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2014年8月4日月曜日

0804 ビザ

アフリカ縦断の旅行者はその殆どは南下する。北上は稀だ。あってもナイロビから飛行機でどっかに飛んでしまったりする。それもこれもビザのせいだ。エチオピアとスーダンのビザが南下の際はカイロで楽に取れるが、北上する場合はカイロに行く前にエチオピアとスーダンに行くことになりビザ取りに苦労するという訳だ。と言うのもビザを取るのには同じ国のビザであっても、どこで取るかによってそのスムーズさや難易度に差があるからだ。しかもそれは極めて流動的なので以前は楽に取れたのに、旅の途中で予告もなしに変更されたりということは普通だ。その逆も然り。
こればかりはアフリカの中心で叫んでもシマウマがビックリするだけで何も変わらない。だから安定してビザを取れる南下ルートを取るのだろう。
私は「南アで協力隊をしていたからここを出発点にしよう、まぁ難しいビザ取りも何とかなるだろう」くらいに考えていた。そしてウガンダで働いているときにカンパラにあるエチオピアとスーダン各大使館に問い合わせたところ、エチオピアに関しては「自分の国のエチオピア大使館でしか発行しません」と無下に断られ、スーダン大使館ではスーダン居住者の招待状か日本大使館の推薦状が必要と言われ断られた。エチオピアに関しては日本にあるエチオピア大使館へパスポートを送って発行してもらい、スーダンに関してはスーダン居住者の知り合いのいない私はウガンダにある日本大使館に推薦状を出してもらうよう頼みに行った。が、「そんな旅行者のために毎回推薦状書いていたら相手の方も推薦状あるから日本に入れてよ、ってなるでしょ。だからうちではそういうことはしないことにしている」とゲートの電話で伝えられた。大使館内に入れてもくれなかった。外国で日本人に冷たくされるって、結構落ち込むもんなのだ。その後、ちぇっ、日本大使館なんてクソ喰らえだ!と子供みたいな反抗心を燃やしていた記憶があるようなないような。まぁかの職員さんの気持ちもわからなくはない。毎日働いてもいないで遊んでいる旅行者がやってきて、仕事の邪魔をしたらそうもなるのかもしれない。只でさえ旅行者になにか起これば大使館職員はテンヤワンヤだろうから通常はそっとしておくのが旅する人の正しき心得なのかもしれない。
スーダンビザはカンパラでは手詰まりになったのでナイロビに賭けた。
「何とかなるでしょぅ」
もうホントこれこの旅のテーマだな確実に。なるようになる。
そしてなるようになってナイロビにて無事スーダンビザを手に入れた。まぁ、断食終わりでスーダン大使館3日も閉まっていたけど、一週間かけて手に入れることができた。まずナイロビの日本大使館で推薦状を出してもらうのだが、ナイロビのは慣れたもので用紙を記入するだけでその日のうちに発行してもらえた。同じ日本大使館でもこの様な差があるのも面白い。画一的になりがちな日本の組織としては珍しいのではなかろうか。
そしてカンパラにいる時にお会いしたナイロビ在住の方の計らいで、在外公館警備対策官の方がわざわざ時間を割いて危機対策講座を施して下さった。一旅人にここまでしてくださる大使館が非常に頼もしく思えたのは単に外国だからではない気がする。何か旅行先であったら大使館のお世話になる。いくら保険を積んでいるとはいえ、これは旅人にはどうしても避けられない道だ。だからこそ無事な旅をするように心がけなければいけない。そう思った出来事だった。
さてビザの柵は完全に無くなった。もうすぐ旅に出て一年。六ヶ月くらいで終わってしまうんじゃなかろうかと思っていた当初の思惑に反して長くなってしまった。保険が切れる前にカイロまで行かねば。急ぐか。急がぬか。これを書いているエチオピアが想像以上に面白くて、困っている今日この頃。

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