はイラストが少ない。一方、日本の本はイラストや写真が多い。絵を使って感覚的に伝えようという姿勢が見える。しかし、英語で書かれた本って日本の小説のように文字だらけ。科学の分野の本もそうだ。日本の本はグラフやフローチャートを用いてそれだけでかなりの情報を伝えようとする。それで慣れてしまった私は英語のテキストで埋め尽くされた本に眩暈がする。ただでさえ外国語なのに。

どちらがいいか。不得手なテキストの多いLonely Planetを選んだ。
というのもPDF版が出ていたから。ただでさえ重くなる荷物に何冊もガイドブックは持っていけない。それと何より、たくさんの小さな町の情報が掲載されているところに惚れた。


地球の歩き方:http://www.diamond.co.jp/arukikata/
PDF版は販売されていない。

Lonely Planet:http://shop.lonelyplanet.com/destination-guides
ここでe-book版も買える。お金を払えばいろいろなデバイスに5回までダウンロードできる。

2013年8月26日月曜日

重さ

飛行機の最安チケットをシンガポール航空で予約購入したものの、よくよく調べて預け荷物の重量制限を見てみるとたったの20kg!OMG!
前回アフリカ行ったときは南アフリカ航空、帰りはキャセイパシフィック(帰国便超過申請した)で重量制限が30kgだった。そのことが頭にあったため、「まぁ30kgくらいだろ」と思っていた。
ところがどっこい、20kg。なんと早とちりしたことか。
キャリアと空のバッグを積んだ自転車の重さが18kgあるというのに。。。
機内持ち込み荷物も7kgしかダメ。
超過料金も60USドル/kg!

これはダメだと、他の航空会社を調べたら、なんと南アフリカ航空は。。。

23kg×2piece = maximum 46kg   +  自転車 !!

なんだそうだ。えーっ!?そんなに!?と訝って電話で聞いてみると「私ども会社ではそのようになっています」と。
こんなに会社間に差があると、疑ってしまい何度も確認してしまった。
しかもチケット料金は5000円くらいしか変わらない。
万歳、南アフリカ航空。
早速、予約を取消し、南アフリカ航空に乗り換え。

なんか航空会社のシステムってブラックボックスだよなぁ、と思う。
結構カウンターによっても対応が異なるし、「おまけ」度合いも違う。
おそらく、価値観やシステムの異なる人々がお客となる国際線では、「これっ!」というルールを作るのが難しく、その場を穏やかにまとめるべく、それは窓口係の裁量に任されているのだろう。

2013年8月21日水曜日

自転車修理2

苦瓜のグリーンカーテンに強い日差しが透過し、実家の縁側は鮮やかだ。
背中が大きいぜ、マダム

グリーンの壁に重そうなナマコ形の苦瓜が黒々と点在し、風に揺れている。

そのグリーンカーテンで作られた日影がうちのウサギ達の住処だ。
日中は野放しで、日影のコンクリートに腹這いになり茹だるような夏を何とかしのいでいる。

写真のウサギ(タマ)は昨年二羽の子供を産んでいる。
その二羽は巣立っていった。
私は見ることができなかったがコーヒーカップに入ったり、相当かわいかったらしい。
さすがに二羽の仔を育てただけあって、野良猫にちょっかい出したりとなかなか肝が据わっている。
そしてもう一羽(ココア)は学生時代から共に生活してきた、相棒である。
もともと捨てられたか、脱走して動物園に保護されていたウサギをいただいた。
正確な年齢はわからないが、だいたい8歳くらい。もうおばあちゃんだ。
不在だった2年の歳月でずいぶんお尻が重くなった。
ぽてぽてした感じがまたいいのだが。

この二羽の性格が違っていて面白い。
彼らの日陰をおじゃまして自転車の修理をしていると「何してんの?」と言うように近寄ってくる。
これがタマ。
そんなのお構いなしに寝そべって自分の時間を優雅に流しているのがココア。
野良猫に対しても敢えて自分から飛び込んでちょっかいを出すのがタマ。
逆にちょっかい出されて、「鬱陶しいわねぇ」と白を切るのがココア。

ホットとクールな関係。


2羽仲良くぐで~んとコンクリートで涼んでいる姿を見るとこっちまで幸せになれる。
また一年後に元気な姿が見られればいいが。。。一年はウサギからしたら長い。


2013年8月15日木曜日

妙なこと

先日親父が妙なことをノタマッタ。

「平均余命からするとあと20年もないのか・・・」

気付いたら私は親父の推定余命よりも長く生きていた。
自分が生きてきた時間を振り返り、それをもう一度再生させたら親父がいなくなる。
とても寂しく不思議な感じがした。

私もずいぶん長く生きてきた。
世界には日本人のように長い人生を思い描くことが到底できないところも多い。
日本も昔はそうだった。

現代の日本はとても寿命が延びた。
自分に問いただす。
ただ伸びただけではないのか?
一生懸命生きようと思った。


2013年8月6日火曜日

検査結果

先日の血液検査と今日のエコー検査を合わせた診断結果が出た。
異常なし。
よしっ!

ただね、協力隊前の検査で見つかった血中尿酸値が高いのはいまだに変わらず。
「これ、いつ痛風発作でてもおかしくないよ」
と言われた。
別に酒もそんなに飲まないし、動物性タンパクよりも豆腐の方が大好きだから、食生活が原因ではないと思うのだが、
以降ますます食に対しては意識して体を労わってあげないといけないな、と思う。


(メモ)
痛風とは血中の尿酸値が高いと血中で尿酸が晶出し(特にアシドーシスだと晶出しやすい)、そのいわゆるゴミを排除しようと白血球ファミリーの好中球くんが食べるんだが、そのトゲトゲした尿酸結晶を抱え込んだまま死んでしまい、血管周辺部に炎症を引き起こしたり神経細胞を刺激し、激痛を引き起こすそうだ。
また、尿酸の結晶はかなり比重が高いようで、重力によって下へ下へ落ち淀む傾向があるそうだ。だから痛風は足の関節部に生じやすい。
だったら時には逆立ちして足に溜まったものを体に万遍なくめぐらせてやれば、少しは発症の可能性を下げることができるのかなぁ。
それからダンダンダン、と激しく足踏みして結晶を粉々に。。。ダメだろうか。
結晶って聞くと綺麗なイメージがあるが、怖い結晶もあるもんだな。

イエローカード

とうとうイエローカードを手に入れた。
黄熱病の予防接種を終了した証拠である。
これがないと入国させてくれない国があるので必須だ。
帰国してすぐに電話するも7月中はもう予約いっぱいで駄目だから、7月に予約して8月に来てくれと言われていた。
黄熱病予防接種は日本では結構人気の痛い系アクティビティなかもしれない。
南アフリカにいるときに打っていればもっと簡単に安くできたのに、本当に要領が悪い。

ついでにマラリア予防薬、メファキン(メフロキン)を手に入れた。
ものすごく高くて6錠で9000円。
むむ、一錠1500円。。。
飲むときに手が震えそうな金額だ。
6錠では予定滞在期間3ヶ月分をカバーすることはできないが、6錠だけ買った。

看護士さんに二箱(12錠三か月分)買う、と言ったら親切にも「この薬高いよ、いいの?」と脅されて、
「え?いくらですか?」「9000円よ」「え!?本当ですか?じゃぁ一箱だけください、残りは現地で手に入れます。」
と値段とリスクを勘案して、つい中途半端にも一箱だけ買ったのだ。
頭の中にはだれかマラリア感染地帯に行った人からもらえるんじゃないか、という何とも緩い考えがあったのも事実である。
看護士さんも私の身なりと旅行という言葉を聞いていたので、貧乏旅行なんだわと心配してくれたのに違いない。
年配の女性だったのだがとても優しい目をしており、今までにもこうやって旅する人にアドバイスをしてきたに違いない。

色々とマラリアについて説明してくれた、おじいさん先生はもっとすごかった。
彼が持っている命に対する考え方に触れ、私の中の何かに共鳴するような気がした。
「もしマラリアの予防薬を飲んで辛かったら(結構副作用が強いので)、無理して飲まずにきっぱり諦めなさい。
そしたらできるだけ蚊に刺されないようにして、それでも罹ってしまったらしょうがない。何とかして治療に励みなさい」
とさらりと言った。
メフロキンの副作用は鬱など精神的にネガティブになったり、頭痛、吐き気、平衡感覚以上などがあるそうだ。
人によってはマラリアになるか、精神的に塞ぎ込むか、という選択になる。
薬と合わなければ苦しいだけで旅を楽しむことができなくなる。多少はリスクがあっても君は旅を楽しみたいだろう?
それをおじいさん先生もわかっていたのだと思う。
彼の前ではすべて見透かされて、それがわたしにとぷんと何か心地よいものに浸かった気にさせてくれた。

包容力。



命は大事。子供のころから学校で「命以上に大事なものはない」ということを何度も叩き込まれてきた。
これは戦後から始まり、私たちの世代への教育で特に強調された特徴だろう。
でも命は大事、大事と大切にしすぎて桐箱にしまっていては光るものも光らない。
出していろいろなものに触れ合わせることで、より輝いてくるものだと思う。
大事なのはリスクと対価を見る事。
命は守るものではなく、より磨いていくものだと思う。
人間も生き物なのだから生きていきたい、と自分の命を大事にするのは疑う余地がない。
そういう自然な流れを、命を大事にしすぎることで殻に籠り、日々人を恐れたり、環境に怯えたりする中で、忘れてきてしまっているような気がする。自分の生命を解放できたらどんなに楽だろうか。

自分の命よりも大事なものができたときに人は本当の幸せを掴むのだと私は思う。