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2014年8月24日日曜日

0824 チャットルーム

エチオピアには草を食む習慣がある。なんの仲間の植物かは知らないが(学名はCatha  edulis)、格別香りがあるわけではなく、茶葉の味を少し落としたような渋みと葉っぱ特有の青臭さを持っているchatと呼ばれる葉っぱだ。見た目アカメモチの新芽のような赤褐色を呈した柔らかな新葉を噛み噛みする。
ケニア北部ではMirraミラァと呼ばれ同じように消費されていた。近寄ってきた男が話しかけて口を開けた時に、はじめ彼はロバのうんこを喰っているのかと思った。クチャクチャやりながらも繊維は残るようで口の中が緑の繊維で一杯になっているのだ。誰だってロバのうんこと間違える。だってさっきまで同じ色と様をしたロバのうんこを道路の上に見ていたのだから。
今の時期、エチオピアの暦では年末に当たるので町中のカフェと言うカフェには男たちがこのチャットを囲んで屯しているのをしばしば見かける。自転車で走っていると道路脇で偽バナナの葉に包んだチャットを売っている、売り子も暇そうな男たちだ。そして道路に散乱したチャットの葉や茎。バスの乗員やトラック親父もムシャムシャやっているに違いない。
さてこのチャット、彼らに言わせれば軽いマリファナの作用があるようだ。精神を興奮状態にさせたり、逆に落ち着かせたり、どっちが正しいのかわからないが、どっちにしてもその作用は茶葉を食べるのとさほど変わらないように思う。だから麻薬の多くが厳しく法律で禁止されているエチオピアでもこのチャットは禁止されていない。
それにしてもコーヒーといい、チャットといい、エチオピアは人が集まる口実を付けるのには事欠かない。チャットをクチャクチャしながらチャッティング。チャットは英語のchatから来ているに違いない。
今日は昨日に続き、なだらかなる丘陵地帯で道路の隣には牧草がはっとするような緑の大地を広げている。風も穏やかで気持ちが良かった。Ziwayズィワイの町はあまりの心地よさに、気持ちが乗ってそのままサーッと過ぎようと思っていたが、一瞬左目に好物のサンブーサ(インドの影響を受けたアフリカ各地で見られる春巻きの皮の包み揚料理で、挽き肉や豆類が包まれている)が目に入った。急ブレーキ。店の脇のベンチでのほほんとひなたぼっこしていたおばちゃんが「welcome」と言って迎えてくれた。10birr で買えるだけ貰おうと思って、10birrを差し出して「くださいな」と言うと、手に持っていた2birrをさらに奪われ4つも食べることになってしまった。こういうちょっとした認識の違いも面白い。アフリカは持ってる(またはそこにある)お金すべてが使える、または使うべきお金なのだ。別の例を上げると、値段の交渉の際にしばしば聞かれるのは「いくら持っている?」で「いくらなら払える」ではないのも面白い。後の為に取り残しておくという考えには遠い。これに関する事は以前ジンバブエ辺りを走っていた頃の記事「チューブをくれのその心」にも書いたような気がする。
流石に大きな揚げ物を4つも食べるとウップシとなって、ふと辺りを見回すと、いましたよ、チャッティングメーン。6人くらいがコの字形に日陰に配置された椅子に座ってクチャクチャ、クチャクチャ。このチャット、水とシュガーと呼ばれるピーナッツと共に嗜まれる事が多い。私はチャットだけ食うのはまだキツイのでピーナッツと一緒に頂く。これはチャットの苦味によりピーナッツの甘みとコクが引き立つので意外といける。多少繊維が残るのが嫌ではあるが。
このグループは一人年配の男性と仕事のなさそうな若者数人だった。こうやって地域の他世代間がより集まれるシステムは興味深い。
彼らの話ではエチオピアはもうすぐ新年を迎えるという。だから皆緩やかな時間を過ごしているそうだ。そして道中よく目にした鶏(ドロと呼ばれる)を持って行き来していた人々は年末のご馳走の準備をしていたのだ。南アでは鶏が一番手頃で安い肉だったが、ウガンダ辺りで鶏が牛や山羊を飛び越えて高級肉になった。そういうわけで私もウガンダ以降鶏を食べていない。田舎の食堂でも普段あまり出ていないようだ。しかし年末、ご馳走の準備に勤しむ人々はどこか楽しげだ。言うまでもなくエチオピアで私が出会う人は私というチャイナ様の不思議な生き物を見てテンションが上がっているので、みな普段よりも楽しげなのかもしれないが、エチオピアは基本が陽気で楽しげなようにみえる。

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