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2014年11月10日月曜日

1110 お見合いツアー

バスに乗ってバハリヤの街に着くと、泊まっているホテルのプラカードを持った見知らぬおじさんがいた。彼に案内されるままについて行くと、一台のランドクルーザーが待機していた。既に二人の東アジア人が乗っている。どうやら彼らがこのツアーのお供らしい。二十代前半の若い女性と五十代の男性。日本だったら間違いなくそれは私に「援交」の二文字を想起させたことだろう。しかし日本からしばらく離れていたおかげか、「援交」様は私の頭に出てくることはなかった。聞いてみると親子だという。このぐらいの歳で娘と父がこんなに仲がいいのも珍しいな、とこれは旅が面白くなりそうな気がした。

車の運転、兼ガイドは「ハマダ」と名乗っており、友だちー!と私を呼ぶ事から、名前も日本人の旅行者受けを狙っているように見えた。しかし後で知るがそれが彼の本名だったのだ。彼はベドウィン出身なので普段耳にするイスラム系エジプト人の名前とは違っていたのだろう。

よくわからないまま一軒の家に連れて行かれた。家から出てきたのは、これまた東アジア人だった。親しみのある丸顔がつややかにコロコロと揺れ、つぶらな瞳が優しく迎えてくれている。「アニョアセヨー」そうして始まった会話からこの女性、そしてお供の親子が「アニョアセヨー」、私もつられて「アニョアセヨー」。どうやら韓国人のようだった。私はそれ以降の会話には入っていけないので、彼らの「東アジア的」な挨拶と会話を眺めていた。言葉は違えど、イントネーションや会話時の身のこなしにどこか懐かしいものを見て取れるのは、やはり我々の文化や素地が近いからなのだろう。それにしてもこの丸顔の女性、なんて嬉しそうに輝いているのだろうか。でも分かるなぁ、外国で暮らしている中に同郷の者を見つけた時の嬉しさ。それに彼女はきっとここでの生活も好きなのに違いない。彼女にピッタリの優しい薄桃色に塗られた家の空気がそう語っている。一通り韓国語での会話が終わると今度は私に「いらっしゃい」と日本語をかけてきた。それに日本語で返してから、「ここにはもう長いんですか」と尋ねると、やはり流暢な日本語が返ってきた。旦那であるハマダにはアラビア語で何かを話していたから英語と合わせて4つも言語を使えることになる。
そうして感心しながら、またなんだか状況が読めぬまま、すっかり家に上がり込んで、気付いたらちゃっかりちゃぶ台で親子と対峙して座っていた。長方形のちゃぶ台にはコロコロと音を立てそうな、実もののドライフラワーが透明の瓶に入って生けてある。部屋には障子を通ってきたような柔らかな日が差し込み、、、なんだ、俺はこの娘さんを下さい、と言いに来たんだっけ?いやこれはお見合いに違いない。と自分のいる世界が勝手に踊りだす。お義父さんといきなり話すのは難しいかな、と思って娘のミニョンに話を切り出す。二人の会話を優しげな目で見ている様子から、きっとこの娘さんを私に任せてくれるに違いないと妄想確信する。いや現実にはお義父さんは英語を話せなかっただけなのだが。
しばらくして仲人であろう丸顔の女性がやってきて、韓国語での話に花が咲いていた。私は可愛らしい生花をコロンコロンと音を鳴らせて遊びながら、彼らの穏やかなる会話を聞いていた。お義父さんは韓国語では人懐っこい様子を見せて楽しそうに話していた。時々娘さんと目を合わせながら同意を求めたように話す様子は、親子の中の良さを表していた。このお義父さんの目から、怒りや憎しみといった感情は一向感じられない。常に慈しきもの愛でたきものを眩しそうに見る眼差しは変わらず、 それが彼の穏やかさを生み出していた。そしてそれは娘を縛りもせず、かと言って放置もせず、ただ心地よく娘を包んでいるようだった。
話終わると昼ごはんが出された。白いご飯に煮干しと昆布の出汁が効いた味噌汁(とはいっても韓国風なのでキムチ鍋のような味)、野菜の入った卵焼き、ひよこ豆の煮物、じゃが芋の炒めもの(ジンバブエの中国人夫妻にご馳走してもらったやつにそっくり!)、キムチ、ルッコラのキムチ?がちゃぶ台を覆った。やー、やっぱり旨いなぁ。お義父さん食うの速いなぁ。噛んでるのか判断が際どい速さだ。そんな横で娘さんは行儀よく穏やかに噛んで食べていた。そのコントラストの妙ときたら、母君も是非お目にかかりたいものだと私に思わしめた。私はというと、ボツワナで抜けた左の銀歯とウガンダで欠けた右の奥歯により、食べる速度がだいぶ遅くなって、しかも前歯側しか使えなので食っている顔もきっと変なものに違いなかった。全く見合いの席で大した醜態を見せてしまった。
一通り食い尽くすと、仲人の女性が「今♢★△♦が出来るからもう少し待ってね」という。そうして出てきたのは鍋に残ったご飯に湯を入れて温めただけの素朴な食べ物だった。うら若きミニョンも知っており韓国では一般的な食べ物らしい。日本のオジヤやお茶漬けに近いものだろう。こうして食べながらにして茶碗や鍋を綺麗にする合理的な食い方に感心した。しかしお義父さん食うの速いなぁ。あなたは永谷園の茶漬けの宣伝に出演決定だ。

飯を食ってしばらく皆で談笑してからハマダの自慢のランドクルーザーで相出発となりました。

黒砂漠。おぉ、これはスーダンのヌビア砂漠で嫌というほど見てきたものではないか。黒砂漠は黒と金色の風合いが漆に蒔かれた金粉のようで美しい。





かつての水の存在を思わせる深い谷が広がる大地に顔を出し、平らな地には富士山のように整った黒き円錐山がポツンポツンと点在する。黒砂漠の大地は黒くて比重の大きい岩と石英質の半透明な岩でできており、それらが風化して細かい礫や砂に変わる。黒い方は風化にも比較的強く、石英質の岩よりも細かな砂にはならない。そして風化して金色になった石英砂は軽いので風であちこち動く。一方、重くて黒い砂礫はその場に留まる。そしていつしか地表面は黒い艶のある砂礫で覆われたようになる。多分これが黒砂漠のストーリーじゃないかな。


白砂漠。夕暮れ時、とろりと重みを増した濃金色の砂が所々捌け、白い石灰岩が顔を出す。砂の金色が濃いせいか、影になった白い部分が青ざめて見える。温かみの中の冷たさ。まるで雪が積もったよう。


春の雪解ける夕暮れを思い出す。かつては水が流れ何処かから石灰質泥がここに集まってきた。それが堆積し、また鋭き水に悠久の中で削られて、基部がえぐれたきのこ岩なるものができた。奇岩平原果て知らず。











夜は黒砂漠に戻ってベドウィン料理を食べる。風を避けるように窪地を見つけて、カラフルな織り物を敷いてから料理の始まりだ。


ちゃぶ台まで出てきた。空はもう真っ黒で、たくさんの星が地球に向かって一斉にホーホーホーゥと信号を送っている。遅くなってしまいそうだったので、私達もなにか手伝おうとするとハマダは曖昧な返事を返すだけ。ゲストにはやらせたくないようだ。


待っている間、お互いの顔を認め合うのに十分な明かりのキャンドルを挟んでミニョンと色んなことを話していた。旅の話、故郷の話、留学の話、家族の話。親父さんも単語は拾えるようで、ニコニコ聞いている。時々ミニョンに訳してもらって質問をしてくる。親父さんは写真撮るのと登山が趣味だという。
よーっ、お義父さん!私と気が合いそうですね!とガッツリ体育会系のノリで行きたいところだが、文化系の私はもじもじと飲み込んでしまった。

-なぜ君の旅にアフリカを選んだのか?
親父さんの質問だ。
これはアフリカの人にはあまりされた事がなかったのであまり深く考えた事がなかった。アジアの人にはやはり不思議に思うところがあるようだ。何故だろう。南アでボランティアをやっていたのもあるけど、なんと言うか時代の流れのようなものを感じたんだと思う。これは旅を終えて整理してから書こうと思う。

澄んだ空気が沈みながら温度を下げてゆく。もうすでにエジプトも秋を迎えている。ハマダが料理を皿に盛り、それらが冷えた空気に蒸気を放ち、たちまち闇へと消えてゆく。鶏の煮込み料理だった。ホクホクと鶏にかぶりつき肉を割く。旨い。体が温まる。みな旨い旨いと食っている。親父さんも「マシッソー、フニャフニャ」と娘に言いながら、相変わらず食うのが早い。

食い意地が最高潮の私は残ったご飯すべてを食べてしまった。ハマダが用意してくれていた焚き火の周りに皆が集まる。





焼き芋だ。本当に秋っぽい。しんみりしてしまう。ハシーシ(水タバコ)も登場。南アで吸ったきりずっと吸っていなかった。ほんのり甘い香りが口を刺激したと思ったらすぐに鼻腔をも甘く撫でていく。タバコと違って私でも全くむせない。刺激もマイルドで心理的には全く変化なし。そういえばウガンダの悪友が「これは吸うと二吸いくらいすると逝ける」と言って変な葉っぱを吸わせてくれたが、私には何も変化が起きなかった。煙系は私には無駄なのかもしれない。それとも常に逝ってしまっているから効果が現れないのか。。。
焚き火を眺めながら緩やかな時間が流れていく。
「芋、美味しいね」
「うん、ハマダさんこれはナイスだね」
「・・・」
父ちゃんは空を見ながら眠ってしまっていた。オテンバ娘に付いてきてヘトヘトなのかもしれない。それでも始終優しくニコニコしているおとっつぁんは、きっと娘に旅に誘われてとても嬉しかったのだろう。
そうして夜は更けていった。

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