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2014年11月10日月曜日

1110 観光客と朝の風景

旅ももうすぐ終わりで、気持ち的にもお金的にも余裕があるわけで、そんな中ホテルの張り紙をさらーと眺めていたら西方砂漠へのツアーが一泊二日全て込みで8000円で出ていた。西方砂漠は当初通ろうと思っていたルートだが、当時はシリアからの武装組織が逃げ込んだとかで、すべての観光客は入れなかった。それが今は開通しているようだった。ツアーは性格に合わないと毛嫌いしていたが、普段と違った目線で物事が見えるかもしれないと、行くことに決めた。

出発の朝、ホテル一の無愛想スタッフに連れられて集合場所に行く。でも私は知っている。挨拶してもブスッとしていても、彼がすごく仕事に真面目で、ゲストが喜ぶと彼の無愛想な顔が少しだけ綻ぶのを。スウェットを着て短足胴長小太りのまさしくおっさんな彼の後を着いていく。きっと彼の短足はスウェットのせいに違いないと思われる速さ。電気系小物の露天商店が並ぶ通りを抜けると高速道路が立体的に並行している道路を横切る。絶えず車が走っているので横切るのはタイミング。もうこれには随分慣れた。彼は私を気遣って片手を腰あたりに下げてチューリップの蕾を作る手(エジプトではこのジェスチャーは「待て」を意味する)で車を止めようとするも、朝の通勤で急いでいるらしい車は完全に無視。こうなれば強引に行くしかない。三車線あれば手前からイチ・ニ・サンと車が来る場所を探す。手前の車が通り過ぎてできた空間にすぐ様一歩を出してその後はスイスイスイ。

どうやらモールの中で待ち合わせの様だ。開店前のためか、それともそれがデフォルトなのか分からないが、寂れた感じのモールの地下に向かった。途中でアラビア語で何かアナウンスが入る。そのアラビアの荒波の中に「バフレィヤ」という単語を見つけた。私のバスなり何かがもうすぐ出発なのだということを知る。そもそもこのツアーがどんなものなのかよく知らない。行く場所は大雑把に聞いていたが、何人一緒なのか、どういう場所に泊まるのか、何で行くのか。わからないことが多い。それでも特に気にしなくなっている自分に気がついて、帰国後を憂える。社会復帰できるのだろうか。

私をバスの中まで案内してくれた彼は私の御礼に八重歯を見せて握手で返した。
小さいツアーを想像していたら大きなバスだった。おぉ、東アジア人がいる。このマイルドな顔のおばちゃんは日本か韓国だ。言葉を聞いて韓国の団体様と知る。半分くらいがこの団体様で、数人のヨーロピアン独り男とエジプト人が残りを占めていた。

まもなくして後ろ半分ほどを空席にしたまま、バスは薄暗いモールの地下を抜け、温かみのある朝日に滑り出した。ゆっくりっと、非常ににゆっくりと、人々が働き備える活気の中を進む。整然とロバ車の荷台に積まれたオレンジの山。 ピラミッドを想起させる四角錐のそれは、とても神経質に積まれ朝日に光っていた。失礼ながら、彼らがピラミッドを作った人々の子孫だとうことが信じられないこともあるけれど、こういうのを見ると納得する。ロバはどうしているかって?朝日が当たらない壁の陰に身を潜めて糞を垂れたり、草を食んだり、オレンジも食うのか足元に散らばっている。20頭程が誰かが誰かのケツを目の前にした形で犇めいている。勿論こんな環境だから、あまりオレンジを買いたくなる風景ではない。ピラミッドを建てたはいいが、これじゃ肝心の死者の弔いができないのじゃないかと心配になる。同じく壁が作る日陰には布を纏って荷台の上でまだ眠っている人もいる。布の表面を朝日が走り始めたのでもうすぐ起きるのかもしれない。

サンドイッチ屋のトマトが朝日を受けて三日月を作り、急ぎ足で道行く人々は朝日に優しく背を押されている。パンがいくつも乗った板を二段に重ね、それを器用に頭に載せた兄ちゃんが自転車で颯爽と通り過ぎる。朝はさすがに通りの水タバコは身を潜めているようだった。そんな朝の風景。人々が備え動き出す時間。そんな時間に観光客は期待でバスを満たし出発した。

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