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2014年10月18日土曜日

1018 最後の越境

ようやくエジプトビザも手に入れて今日スーダンとお別れ。長らく世話になった宿の兄ちゃんカリットは一度4時半に目覚め、祈ってから再びシーツに全身を包んで宿の入り口の辺りでまどろんでいた。今の時期、朝方は肌寒く、また砂除けのためにスーダンの人はこんな風にシーツを使ってミイラみたいに繭を作って眠るのだ。
「じゃぁ俺もう行くわ」
と彼が眠るベッドのわきを自転車を押しながら別れを告げると、
隠れている顔がシーツからひょっこり出て、
「あぁ、出るんだね、気を付けて」
と見送ってくれた。

太陽はまだ出ていない。東の空がうっすらと白んで、私の行く手が明るい。穏やかな風が腕や脚、頬を撫でていく。まだ誰も吸っていない新鮮な空気を独り占めしている気分だった。
ワディ・ハルファから国境へは二つのルートがある。一つはワディ・ハルファからフェリーに乗ってナサル湖上で越境するのと、一度東に進んで湖を離れて砂漠路を走って越境するのと。後者の場合、越境後にフェリーで湖を渡り、アブシンベル(Abu Simbel)に出る。これが最後の越境で、自転車で越えたかったので後者のルートを取ることにした。
国境事務所が8時に開くという話だったので、国境への道路にはまだ車は走っていなかった。おかげで静かな中走ることができて気持ち良かった。スーダンの砂漠は環境が厳しいのか、生き物がおらず、鳥のさえずりさえも聞こえてこない。

ただ耳をざわつかせる風の音があるのみ。雲一つない青い空にベージュの大地がどこまでも続いている。所々に黒ずんだ岩山や礫の山が強烈な光を吸収して静かに佇んでいる。これらの情景マンネリズムは暑さで弛んだ意識の中に沈滞し、その山の間に時折見える青いナサル湖だけが私を意識の淵へ引き戻してくれた。


国境が開く8時近くになるとバスや自家用車がさらりと私を追い抜いていった。丘を登り切ると遠くに国境事務所が見えた。

まだ腹の調子が完全回復に至っておらず、国境でどれくらい待たされるかわからなかったので、事務所を遠くに見ながら、風に踊る砂の上に出すものを出した。国境に着くと先ほど私を追い抜いていった輩が列をなしていた。大きな運動会で使うようなテントが二つ離れて設置されて、各々大量の人を収容している。どちらに行ったらいいのかわからず、国境に近い方へさり気なく入っていった。皆がじろじろ私に視線を投げてくる。珍しい客だからなのか、ルール違反だからなのか、だれも私に話しかけてくる人がいないのでどちらが本当のところなのかわからない。本当は並ばなければいけないのだろうか?言葉がわからない外国人だからって結構許してもらっていること多いんだろうなぁ、と思う。余ったスーダンポンドでジュースを二つ。本当に旨い。胃に向かって走り落ちる感覚がたまらない。おつりはもらってもしょうがなかったで、たった2ポンドのために「釣りはいらねぇ」っていう恥ずかしさと格闘しながらも断ったら、「シュクラン」と言われて、そして周りが少し盛り上がった。

事務所の整理係のおじさん1が出てきて、自転車を事務所のわきに置いてくるように言われ、従った。そして整理係のおじさん2に中に誘導され、整理係のおじさん3に申請用紙を渡され、これまた不思議にも母親の名前を書かされて無事出国手続きを終えた。最後に整理係のお巡りさん?に荷物チェックを要求され、自転車を「しぶしぶ」持って行き「面倒くさそうな顔をして」バッグを一つ開けると、シールをペタペタと全てのバッグに貼られ終了した。どうやらお巡りさんも面倒になったようだった。それから整理係のおじさん3にエジプト側のゲートに連れていってもらって、、、なんだかとても親切な国境だった。

しかしエジプト側が大変だった。まずゲートでつまずいた。立派なゲートは閉鎖され、隣の小さなゲートも鍵がついて閉められていた。ここ数年で幾つか爆破テロがあったためか、エジプトは敏感になっているのかもしれない。鉄格子越しにこちら側とあちら側で何かを交渉している。私が、「中に入れてくれ」と頼むと、「少し待て」という。手が空いてフラフラしながらおしゃべりしている職員風なのがたくさんいるじゃないか。鉄の門越しに、話し掛けてきた職員風の男が、中国人?と聞くから、いや、日本人だ、と答えると、Welcome, welcomeとふざけたことを言う。何がWelcomeだ、門なんか閉めちゃって。

英語で話していると「おい、こいつ英語だよ」みたいな感じで皆去っていく。そのもの悲しさよ。待てども待てどもゲートが開く気配はない。その間も入れ替わり立ち代わり、鉄格子越しに内と外で言い合っている。やたらとゲート内の職員が多い。そしてケータイいじったり、楽しそうに話している。20分くらい待って車両持ち込みのお金を要求された。料金表には大型トレーラー、トラック、バス、マイクロバス、そして人の絵が描かれている。一番下にラクダの絵が描かれていたのがスーダン、エジプト国境らしい。しかしラクダはあるのに自転車はなかった。ラクダに負けたような気がしたのは思い違いだろう。それでも彼らはちゃっかり自転車料金を勝手に設定して、私からお金を徴収したのでダブルでがっかりした。

お金を渡すと「お釣りがないから5分待て」と。「いいだろう君たちの5分とやらを見てやろう」といった挑戦的な心持で待つこと20分。ようやくお釣りが返ってきて、ゲートも開く気配がしてきた。しかし、ゲートはスパッと開かずに相変わらず、職員は楽しそうにお喋りして人生を謳歌している。「俺もエジプトで君たちのように謳歌したい!」と心の中で叫んだら、ゲートがしぶしぶ少しだけ開いて、入れと促された。そこからも大変だった。荷物のX線検査があって、すべて自転車から外して検査場を通る必要があった。こっちはさんざん待たされた挙句、荷物解きという課題まで与えられてトゲトゲしているが、職員はニコニコして「すごい荷物だな、どこへ行く」などを片言の英語を使って聞いてくる。そうなのだ、別に彼らに悪気はない。彼らは彼らのシステムに沿ってやっているだけで、個人としては珍しい客が来て少しだけ嬉しいに違いないのだ。そう考えると、私のトゲトゲはすぅっと解けて乾燥した空気に消えていった。調子に乗って自転車もX線やる?と聞くとそれはいい、と断られた。

自転車についていたフロントバッグを検査官が検査する。怪しげな黒い錠剤を見つけだした。長野県名物、御嶽百草丸だ。プラシーボに期待して、気持ち的に弱った時にこれを飲んでいたので、すぐ取り出せる場所にしまっていたのだ。「ちょっと待て」と言って彼は中へ消え、すぐに戻ってきた。「これを今ここで飲んでくれないか?」と私を訝るような、またマニュアルだから疑うのを許してくれと言ったニュアンスを持って私に依頼した。私は了解しパクッと気前よくやってやった。いっそのたうち回ってみようとも思ったが、冗談にならないだろうとすぐに我に返った。そして彼に「君も飲んでみる?」と尋ねると、「まさか、よしてくれ」と苦笑いして去っていった。

次に並んだのは入国スタンプがため。荷物検査の時に少し話していたスーダン人家族に再び絡まれ、写真撮影が始まったり、ナツメヤシを頂いたり、何とも緩い入国審査であった。スタンプも無事に手に入れてようやく出発と思いきや、職員に呼び止められて、パスポートを見せい!大事なことかと思ったら、「ただ日本のパスポートを見てみたかっただけ」だった。もうそういうところが憎めない。結局全部で2時間かかった。越境に要した時間最長!ダントツで。

最後の国に入ったという実感はなかった。というのも風景は変わらず砂と岩が織りなす砂漠だったからだ。ただ砂の色が少し赤くなり、空が一段と青さを増したようだった。こうやって自由に走れる有難さを噛みしめながら、「あぁもうすぐこれも終わってしまうんだな」という感慨にふけってみた。相変わらず腹は下り気味で、ここに自分が来た足跡を何度か砂上に残していたのは、決して感慨の極みのためではなかったことをここに宣言しよう。単にお便様の我儘をゲートが止めることができなかっただけだ。こうやって美しい世界に一人ぽつんと生き物として生存していると、こうした本来汚らわしいとされる営みすら、美しいと思えてきてしまうのは砂漠で頭がやられたせいではないと願いたい。

途中で一か所、水環境を管理する施設があり、休ませてもらった。それからお茶と。最終フェリーに間に合うかぎりぎりだったが、国境で時間をロスしたことと、風の戯れによって今日のフェリーはあきらめていた。そう言うこともあって、のんびりしていたら眠くなってきた。ベンチでうとうとしていたら、中にベッドがあるから寝ていきなさい、と言われて少しお世話になった。

国境から40km弱。ナサル湖畔が近づいてきた。不安になるほど青い空が湖面を鈍く青く照らしている。湖畔といえども殆ど緑はない。しかし僅かの緑を求めて虫がやってきて魚がやってきて、ついには鳥がやってきて乾いた空気にさえずりを放つ。





小さな村もあり、灌漑農業を小さく行い、辺りは少し生き物で賑やかになっていた。そんなのどかな風景を写真に収めていたら、後ろから低音を鳴らしてバイクがやってきた。挨拶して通りすぎる。荷物からして彼らも旅人だ。こんなところで仲間に会えると少し嬉しい。知らない人だけど。「フェリー乗り場で会おう」と言って去っていったが、果たしてフェリーはまだ出ているのだろうか?ワディ・ハルファや途中で聞いた話だとフェリーは4時の便で最後だ。今は五時半過ぎ。だから私はとうに諦めていた。情報とは流動できなものである。アフリカで旅をして得たものだ。もしかしたらまだフェリーに間に合うのかもしれない。

太陽が高度を下げ、湖畔の岩山が道路に青い影を投げるようになった。赤砂や黄色い砂と青い影や空のコントラストが美しい中を、ただ自転車のタイヤが地面を蹴る音だけを聞いて走る。湖畔に出てから進行方向が変わっていたので、今は追い風だ。おかげで風の音すら聞こえない。こんなに贅沢な走りがあるだろうか?これだから自転車はやめられない。




いくつもの影を踏み越えて、あと少しでフェリー発着所に着くという頃、先ほどのライダーが戻ってきた。
「フェリーは間に合わなかった。俺らはここらへんでテントを張るが、もしよければ一緒にどうだ?」
私もフェリー発着所で泊まる予定だったので彼らの案に乗った。この選択は正解だった。
できるだけ人目につかない場所へ彼らは進んだ。道路から離れて、砂地を走り、礫地を走り、そうして小高い丘の裏側に出た。バイクは砂にスタックすると自力で出るのが難しいらしい。その点自転車は楽だ。多少きついとは言え、自力で出られなくなることは今までにない。最悪、持ち上げてしまえばいいんだから。

場所が決まると思い思いの場所にそれぞれのテントを立てた。砂漠の中に四つのテントと三つのバイク、一つの自転車が立っている。面白い画だ。

初老のドイツ系ナミビア人のジョン、エジプトの中年コンビ、カリムとオマル。エジプトの二人は一緒に旅をしていたようだが、ジョンとは国境でたまたま出会って一緒に走っていた。そこへあと一年で壮年となる私が加わって、一晩限りの面白チームができたわけだ。一緒に飯を作っているつもりだったけど、なぜかかみ合っていなくて、一人旅の時間の長かったジョンと私だけ先に食ってしまったり、それであとから追加でまたカリムとオマルの夕飯を食べたり。それでもみなそれぞれ持っているものを持ち寄ってフルーツパーティーになったり、、、びっくりしたのがオマルがショットグラスでコーヒーと紅茶を振舞ってくれたことだ。さすがエジプト人、彼らの誇りであるお茶でのもてなしは忘れない。ホスピタリティに乾杯だ。

エジプトの第一夜は涼しく、星の数も多く煌めき素晴らしい夜だった。
アブシンベルの光だろうか?山の裏側がわずかに光を放っていた。

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