研修所は京都府と千葉県にあるが、今回私は近いという理由だけで千葉県で受けることにした。
外房線で茂原まで行くと、バックパックを背負った30~45歳くらいの男女がちらほら見られた。もしや、と思ってバス停に行くと、すでにそこには20人ほどの、いわゆる一般人とは微妙に何か違う空気を纏った人々が集まっていた。みな講習参加者なのだろうか、と聞いてみようと思ったが、あまりにみなの空気が静かに熱を持っており聞く気がそがれてしまった。
研修中はしゃべってはいけない
これは研修を受講するにあたり、守らねばならない決まりだ。しかしあれ、もう始まっているのかな?まさか。
そこから小湊鉄道バスで町を抜け、畑や田んぼに囲まれた公民館に向かう。バスの中で一般人が次々と降りていくが、この怪しげな何か微妙に違う人たちはずっと降りずに、しかもずっと沈黙を保って乗っていた。公民館で降りるも、やはりみな沈黙を守っている。私が我慢できずに、隣にいた女性に「みな参加者でしょうかね?」と尋ねると「おそらくね」という温めの空気のような言葉が凍てつく空気に放り出された。公民館の周りは低い山で囲われており、16時の時点ですでに辺りは蒼い影に包まれていた。
その女性の隣にはブロンズの髪で寒さで林檎のように頬を赤くしている若いドイツ人女性がおり、私の集中力はそちらに向いていた。静かにしているのに頬を中心に顔のあちこちに、楽しい!というエネルギーが満ちていた。あぁ、なんて可愛らしいんだ。ダボダボのタイズボンをはいている姿からおそらくバックパッカーだ。
他にも二人の男性外国人も混じっていた。
講習は日本語と英語で行われるために、日本に駐在していたり、旅の途中で日本に寄った外国人も受けられるようになっている。これは世界各国にあるどの研修所でも同じで、その国の言葉および英語で受けることができるようになっている。だから旅先で出会った日本人にもネパールの研修所で受けてきたよ、と言う話を聞いていた。
公民館からの道は研修所からマイクロバスが迎えに来て連れていってくれる。二台のワゴンがやって来て、40人近い参加者を二回に分けて研修所に運んで行った。
研修所に着くと、すでに前に到着していた30人ほどと合わせて受付を済ます。参加者は男女半々で70人ほど。年齢は25くらいから70くらいまでと幅広い。
沈黙が課せられる前に近くにいた数人と話したが、仕事をしながら休みを取って参加している人、旅を棲家としている人、転職の切れ目にいる人、など状況はさまざまであった。
初めの日は瞑想ホールに皆が集まって、座布団に座って話を聞き少しだけ瞑想した。薄暗いホールに入ると、少し寒いくらいの温度で保たれ、前には三人の指導者が既に座っていた。初めは白い布を纏って胡坐をかいているその姿と、薄暗いホールの組み合わせに怪しさを感じたが、一日で慣れた。ホールでは一人一枚毛布が配られ、寒いのでそれを纏って瞑想する。そのため、山に頭がトン、と乗っている形になっている。70人がみな包まっているもんだから、壮大なひな段を眺めているようで何だか楽しい。
隣との間隔は30センチほど。自分ひとりであるがごとくに振る舞い、瞑想せよ。とはいうが、これだけ近いとそうもいかない。隣の人の息づかいや、時にはいびきが聞こえてくる。
初めの三日間は、アーナーパーナ(ānāpāna)という“呼吸を感じることだけに集中する”瞑想をする。初めは意識を集める範囲を上唇から鼻の筋の三角形の範囲にとどめることからスタートする。そうしてそこを空気が流れるときにそれを肌で感じることを目指す。集中力を鍛えるのにいい。そうやって鼻三角形を意識していると、ゴーゴリの『鼻』という小説を思い出す。こんなに主人に見つめられて、意識されて、自意識過剰になった鼻があるときに逃げ出してしまうんじゃないか、と心配で心配で集中が切れる。だ、だめだ、ゴーゴリ、出てくんな!
あっ、おい、鼻。逃げるな!
それを一日、二日、三日と少しずつ範囲を狭めていき、最後はチャップリンの髭に収める。鼻腔直下の狭い範囲。ここに意識を集中し続けるのだ。ゴーゴリからチャップリンへ。
「とにかく鼻三角で何かしらの感覚を感じなさい」
初めそういう指示が与えられ、一生懸命鼻三角に集中するが、何が感じられるのかさっぱりわからない。鼻水がでていて冷たいような、それでいて、たまにかゆいような、さらにまた意識を集中すればするほど、処理し残された鼻毛が靡いている気がしてこそばゆいような気がしてくる。そうして二日目になると、単に空気を吸うときに肌が感じる感覚を認識すればいいことに気が付いた。初めからそう説明してもらえていたら簡単だったが、おそらくそうやって模索するプロセスも大事なのかもしれない。
参加人数が多いため、宿舎に全員おさまらず、テント泊が半分くらいいる。テントとはいっても、木組みの台に建てられ、さらにブルーシートのアウター屋根付きだ。ただ、それでもテントは寒い。千葉と言えども山に囲まれており、夜は-5℃になることもあった。そんなでも寝袋を二重にすることができ、湯たんぽが一人二つちゃんと用意されており、それを使って寝ると、もう最高に温かかった。また、洗面所にはカイロも用意されており、お金はないけれども(この団体および講習はすべて寄付によって運営されている)、ちょっとした気配りに温かさを感じた。
朝6時と、11時にある飯の時間。この時間は私の楽しみになっていた。いや、あの飯時の皆の顔は相当ほくほくしていたから、それが私だけではないことは言葉はなくても知っていた。それから17時にもお茶の時間があるが、お茶とポップコーン、林檎だけなのでこの時間は嬉しいんだけど、何となくがっかりもした。これ以降は何も食べることができないので、20時くらいから結構腹が減るのだ。
もちろん動物性の食べ物はない。出汁も魚である鰹節は使わず、昆布だしだけでとっている。ただし、動物性食品として牛乳とバターは唯一許されている。宿坊の精進料理のような純和風を想像していたが、ひよこ豆やレンズマメを用いたインドやネパールで食べられているようなクミンの効いたスープや、ジャガイモと豆のドライカレーなど南アジアの料理が多かった。
さらに炭水化物が多い。おそらく人の好みが違うために炭水化物だけでも、と品を多数用意してくれていたのだろう。玄米、白米、雑炊、お粥、白パン、茶パン、キール(カルダモン味の牛乳粥)、それでおかずにジャガイモカレーときたら、すべて炭水化物だ。それでも毎日一品あるおかずのメニューが変わって飽きることはなかった。そして、朝食は蜜柑かバナナが付く。
外房線で茂原まで行くと、バックパックを背負った30~45歳くらいの男女がちらほら見られた。もしや、と思ってバス停に行くと、すでにそこには20人ほどの、いわゆる一般人とは微妙に何か違う空気を纏った人々が集まっていた。みな講習参加者なのだろうか、と聞いてみようと思ったが、あまりにみなの空気が静かに熱を持っており聞く気がそがれてしまった。
研修中はしゃべってはいけない
これは研修を受講するにあたり、守らねばならない決まりだ。しかしあれ、もう始まっているのかな?まさか。
そこから小湊鉄道バスで町を抜け、畑や田んぼに囲まれた公民館に向かう。バスの中で一般人が次々と降りていくが、この怪しげな何か微妙に違う人たちはずっと降りずに、しかもずっと沈黙を保って乗っていた。公民館で降りるも、やはりみな沈黙を守っている。私が我慢できずに、隣にいた女性に「みな参加者でしょうかね?」と尋ねると「おそらくね」という温めの空気のような言葉が凍てつく空気に放り出された。公民館の周りは低い山で囲われており、16時の時点ですでに辺りは蒼い影に包まれていた。
その女性の隣にはブロンズの髪で寒さで林檎のように頬を赤くしている若いドイツ人女性がおり、私の集中力はそちらに向いていた。静かにしているのに頬を中心に顔のあちこちに、楽しい!というエネルギーが満ちていた。あぁ、なんて可愛らしいんだ。ダボダボのタイズボンをはいている姿からおそらくバックパッカーだ。
他にも二人の男性外国人も混じっていた。
講習は日本語と英語で行われるために、日本に駐在していたり、旅の途中で日本に寄った外国人も受けられるようになっている。これは世界各国にあるどの研修所でも同じで、その国の言葉および英語で受けることができるようになっている。だから旅先で出会った日本人にもネパールの研修所で受けてきたよ、と言う話を聞いていた。
公民館からの道は研修所からマイクロバスが迎えに来て連れていってくれる。二台のワゴンがやって来て、40人近い参加者を二回に分けて研修所に運んで行った。
研修所に着くと、すでに前に到着していた30人ほどと合わせて受付を済ます。参加者は男女半々で70人ほど。年齢は25くらいから70くらいまでと幅広い。
沈黙が課せられる前に近くにいた数人と話したが、仕事をしながら休みを取って参加している人、旅を棲家としている人、転職の切れ目にいる人、など状況はさまざまであった。
初めの日は瞑想ホールに皆が集まって、座布団に座って話を聞き少しだけ瞑想した。薄暗いホールに入ると、少し寒いくらいの温度で保たれ、前には三人の指導者が既に座っていた。初めは白い布を纏って胡坐をかいているその姿と、薄暗いホールの組み合わせに怪しさを感じたが、一日で慣れた。ホールでは一人一枚毛布が配られ、寒いのでそれを纏って瞑想する。そのため、山に頭がトン、と乗っている形になっている。70人がみな包まっているもんだから、壮大なひな段を眺めているようで何だか楽しい。
隣との間隔は30センチほど。自分ひとりであるがごとくに振る舞い、瞑想せよ。とはいうが、これだけ近いとそうもいかない。隣の人の息づかいや、時にはいびきが聞こえてくる。
初めの三日間は、アーナーパーナ(ānāpāna)という“呼吸を感じることだけに集中する”瞑想をする。初めは意識を集める範囲を上唇から鼻の筋の三角形の範囲にとどめることからスタートする。そうしてそこを空気が流れるときにそれを肌で感じることを目指す。集中力を鍛えるのにいい。そうやって鼻三角形を意識していると、ゴーゴリの『鼻』という小説を思い出す。こんなに主人に見つめられて、意識されて、自意識過剰になった鼻があるときに逃げ出してしまうんじゃないか、と心配で心配で集中が切れる。だ、だめだ、ゴーゴリ、出てくんな!
あっ、おい、鼻。逃げるな!
それを一日、二日、三日と少しずつ範囲を狭めていき、最後はチャップリンの髭に収める。鼻腔直下の狭い範囲。ここに意識を集中し続けるのだ。ゴーゴリからチャップリンへ。
私の髭はただついている わけではないのだよ |
「とにかく鼻三角で何かしらの感覚を感じなさい」
初めそういう指示が与えられ、一生懸命鼻三角に集中するが、何が感じられるのかさっぱりわからない。鼻水がでていて冷たいような、それでいて、たまにかゆいような、さらにまた意識を集中すればするほど、処理し残された鼻毛が靡いている気がしてこそばゆいような気がしてくる。そうして二日目になると、単に空気を吸うときに肌が感じる感覚を認識すればいいことに気が付いた。初めからそう説明してもらえていたら簡単だったが、おそらくそうやって模索するプロセスも大事なのかもしれない。
参加人数が多いため、宿舎に全員おさまらず、テント泊が半分くらいいる。テントとはいっても、木組みの台に建てられ、さらにブルーシートのアウター屋根付きだ。ただ、それでもテントは寒い。千葉と言えども山に囲まれており、夜は-5℃になることもあった。そんなでも寝袋を二重にすることができ、湯たんぽが一人二つちゃんと用意されており、それを使って寝ると、もう最高に温かかった。また、洗面所にはカイロも用意されており、お金はないけれども(この団体および講習はすべて寄付によって運営されている)、ちょっとした気配りに温かさを感じた。
朝6時と、11時にある飯の時間。この時間は私の楽しみになっていた。いや、あの飯時の皆の顔は相当ほくほくしていたから、それが私だけではないことは言葉はなくても知っていた。それから17時にもお茶の時間があるが、お茶とポップコーン、林檎だけなのでこの時間は嬉しいんだけど、何となくがっかりもした。これ以降は何も食べることができないので、20時くらいから結構腹が減るのだ。
もちろん動物性の食べ物はない。出汁も魚である鰹節は使わず、昆布だしだけでとっている。ただし、動物性食品として牛乳とバターは唯一許されている。宿坊の精進料理のような純和風を想像していたが、ひよこ豆やレンズマメを用いたインドやネパールで食べられているようなクミンの効いたスープや、ジャガイモと豆のドライカレーなど南アジアの料理が多かった。
さらに炭水化物が多い。おそらく人の好みが違うために炭水化物だけでも、と品を多数用意してくれていたのだろう。玄米、白米、雑炊、お粥、白パン、茶パン、キール(カルダモン味の牛乳粥)、それでおかずにジャガイモカレーときたら、すべて炭水化物だ。それでも毎日一品あるおかずのメニューが変わって飽きることはなかった。そして、朝食は蜜柑かバナナが付く。
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