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Africa!

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2014年10月2日木曜日

1002 地平に落ちる杏

カリマの街は毎日風が吹いていた。細かい砂混じりの風。少し遅めの出発だが今日は特別風が強いせいか、さほど暑くない。
カリマで出会った人たちに別れを告げて。

子供がたくさん来ていたが、お金払っていなかったっような。。。

ちょっとぼさっとしているけど自転車修理に毎日精を出していた自転車屋のおやじハサブー、言葉は通じないがいつもウェルカムで迎えてくれたモハメッドの叔父、毎日料理の値段が変わっていた食堂のおやじ、そして何かと紅茶を勧めてくれた携帯屋のおやじ。どれもみんなおやじだがこぞって気さくな人達だった。日本からアフリカを見に旅しにやってきた。たったそれだけ、本当にそれだけで「おぉ、そうかそうか、日本はいい国だよ、ホントに、ワッハッハ」ともてなしてくれた。そうやって私は彼らの生活の一部を垣間見ることができ、本当に来てよかったと思うのだ。
最後に1杯砂糖で甘い搾りたてのオレンジジュースをゴクッと、昼飯にタミヤのサンドイッチを持って、再び砂漠に向けて出発。暑い中登ったジェベル・バルカルの雄壮な岩肌が遠ざかっていく。街の外れのスタジアムの背中は果てしない白っぽいベージュの砂漠へと続いている。


北風に押し戻される。なかなか進まない。まるで坂を登っているようだ。それにしてもカリマ以降、道路を走る車の数がぐんと減った。そして今までの砂漠には人の生活感や、動物たちの息づきが感じられたがこの道沿いにはそれが全く感じられない。ここまで孤立すると少し不安になる。加えて水の補給地点を見込んで次の街ドンゴーラに行けるだけの水は持っていない。地図には一箇所water tankという表記があるが期待できるのだろうか。

50kmくらいのところに白黒の水タンク発見!しかし寂れて人の気配なし。と思って近づいたら一人の男がドアも窓も取り外されて、極めて開放的な小屋でAK銃を解体して掃除していた。上半身裸である。警備員らしいが、一体なにを警備しているんだろうか?辺りには他にも建物があったからおそらくそれを。水を貰えないか、と尋ねるとバケツに半分ほど汲まれた水を全部くれた。水タンクは機能していないようだったが、一体この男はどこから水を得ているのだろう。そもそも車もないが彼はここに住んでいるのだろうか。詮索すれば次々と謎が出てきそうだったのでやめにした。
そして水を貰って日陰で休んでいると、彼の銃掃除が終わったようで彼は寝た。むむぅ、謎の多き男よのぅ。

まだ十分とは言い難いが、うまくすればドンゴーラまでもつだけの水が手に入って安心して走るが、風は止むどころかますます強くなって顔面を容赦なく叩く。目が痛い。時速6,7km。
止むこと知らぬ  砂漠の風よ  何処より来る 旅の途中でただ刹那  出会った君は  何時まで生きる
風が小さな砂丘の峰の端を撫で砂を攫ってゆく。その金の砂が青黒いアスファルトを蛇のごとく左右にうねりながら横断する。
いつの間にやら日が落ちそうだ。ヌビア砂漠の空はパステルカラーで優しい。夕方はいくつもの穏やかな色が空を踊る。太陽の周りの空はとっぷりとマンゴージュースの色。次第に陽の色が濃くなり干した杏の様。ハルツームでもっと買っておけばよかった、干し杏。
今日も杏が地平に落ちるのを見ることができた。地面を潜ってまた明日会おう。夜は上弦の月と遊ぶから。

月が明るい。半月だというのに、月の光だけで調理ができる。夜半だというのに未だ風やまず。しかしヌビアの砂漠は虫が鳴かぬ。風の音のみ。今日は気温も低く寝やすかろ。

2014年9月18日木曜日

0918 アカシアに囲まれて

ほとんど毎日宿を取っていたエチオピアから一転、スーダンでは星空の下が宿となった。まだ雨期なのでスーダンといえども雨が降る。
スーダンは2011年にハルツームを首都とするイスラム教の人々を主体にするスーダン共和国と、ジュバを首都とする伝統宗教並びにキリスト教を信仰する人々の国南スーダン共和国に分かれた。宗教だけではなく、気候も両者で全然違う。ウガンダに接する南スーダンは熱帯気候で雨期になると湿地のような大地になり、緑も豊富だ。一方北のスーダンはハルツーム以南を除いて、ほぼ砂漠気候である。植物もナイル川沿いに群がって生えるのみで、ナイルから離れたら最後、殆どの生き物は生きていかれない。

現在走っているのはハルツームよりも南の比較的緑豊かなところ。道の両側に広がる大地がトウモロコシやモロコシ(ソルガム)、ゴマや豆(スーダン料理の豆シチューに使われるソラマメ)の緑で果てなく覆われている。

ロバに乗った親子が道のわきを通り、緑のモロコシ畑に消えていった。鍬を肩に担いで、どこかで水を汲むための黄色いポリタンクを持っている。こんな広大な畑を機械を使わずに手で耕したのだろうか?今の時期には全く耕作機器は見られなかった。

仕事を終えたおじさんが、ロバにまたがり両足でポン、ポン、ポンとロバの歩調に合わせてリズムを取っている。その背中は「今日もよく働いたな」と言っているようだった。ちゃっかりロバのごはんの草も積んで満足そうに走っていた。


ガソリンスタンドがあればそこで夜を過ごそうと思っていたが、見つからない。もう少し行けばあるかな?いや、もう少し。もう少し。あとちょっと。この坂の向こうに。。。あるのかどうかもわからぬ、ガソリンスタンドに期待をするのに疲れてきたとき、身を隠すにはちょうどいいアカシアの森が両手に現れた。エチオピアの国境を越えてから時折、ふわっと香ってくるアカシアの香り。疲れた体にこれは嬉しいご褒美だ。



甘く優しい匂いに誘われて、入っていけそうな場所を探すが、昨日の雨で林床は水浸し。そんな様子を見ていると、時々見える水のない場所も、大丈夫かな、と思ってしまう。殆どあってないような傾斜を登っていくと、少しずつ水が消えていった。そして完全に水がなくなり林に入りやすそうな場所を見つけると、寝床確保開始。村に続く泥の緩い道を少し入って、そこから道なきアカシアの森へ入っていく。道はないが、雨が地面を均して平らで、下草も全く生えていないアカシアの純林だ。こんな場所に泊まれるなんてなんて幸せ者なんだ。この香り、この湿度、鳥のさえずり!最高。

アカシアの棘に時々シャツを引っ張られながらもいい場所を見つけた。道路からも少し離れ、静かな空間を見つけた。四方はアカシアの木々で囲まれ、トゲトゲの枝が新しい緑を纏って空の一部を覆っている。地面は柔らかく、大雨が降ったら沼になるような場所だったが、他の条件の良さに負けた。雨が降ったら移動しよう。


早速テントを張り、荷物をまとめて、全裸になった。全裸になるさ。こんな場所だもの。それに体を洗うんだもの。ただし、次いつ水が手に入るかわからないので使う水はボトル一本750ml。
1本750mlなり
旅を始めた当初はバケツ一杯の水でも少し足りないなぁ、と思うこともあったが、段々その量は減っていった。その過程で二度の革命があった。初めの革命は髪の毛を短くしたこと。そして最大の革命は石鹸を使わなくても気にしなくなったことだろう。体を洗う時の水のほとんどは石鹸を落とすために使われていたのだ。わが社は石鹸をあきらめることで750mlという省エネを達成しました、って広告を出したいくらいだ。まぁ「水浴びをしない」という選択肢が一番省エネではあるのだが、汗をかいたベトベトな体をすっきりさせたいというのは基本的人権で守られるべきであって、わが社もそこまで省エネを推奨するのはいかがなものかと考えています。アカシアの香りがいいからシャンプーなんていらんぜ。スッキリした。寒かったエチオピアはこの「水浴び」が不快で仕方がなかったが、暖かなスーダンでは楽しみになった。何より大自然の中、素っ裸で伸び伸びと水浴びできるのがいい。

陽が沈んだらアカシアの香りがどこかしっとりして、昼間の明るい感じはなくなった。さらに湿った土の香りが僅かに加わる。樹梢に滲む藍の空。
さて、暗くなる前に夕飯を済ませねば。こんな空間でゆるりと飯を食える幸せ。
そしておやすみ。

2時ごろに雨が降った。ここにいてはいけない、沼に沈んでしまう、と夢の中でもがきながらも結局睡魔にささやかれて、この程度では沼にはならないだろう、頼むからもう止んでくれ、と夢とうつつの間を降りしきる雨の音の中、眠りの深みに落ちていった。
そうして迎えた朝は清々しい青空を抱いたアカシアの明るい緑が輝いていた。

2014年9月17日水曜日

0917 警の宿

警官たちが雑談している中、私を案内したうちの一人がおもむろに少し離れたベンチに腰を掛けた。手近にあった一つのポット(取って付きのジョウロのようなもの)を手にして体を清め始めた。
ポットから左手に水を取って、そのわずかな水で手を揉みながら洗う。
再びポットを傾けて水を手に取り、顔を洗い、口を漱ぐ。
顔は念入りに、鼻の中まで水を吸って吹き出しながら洗う。
少し下って腕にも水をかけて清めていく。
文字も読めないくらいの暗がりの中、遠い光を濡れた褐色の肌が照り返し、異様に煌めく。
何度もポットを傾けながら水を手に取り、もう一度上に戻って頭をなで、そして耳を清める。
そして最後に一番下の足を脛の辺りまでこすりながら清めていく。

祈りが始まるのだ。一日五回する祈りのうちで最後から二番目の祈りマグリブだ。
そういえばどこか遠くの方から「たけや~さおだけ~」を思わせるアザーンが聞こえてくる。

体を清めた彼は手近に置いてあったマットを敷き、お祈りを始めた。
両手を腹の辺りに組んで足を肩幅に開いた楽な姿勢で気持ちを沈ませているようだ。
そのうちマットに跪いて、両手を顔の横辺りに持って行き手のひらを向こうでに向ける。
そのまま前方に腰のあたりから落ちていき、地面に額と手を着くことを数度繰り返している。
何かブツブツ言いながら。
再び立って同じことを何度か繰り返していた。

彼につられるように、次々と数人が同じように祈りを始めた。
一方で半分以上は歓談を続けたりテレビを見たり、祈りをしないものも多くいた。

さて、私がここにいるのは、今日の宿を警察に願い出たからである。
ジンバブエやナミビア、ボツワナではしばしば警察にテントを張らせてもらっていたが、
以降宿が出てきたり、安全にテントを張る場所が見つかりやすかったために警察から足が遠のいていた。
今日遅くに町に着き、宿を聞いたがなく、道行く人にどこか泊まれそうな場所はないか、と尋ねると、警察に行けばいいよ、と言われてその彼らに連れてこられたのがここ警察署である。

田舎では警察といえども英語は使われていないので、道端で出会った彼らが警察と交渉までしてくれたのである。
警察官たちはこの珍客に沸いたが、アラビア語が通じないことを知って、少し距離を取っていた。
警察官は泊まるのは構わないが、空いた部屋があるからそこに泊まるといい、
と部屋を勧めてくれたが鍵を持った人がいないとかで待たされていたのだ。
そして結局鍵を持った人が二時間くらいしてもやってこず、テントを使わせてもらった。

翌日目覚めると、昨日あれだけ距離を取っていた警官たちが、片言の英語で声を掛けてくれて、
明るい気持ちで走り出すことができるだろう。

そして昨日開かずの扉だった部屋が開いた。そこは警察署長さんの部屋だった。
え、、、署長さんの部屋に入れてくれようとしていたのか!?

署長さんがやってきて、私を招き入れてくれ、一緒に紅茶を飲みながら朝の歓談。
署長になるにはやはり高学歴が要求されるようで、英語で大学教育を受けている(修士課程)彼は英語を流暢に話していた。
今までの旅で好きな国を聞かれたり、スーダンはどうだ?とか日本のこともいろいろ聞かれた。

話している間、何人もが署長に朝の報告がてら挨拶に来ていたが、皆楽しそうに話している姿を見て彼の人柄が垣間見られた。
そして私はまた良き出会いをしてその場を離れることになった。


2014年9月16日火曜日

0916 国境を越える

最後のインジェラ、トマトをベルベレで炒めて卵でとじたものと一緒に朝飯にした。今朝のおばちゃんの服は濃紺に絞り染めを施した清々しいワンピースだった。ふと夏の朝の涼しい時間に咲く朝顔を思い出した。
太陽が高度を徐々に上げ今日も蒸し暑くなりそうだ。たおやかな丘をいくつか越えると国境が見えてきた。今回の国境は少々面倒だ。スーダンでは外国人は滞在登録証を取らねばならない。いくつか大きな街で取ることができるようだが、申請費が二倍かかる。陸路で入る場合は国境で安く取れるという、珍しくオーバーランダーが得するシステムだ。 それから写真撮影の許可申請も必要と古いガイドブックには書いてあったので、これも確認する必要があった。そしてエチオピアブルからスーダンポンドへ換金。もうスーダンディナールは使われていないみたいね。
国境の町メテマMetemaに入って余った小銭でジュースを一本。店の前のベンチで飲んでいると、換金マンがどこからか臭いを嗅ぎつけてやってきた。レートを聞くと事前にネットで調べていたものよりも少し良いくらいだったので、交渉成立。なんだか少し得した気分。鼻歌交じりで国境に行くと、正規トラベルエージェンシーと自称する、「あ、命」と言って体文字を作るかの芸人(名前を忘れた)に体も勢いもよく似た男性現れ、「換金は?レートはいくら?それはやられたね。レートは普通40だよ」と私のレートの1.3倍のレートを言う。え、そんなにすぐに変動するのか、とよくよく聞いたらエチオピアはブラックマーケットがかなりあり、レートがブラックマーケットの方が遙かにいいということだった。確かにケニアとの国境でも、エチオピア側のレートが異様に良くて胡散臭いなぁ、と感じていた。 「命」さんが戻って払い戻してもらってきな、と言う。え、アフリカでそんなことが可能なのか!?と驚いていると「正規トラベルエージェントとして、ズルは許せない、換金した場所に行くぞ」とついてきてくれた。なんか胡散臭い親切。50、50なので距離を保つ。彼は町往くバジャジを乗り継いで私の自転車の後を追う。もちろん換金した場所に換金マンの姿は既になく。当たり前だ。それでも彼は探すぞ、と人脈を使って動く。彼の狙いが何なのか、少し興味が湧いてきた。直感的に悪い人ではなさそう。何てったって「命」を芸の糧にしているんだ。携帯電話で話していた「命」さんが「見つけたぞ」と言って、来た道を一緒に戻る。「自転車に一緒に乗った方が速い」とトライする。荷物を積んだ後ろに乗せてフラフラ進もうとすると「あ、ちょちょちょ、やっぱ無理!」と意外に臆病。やっぱり悪い人じゃなさそう。こういう臆病者に悪人はいない、はず。 「ちょっといいこと教えるから、まぁそこに座りな」とブナベットに入る。太陽が燦々と射す正午、ブナベットは木の影に隠れて涼しい。昨日の雨に濡れてか足元は少しぬかるんでいる所もあったが、それでも木漏れ日がチラチラ踊って気持ちが良い。 「ブラックマーケットでドルを替えても得だぞ」 答えが出た。彼はドルが欲しいようだ。そしてベンチに腰掛けた私の隣にはもう一人黄色い服の男が加わっていた。彼は言う。「ハルツームで替えると5.6だが俺だったら6.5でいいよ」 本当かい?と思う。いい話には裏がある。あるのだが彼らはブラックマーケット。ただドルが喉から手が出るほど欲しいだけ。恐らく両者のベネフィットが釣り合うから、安全だ。替えても大丈夫。交渉成立。「200ドルなら6.5、100ドルなら6.3」 まだこの先何があるか分からないので100ドルだけ換金することにした。
「命」さんと再び国境に戻ってきた。その間に「滞在登録は国境で取っておけ」とか「国境越えたら20kmと40㎞先に町がある」など有益な情報を教えてくれた。おそらく彼はもちろん自分の利益のことも考えて行動していたが、純粋にエージェントとして旅行者を助けたかったのだと思う。しかし長旅で警戒心に身を固め、擦れてしまった私は、イミグレまで案内してくれようとする彼を制して「後は自分でできるから」と言って、別れた。もちろん失礼の無いように最善を尽くしたが何というか、自分に40%くらい警戒心が残っていたのが嫌。かと言って警戒心がなければどこぞの獣に喰われるのもまた事実。バランス。イミグレを指差す彼に出来る限りの謝意を示して別れた。彼は「俺はシャワーを浴びに行ってくる」と言い残して。
相変わらずイミグレわかりにくいよ。もう少し頑張れ、ランドボーダー。敷地の外ではノマドっぽい格好のおじさんたちが座談している。木陰に人が集うのは暑い場所に来た印。イミグレの建物の隣には待合室みたいなのが簡易的に設置されており、一人のおじさんがムンクの叫びの如く両手で頭を抱え眠っている。ムンクのそれと違うのは、オジサンが叫んでいるのではなく、それどころか幸せそうに、極めて安寧に眠っているのだ。午睡。他に人は無し。建物の中、昼休みのためか事務の女性が一人。忙しく何かを勘定している。室内は古いクーラーがかろうじて動いて冷やされていた。何も問題なく出国。
スーダン入国。イミグレ同じくわかりにくい。殺風景の部屋。アラビア文字を見てまた新たな異国へやってきたことを感じる。入国審査無事終了。滞在登録できるか聞くと少し渋り気味。面倒なのか、ハルツームでやりなさい、と促される。「ここでやってしまいたい」と粘ると別男性が「332Sポンドかかるよ」と顔を近づけて言う。「承知」と言って手続きに入る。無事終了。スーダンのビザ取りの時もだが、申請書に何故か母親の名前を書かせる欄がある。立て籠もり犯に母親使って交渉する作戦と心理的には同じやつだったりして。母の名のもとにおいて、嘘書いちゃダメよ、って。
スーダン側はエチオピア側よりもこじんまりした町で、100m程で町が終わった。人々の服装もよりイスラムらしく白いシンプルなものになった。 スーダンに入ったらすぐに砂漠を走るのかなぁ、と漠然と考えていたが緑の大地、どこまでも続いている。今夜は雨も少し降った。 小さなガソリンスタンド風の場所で今日はテント泊。店番のお兄ちゃんが「石がゴロゴロして痛いでしょう」とマットレスを貸してくれた。夜は涼しいがどことなく温かな気持ちで眠れそうだ。但し隣のエンジン音が非常にうるさいけどね。無私無心、南無妙法蓮華

2014年9月15日月曜日

0915 最後の晩餐

勝手な思い込みとエチオピア人のアドバイスにより、アイケルAykelからスーダンまではもう下るだけかと思ったら、そんなことはない。まだまだ丘が待ち受けていた。
昨日は食ったものが悪かったようで、夕方から朝までずっと体調悪くて起きたり眠ったりを繰り返してベッドに潜っていた。久々にナンキンムシ・フリーで心地よかったのも、ある。朝早くに目が覚めると気分は良くなり、熱も引いて出発。朝の空気が透明で清々しかった。
谷が深く切れ込んだところを下る、下る。蛇行しながら下る。タイヤのリムを替えてからブレーキがガクガク言うので(エチオピアで買ったいわゆる安物なので繋ぎ目が膨らんでいるため)あまり過激に下りたくないのだが、恐らくこれが最後。自転車に無理言って下った。
あぁ子供達の催促がなければなんと美しい場所なんだろう。黄色い菊が、丘に生した緑を処々に塗り替えて愈々明るい。立体的な大地のそこかしこに黒や茶、白、またはそれらの斑模様の牛たちが、のどかに草を食んでいる。しかし気をつけよ!おクソガキ様は常にこののどかな牛一行の近辺にいることを!のどかだなぁなんて眺めていると、牛の群れの陰からファランジの匂いを嗅ぎつけておクソガキ様が跳びだす。面白いのは農耕タイプよりこの牧童タイプのおクソガキ様の方がスティッキー(粘着質と書くとあまりに負のイメージが強いので)でアグレッシブだということだ。この牧童タイプおクソガキ様、常に棒やムチを持っている。ムチの場合、威嚇のためか、楽しそうに得意げに地面を打ち、パンッとピストルみたいな音を鳴らす。正直、不快だ。それから彼らのトレードマークは半ズボンに裸足、またはいい具合に大地にカモフラージュするほど汚れた長靴だ。そこに寒い地域ではシーツほどに大きい布を纏っている。更に頭には茶色い王冠。今まで上り坂で私を付け回し、マネー攻撃を仕掛け、石を投げてきた奴はこの王冠を被っているものが多かった。だから今ではこの王冠を見ると体が臨戦態勢に入る。この王冠、先日までずっと何か牧童の位を示すものかと思っていたらなんのことは無い、ただ雨が降った時に被るポンチョであった。うまい具合に畳んで、持つのが面倒だから頭に頂いているだけである。雨が降ってる時にこいつらどこからポンチョ出してくるのかなぁと思っていたら、王冠、それであった。雨が降るとそれをすっぽり被り、じっとしている、と思いきやファランジ見るなり「マネー」だから本当にたくましい。
山岳地域は牧童タイプが多いので要注意だ。しかし下りはオジサン強いよ。マネーと叫んだ時には20mくらい先に行っている。君らのマネーがドップラー効果で大人びて聞こえるくらいだ。
随分下って大地が切れた岩山から緩やかな丘に変わった。空気も温く湿っぽい。腹の調子がまだ悪いせいか昼飯食ったあとはどうも気持ち悪くて、何度も吐きそうで涙を目にためていた。どこへでも吐いていいという安心感のみが私を支えてくれていた気がする。そんな最悪のコンディションに子供達のマネー!緩やかな上り下り。更に背後から迫る雷と雨雲。逃げているのに、オエ(追え)ッてのも滑稽な画ではないか。
西の空のみが明るい。そこへ向かってひたすら走る。すでに空気は温くじっとりして、さながら日本の夏だ。日本の皆様はこの蒸し暑さを乗り切って今頃は秋の長夜に虫の音か。秋刀魚が旨そうだのぅ。そう思うとペダルを踏む脚に力が戻った。道の両側を埋めるアカシアの灌木が道路にせり出して風に揺れ、ランナーを応援してくれている。空は常時飛行機のエンジン音の如き雷鳴が響いて私を急かす。
しばし休憩。考えてみたらエチオピアでは道端で休憩を殆どしなかった。何故か。一人になれる空間がなかったからだ。お、ここは人がいないぞ、一服するかな。と腰を据えるとどこぞで臭いを嗅ぎ取ったかおクソガキ様がやって来てマネー攻撃を仕掛ける。ゆっくり休む事が出来ないのだ。だから休憩は町はずれのブナベット(喫茶店)ですることが殆どだった。
それがここへ来て人口密度が減り、一人になれる空間が手に入ったことで可能になったのだ。雷様はまだ少し遠い。気温も高いので濡れるなら濡れてもいいか、という気持ちになってアスファルトに寝転んだ。日光で温められて温かい。鈍色の空に入道雲が立っている。おい、お前は青空に立つべきじゃないのか、と小さく批判しながら、風の音、雷鳴、風で揺れる木々のざわめきを聞いていた。
私は台風が来る前の雰囲気が好きだ。次第に風が強くなり、木々を煽ってゆっさゆっさ揺らし、林に刹那、海を作る。梢の動き、出す音が波のようだ。それを見る私は家の窓の内という安全な場所にいるから、雨で濡れ、風に冷やされ、不快な思いになることはない。そういう嵐の中にある安心感が私に小さな幸福をもたらす。
今はその私を守るべき囲いはない。そのため幸福感までは得られなかったが、久しぶりに自然に懐かれて休める事が嬉しかった。
今日の目的の町マガナンMagananに着いたのは五時近かった。結局雨にやられず宿に着いた。
宿を見つけて入ろうとすると快活な女性が声をかけてきた。宿の前の店兼オープン食堂の人らしい。おばちゃんと言うにはまだ早いような、でも雰囲気が頼りがいがあってなんとなくおばちゃんだからここはおばちゃんと書いてしまおう。早速宿の方へ案内して宿の受付でテキパキとテンポ良く部屋を取ってくれ、自分の食堂でのメニューもちゃっかり取っていった。こういう面倒見がよくサバサバした人に悪い人はいない。
早速シャワーを浴びてさっぱりした体で食堂へ行く。西の空だけが晴れていて山吹色の夕空を低い場所に見せていた。西からこちらに伸びる場所は厚い雲に覆われ、すでに納戸色の世界が広がっていた。店先にはブリキの七輪が置かれて炭に赤く火が入っている。その上では薄手のアルミやかんが置かれて、こーひの注文を待っていた。食堂のおばちゃんに挨拶すると、すでに注文してあったインジェラとトマトのサラダが用意されていた。エチオピアに入った日に食べたのもトマトソースとインジェラで、今日最後の夕飯に頼んだ野菜とインジェラがどういった因果かトマトのサラダ。エチオピアはイタリアの影響を受けており、各所にその名残が散見される。トマトとパスタが至る食堂で見られるのもそういう背景があるからだろう。ちなみにエチオピアでバイバイは「チャオ」だ。パスタに関しては他のアフリカと等しく、アル・デンテを無視した小麦粉の土左衛門であるが、ことトマト料理に関してはハズレがない。今日のトマトサラダも美味しくインジェラと合わせて食べることができた。
私が食べている間、おばちゃんは他の客の料理、ティブス(細切れのヤギ肉をニンニクやタマネギ、唐辛子で軽く煮たもの)を作っていた。側溝を挟んで道路に面した店の前に据えられた、ブリキの七輪の上で30分くらいかけて。これが150円。先日40分くらいかけて散髪した時に払ったのはやはり50円。エチオピアの労は安い。そういう労働の上に私はゆっくりじっくり旅ができている。そういうふうに安く働いている人がいることを心に留めて、安価、高価によらず労働そのものが尊いものである事を覚えておきたい。

2014年9月14日日曜日

0914 エチオピアにさようなら

もうすぐエチオピアも過ぎ去ろうとしている。振り返ってみれば一番言葉が通じず難儀したものだが、また一番エネルギッシュで忙しく、何よりも学び多き国であった気がする。相変わらず今日も子供達には「金ー」「バナナ」「ペン」とモノをせがまれ、マグソにたかるハエの如く執拗に追いかけられ、石つぶてや棒切れを投げつけられ、「ファッキュー!」と罵られ、それでも悪びれずに笑顔でファランジをおちょくって。
エチオピアの子供はひとまず脇においておいて、エチオピアの大人には大変温かく迎えてもらった事をまず書きたい。
言葉が通じずとも色んなところで手料理をご馳走してくれ、薄暗いブナベット(喫茶店)から手招きされて、甘ーいコーヒーや紅茶で体を温められ、アムハラだろうとオロモだろうと、とにかく関わろうと声を掛けてきてくれたのが、その星の数ほどの頻度から言えば煩わしくもあったが、ともすれば言語ができないので孤立しがちになる私を彼らの世界に引き留めてくれたことは何よりもありがたかった。またエチオピアは礼儀を重んじる人々でもある。興味深いのはお辞儀だ。エチオピアでは挨拶の時、アジアと同じように頭を下げてお辞儀する。だからすごく挨拶しやすかったし、なんだか親しみを持てた。道に座って何かを待っている人に、いやただ日がな座っていた人も多かったに違いないが、挨拶するとオシリをヒョイっと上げて中腰になって挨拶を返してくれる。田舎で年配の人に挨拶すればこちらが恐縮するくらい丁寧に立ち止まって手を差し伸べて返答してくれる。いかにも砕けた感じの若者も挨拶にははにかみながらも応じてくれる。礼には礼を持って尽くすエチオピアの文化を垣間見た気がする。
しかしだ、どうして子供はあんなに無礼なのだ。エチオピアの人間界にはある境界が存在しているにちがいない。だいたい15,6歳くらいだろうか。人ではない何者かから、人になる境がある。その辺りを境にまるで人格が変わったようにその態度が変わる。いくつかこれに対して仮説を立ててみた。一つは、本当にある境を機に人が変わるメタモルフォシス仮説。二つ目は、年齢が上がると無礼な態度の子供は地下に潜る、または社会的に消える淘汰仮説。そして最後に今の若い世代に蔓延してる一種の風潮のようなもので、世代特異的仮説と名付けよう。
どれも可能性があって短期間の滞在からは判然としないが、とにかく子供たち(絶対的な貧困からは抜け出している)に蔓延している「ファランジ=カネ」、挨拶するよりもカネ、という共通のイメージはいちファランジとしては薄気味悪いし、人として金を求める対象にしか見られていないのは悲しいし、極めて不快。何が彼らをそのようにしているのかいくつもの要因があろうが、今まで彼らと関わりのあったファランジが何でもかんでも無条件で与えすぎたことは一要因として外せないだろう。彼らは貧しいから、人の生きる権利を守る、と言って中途半端な支援をして彼らの人として大事な何かを、尊厳を奪ってしまったのではないか、と感じる。
ともあれどんな事があろうと、アフリカは世界の流れに容赦なしに食われていく(今の様子からはどうしても「組み込まれる」という表現は適切ではない気がする)。中国やインドを始めとするいろんな国々からの投資で翻弄されていくことだろう。その時に目先の金にうつつを抜かしていれば、いずれ大きな痛手を食う。本当に大事なものは何か、金か、それは先進国が間違えた道ではなかったか。彼らを見て自分自身も国へ帰ってからもう一度考えねばならないと思った。
おそらく今日明日でスーダン入りをする。また新たな発見と気付きがあるに違いない。大きな期待を胸に、いざ灼熱の国スーダンへ。寒さに震えたエチオピアから一気に標高を下げて乾燥と暑さの国へ行くのは少々体が心配。クマムシが羨ましい。

2014年9月13日土曜日

0913 テジを訪ねて三千里

エチオピアは蜂蜜生産が盛んで、至るところで蜂蜜が売られているのを見かける。いくつか品質にランクがあり、純度の高い黄金色のものから不純物をたくさん含んで褐色のものまで様々だ。中でもアジスのママの友人宅で戴いた地蜂のものは高級なのだそうだ。確かに花の香りが仄かに香って蜂蜜とは別物のようなものだった。
更にエチオピアではテジと呼ばれる蜂蜜から作られたワインがある。もともと蜂蜜は祝い事の時に供される貴重なものでそれから作られるお酒はきっと天にも登るような貴重なものであったに違いない。そしてその味たるや、あぁ考えただけでもミツバチさんを祝福できる。そのようなお酒があると聞いてエチオピアに入ってからずっと探し求めていた。消極的に。普通のバーでも場所によっては飲めるようだが、砂糖が添加されていたりしてなかなかいいものに出会うのは難しいようだ。ゴンダールにいいテジベット(テジ飲み場)があると知って楽しみにしていた。
一日思う存分遺跡や教会を回った後、日が落ち始めた頃にテジを求めて雑踏へ繰り出した。何とgoogle mapにテジベットの場所が標されている。(スマートフォンのGPS機能は便利だがその分、孤立を促す)
そのポイントに行くが、それらしきものは見当たらない。またしてもよくある古い情報か。辺りを彷徨いて、ふと、空を見上げると、入道雲が黄昏の淡い空に伸びている。ちょうど太陽を背に立っており、雲の縁がじりじりと紙が焼けるように光っている。そして入道雲の突端に富士山などの独立峰ににしばしば掛かるような笠雲が靡いている。なんと、それが真珠のように輝いているのだ。いや、形的には牡蠣の貝の内側といったところか。こんな光景、一度も見た事がなかったのでなんだかありがたい気持ちになって、お辞儀をしていた。その時、私の視界の隅っこに子供がChina!と言って侵入してきた。何も悪びれず、決して物を乞う顔ではなく、まるで格下の人間に命令するように「China money!」と言ってのけるところを見ると中国人を馬鹿にしてるのか、と感じる。中国人はあなた方の財布ではありませんので悪しからず。無礼には無礼を持って、蝿を追い払うように追い払う。こういうくだらない事に忙しいところがエチオピアを旅する醍醐味かもしれない。

ありがたい光を見ることができたのだテジは見つかるに違いない。ヤケクソに一軒の小さな酒場のようなところで「テジはあるか」と聞いてみる。ない、という女主人の答え。めげずに次、と店を出ようとすると、一人のくすんだピンクのトレーナーを着た少年が「テジを飲みたいの?僕知ってるよ」という仕草で付いてきて、と合図する。おぉ、早速来たか!とわくわくして少年と並んで歩く。少し歩いて少年が入ったのは小さな工場のような煤けたブルーの建物。え、ここが!?と後に続くと確かにそこにいるおじさん達の前にはそれらしい色の液体が。おじさんに「テジ?」と聞くと静かに頷いて旨そうに飲んでみせた。テジの隠れ家に連れてきてくれた少年に少しばかりのお礼を渡したら、嬉しそうに受け取って走って去っていった。

さてこの薄暗い倉庫の様な場所がテジベットであった。内装も煤けたブルー一色で、そこに所々窪んだスティールのテーブル二つと、長椅子がそれぞれ二つ、これまたブルーのスティールの棚が傾いて配置されている。壁には聖母子像や後光が射したキリストの絵が安っぽい額に入って掛けられている。広さに対して物が少ない印象だ。二十畳弱ほどの空間に蛍光灯一本で、部屋のブルーも相まって寒々しい空気が充満している。二人のおじさんの間に呼ばれ座っ た。二人の若い女性が切り盛りしているようで、そのうちの一人がメニューを持ってきてくれた。

  • 1st Quality

    1 bottle=100birr, half bottle=50birr, 1/3 bottle=35birr

  • 2nd Quality

    1 bottle=60birr, Half bottle=30birr

とあった。

せっかくなので1st Qualityのハーフを頂く。面白いのはテジを飲むグラスだ。今もあるのかわからないが、昔"いいちこ"のボトルで丸フラスコみたいな面白い形のものがあった。そこに水草やメダカ、小エビを入れて机に飾っていたことがある。まさしくあの形の瓶がテジ専用グラスのようなのだ。その細い首の突端ギリギリまで注がれた濁った黄褐色の液体が私の目の前に置かれた。蜂蜜が寒い時に結晶化した時の色だ。ハーフで300mlくらいあるのだろうか。これで50birr=250円(シロとインジェラで15-20birr)だからやはり少し高級品なのだろう。

待ちに待った出会いに胸をときめかせ、一口含む。「むむっ、ッコンジョ!」と言って、親指を立てると、心配そうに横目で見ていたおっちゃんが氷が溶けたように破顔した。安心したおっちゃん二人は再びアムハラ語で話始め、私はその間で満足げにテジをググっとやっている。テジの味は蜂蜜独特の風味を僅かに残しながら、白ワインの風味とビールのコクと旨みが後に引くような感じである。どうやって作るのかは言葉が分からず聞けなかった。店の裏の所蔵タンクを見せてくれと頼んだが、代わりに彼らの生活空間を見せてくれて終わった。

一人のおっちゃんは一杯やって帰った。もう一人のおっちゃんは大きいボトルを抱えて飲んでいるのでまだまだやるのだろう。おっちゃんがアムハラ語で話しかけてきた。壁にかけてある営業店許可証を指差して、政府がどうの、お金がどうのとポケットを指し示して何か言っている。推測するに許可証は政府のお金儲けみたいなもんなんだ、というような事を言っていたのだろう。正直分からなかったが酔っぱらい同士、なんとなく通じてしまうものである。

その後も「お前は中国人か?」みたいな事を聞いてきたので「ジャパニーズだ、エリトリア人やソマリア人、エチオピア人は似てるけどディファレントでしょ?それと似たようなもんで、うちらも日本人、中国人、韓国人、台湾人が似てるけどディファレントなんだ」と言ったら分かったのか定かではないが妙に納得した顔をしていた。

そしておっちゃんがアムハラ語を愛している風だったので「In Japan, No English, Japanese only, mother, father, brother, sister everybody speaks Japanese only 」と身振り手振りで言ったら、もうおっちゃん嬉しそうに店の女性二人に向かって「ほらな、日本も英語使わないんだって、バンザーイ!」みたいな感じで右拳を上げて盛り上がっている。それで調子に乗った私はこれでもか、と「文字も日本の文字を使う、アムハラの様に」と言うと、またしてもバンザーイ!もうヨッパライ二人でバンザーイ!店の女性は面白そうに微笑んでいる。そんな楽しいテジ呑みとなった。