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2014年10月6日月曜日

1006 犠牲祭

国道なのに車の通りが少なく、店という店が異様に生気を失って閉まっていたり、見張り番みたいな男がいるだけと思ったら、犠牲祭だった。
私にとってイスラム教の国は初めてだったのでその重要さを知らなかった。
イスラムに限らず、聖書を根本に持つキリスト教やユダヤ教でもこの犠牲祭、何かしら特別なことをしているのだろうが、南アフリカに二年いた時は気が付かなかった(南アは80%くらいクリスチャン)。私が鈍感だったからか。
犠牲祭とは、信仰篤いアブラハムが神にその信仰の篤さを示すため、息子であるイシュマエルを生贄として差し出した。アブラハムが苦しみながらも、イシュマエルに手をかけようとした時、アブラハムの信心深さを認めた神により赦される。それを記念するのが犠牲祭で、スーダンでは一人前の男たちは一頭の動物を屠ると言う。確かに近頃至るところで屠殺が行われ、ご馳走をいただくと肉料理が付いていた。(アブラハムの件のシーンはコーランにも聖書にも登場すると思うが手元にないのでどのように書かれているかは分からない。また祝日となった経緯も不明。出会った人々に聞いた話として記述している)
カリマで出会ったモハメッドが犠牲祭があるからこれから休みを取って田舎へ3週間ほど帰る、と言っていたが、彼の休暇の長さ並に皆本気なのかもしれない。だとしたらこの先まともな物を食えそうにない。
店はやっていなくとも金山は動いていた。砂漠に突如怪しげなテント村が現れた。テント村と言っても、テントは風で蹂躙され木骨だけとなり、トタンのバラックだけが生きている。




入ってみると誇りにまみれた男たちが、一抱え程のたらいを揺すったり、水を入れては出して砂を洗っている。物凄い騒音は掘り出した砂から軽い埃を分離する機械の音だった。この機械、凄いのは騒音に収まらずそれ以上にあたりに埃を撒き散らしている。ユニットが各所に点在しているのですでにテント村に粉塵を吸い込まずに呼吸できる空間は一畳と無い。唯一三方をビニールシートで囲われた食堂だけが僅かばかりの憩える空間となっていた。
食堂には冷たい飲み物も氷が入ったこれまたホコリまみれの水が用意され、丁度朝食時で(この国の朝食は遅く10時ぐらい、早い時間にパンなどを食べるお茶の時間がある)ビーフシチューを食べることが出来た。

砂金採りを近くで眺めていると、その区画を取り仕切るおじさんにお茶に誘われた。そして彼の仕事場や金の塊、とは言っても5gくらいを見せてもらった。スーダンはどこへ行っても、お茶付きで社会見学ができるのでいい。


後ろのみんなは写真撮らないでくれと言っていたが、このおっちゃんが強引に俺を撮れ、とポーズ。なんて力強さだ。

この日は道沿いの休憩所に付属の商店は、冷蔵庫が止まっていたり、店の住人が休日モードだが、なんとかものは買える。そろそろ今晩の寝床を探し始めた時に寄った休憩所。バスが二台。遠目に食堂もやっているか!?と思ったが、バスは乗客を乗せていなかった。
六畳ほどの店の入り口が開いている。その3分の1ほどの空間を例のハンモックベッドが占め、その上で老人がラヂオのチューニングをしている。見るからに気だるそうな雰囲気だ。冷たい飲み物はあるかと尋ねると、水瓶がこの裏にあると教えてくれた。世間は休暇で皆里帰り、旅行で家族と過ごしているのに、当老人はこの暑い中、小さな店に籠っている。家族に呼んでもらえなかったのだろうか。老人の将来が少し心配になる。しかしラヂオのチューニングが決まり、少し楽しそう。かかってきた電話でも言い合いをしたり、楽しそうに話したり、なんだ意外と充実してるのかもしれないと感じた。

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