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2014年4月10日木曜日

仕事探し

*今日以降しばらくの出来事は仮名を使用してならと、記事にする許可を貰ったので仮名を使用します。


朝は少し冷え込んで清々しかった。溢れんばかりの朝日が芝生の露を煌めかせている。今日は勝負時だ。しっかり食って挑まねばならない。昨日買っておいたパンにたっぷりの蜂蜜を塗り、次々に頬張る。濃厚な蜂蜜が脳を刺激し、気持ちが高まってくる。しかし不安がなかったわけではない。それ以上にトルコへ行きたい、という気持ちが強く、仕事と寝床を確保するまでは何日でも粘ろうと心に決めた。

そしてカンパラへ向けて出発。すでに町並みは田舎という風ではなく、道路沿いには人が溢れかえり、都会の雰囲気を十分に呈していた。それもそのはず一時間ばかり走るとそこはすでにカンパラだった。ボーダ・ボーダ(バイクタクシー)がそこら中に溢れ、車と車の間を縫って進んでいる。高い建物や電波塔も見えてきた。
町はブルンジとルワンダで聞いていたカンパラそのものでかなりの賑わいと活気を持っていた。ブルンジとルワンダは内戦のために国が疲弊し、他の東アフリカ諸国と比べても経済力は小さい。その国民が隣国の近い文化を共有するウガンダへの憧れを持っても不思議ではない。そういう羨望のようなものを道中感じていた。そして私は今、彼らが夢見るカンパラにいる。


さてここからは本気だ。まずは小さな中華料理店に頼みこんでみようと決めた。大きな店よりもできることが多そうだし、就労ビザがなくても何となく働けそうな気がしたからだ。
都市に入って困るのは自分の所在地だ。いつもは一本道をただ進んでいればいいので迷うことはないが、町は難しい。地図には通りの名前があるが、実際の通りには名前がかかれていない場合が多い。ボーダ・ボーダの兄ちゃんたちに尋ね尋ね何となく自分の位置がつかめてくる。しかしどこに中華料理店があるのかわからない。一生懸命今までのアフリカで中華料理店がどういう場所にあったかを思い出し、それっぽい雰囲気の街中を彷徨うが、見つからず。ボーダ・ボーダの男たちに教わった中華料理店に行ってみると、中華料理店ではなくイタリア風レストラン(名前がチャオだったからねぇ)だったり、結局見つけられずに舞い戻ったり。これはなかなか時間がかかるかもしれないと一服を入れた。
たどり着いたのがインド人が経営するスーパー。ここに来てわざわざレストランにこだわらなくてもいいかな、と思ってオーナーのおじさんと話しながら人手が足りないか探ってみると、残念ながら来月にはインドに帰ってしまうということだった。それでもアイスを食べながらおじさんのビジネスの話や私の旅の話をしてしばし寛いだ。

そして大きい中華料理屋の場所をおじさんは教えてくれた。それがある町の中心へ向かった。春のような穏やかな青空を窓ガラスに映し出した高いビルディングが立ち並び、さすがに都会といった風である。アフリカの交差点は信号よりもラウンドアバウトが多い。ラウンドアバウトとは交差点を中心に道路が円状にしかれており、交差点に進入する車はその円状の道路を時計回り(左側通行の場合)、つまりは左折しながら入り自分の進みたい道路のところまで円を描きながら進み、左折して出ていくシステムのこと、またはその交差点を言う。このラウンドアバウトは車が多いとカオスになっている。そしてカンパラの街に毎日渋滞を引き起こすのだ。そんな渋滞の車の隙間をボーダ・ボーダは車すれすれ、時にはぶつかったりぶつけられたりしながら進んでいく。あたかもパチンコの玉が落ちていくように。

中心部は丘にあるので自転車にはきつい。そして容赦ない車やボーダ・ボーダ。ラウンドアバウトを通るのが怖い。マグロの群れにイワシが一匹飛び込むような気持ちだ。それでもボーダ・ボーダに道を聞くと丁寧に教えてくれて、しまいにゃ自転車で旅しているのに驚いて、道で売ってるバナナを一房買ってくれたり。ボーダ・ボーダはどうしようもないのもいるが意外と気のいい兄ちゃんが多い。一つ目の中華料理屋兼ホテルにたどり着いた。おぉ、デカい。気が怯んだ。レストランに行くと内装も立派なうえ、料理の値段も高い。これは怯んだよ。初めだったし。それでもオーナーと話をしたいと申し出ると、ウガンダンのウェイトレスが案内してくれた。「無理だと思うよ」と漏らしながら。

事務室に通され秘書が対応してくれた。「アポイントメントはある?」「ありません」(しまったー!あまりにラフな生活が長くてアポイントメントの存在を忘れていた!)
「一応聞いてみるけど就労ビザもないんじゃ無理だと思うわよ」と言って中へ消えていった。そしてすぐ戻ってきて「やっぱり駄目ね。お金がないなら日本大使館に行くべきよ」と言われてしまった。確かに君の意見は正論だ。しかし私は無一文なのではない。飛行機で帰れるだけのお金は残してある。正論なんだけど今の私に必要なのは大使館ではない。こういう正論が出てくる秘書のいる秩序ある場所では働くのは無理だ。私が求めているのはもっとカオスなところだ。例えばオーナーが寝坊してレストランが開いているんだかわからないとか。。。粘っても勝ち目はないと踏んだ。なーにまだ一つ目だ。

そしてすぐ近くにあるということでまたしても大きな中華料理屋へ向かった。レストランに入るとすぐにウガンダンのウェイトレスが取り合ってくれた。そして今度は「仕事見つかるといいわね」と微笑みながらオーナーまで案内してくれた。今度はオーナーと話すことができた。しかし最近人員を補充したばかりで足りている。そもそも外国人は人件費が高いのでウガンダンしか雇わないと言って断られた。
大きなレストランは無理だと踏んでいたのでこれは想定内だ。さぁこれからが本番だ。意気揚々とレストランから去る際に先ほど案内してくれた輝くウェイトレスが「この近くに日本食レストランがあるから行ってみるといいわよ」とアドバイスしてくれた。
ガイドブックで日本食レストランがあるのは知っていた。しかし日本人と働くのよりもせっかく外国に来ているから日本人のいない場所で働きたいと考えていた。そっちの方が英語力も伸びそうだし、日本では学べない色んなことが学べそうだ。だから日本食レストランは最後の切り札に取っておこうというのが当初の予定だった。

しかし私は怠け者だ。せっかく近くにあるんだから通りすぎるのは勿体ない、この際順番はどうでもいいということで納得した。日本大使館のすぐ近くと聞いていたが日本大使館がどこにあるのかわからない。日本大使館なんていう多くのウガンダンにはかかわりのない施設のことなどボーダ・ボーダが知る由もない。それでも何とか色んな人に聞き渡り日本食レストランは見つけることはできた。しかし未だに日本大使館の場所がわからない(一週間後くらいにやっとわかった)。もっと日の丸を高く上げてくれりゃすぐにわかるのに。

ゲートを通るとこの奇妙な客に黒いスーツを身に纏った体の大きなベルギー人のマークが近付いてきた。自転車乗りに興味のあるお客かなと思って話したら、臨時で雇われていたマネージャーだった。彼は自転車で突如現れた珍客に興奮している。そして唐突にジブリの千尋のように「ここで働かせてください!」なんて言ってくるもんだからますます興奮して、まぁまぁちょっと寿司でも食いながら、、、と言って結局寿司と照り焼き丼をご馳走になってしまった。そして彼は臨時マネージャーなので判断できないが、きっとオーナーは喜ぶと思うよ、と言って興奮を抑えきれない様子で電話をし始めた。
あぁ久しぶりの和風の料理を食べた。旨かった。そしてオーナーのビジネスパートナーであるフィリピン人のチャールズも加わって、オーナーがやってくるのを待った。オーナーはタンザニア生まれインド系カナダ人という。ん???ちょっと待てよ、日本レストランなのに日本人はいないのか?と思って尋ねると、日本人なしで創業以来やってきているという。聞くとフィリピン人の料理人が二人とフィリピン人のチャールズ、そしてベルギー人のマーク、そしてオーナーのアリフで、他の料理人、ウェイターその他のスタッフはウガンダ人かケニア人だ。それを聞いて驚いた。そして更に言うと誰一人として日本に行ったことはなく、外国にいる日本人から日本のことを聞き教わったという。料理もフィリピンにある日本食レストランで働いていたときに日本人から教わったのだそうだ。そういえば南アフリカの日本食レストランにも日本人はおらず中国人が経営していることが多かった。そうやって日本食が外国の人の手で広められるのはなんだか危なっかしくもあり、頼もしくもあり、そして誇らしくもある。

オーナーのアリフがやってきて、あれよあれよという間に働かせてもらえることになった。パソコンとカメラがあるので広告やメニューのデザインができること、新たなメニューを追加できることを挙げて押したら、意外とすんなり通ってしまった。しかし日本の料理屋で働いていたことが重要だったようだ。とは言ってもアルバイトで数年やっただけなのだが。そしてテストとして日本の日本酒と、韓国産の日本酒を出されて味の違いが分かるかと試された。正直わからなかったら雇ってもらえないのか、とドキドキした。違いはわかるがどちらがどっちと聞かれたらわからなかっただろう。韓国産の日本酒なんて飲んだことないし、日本の酒だって旨いのからそうでないものまでピンからキリまである。まぁ彼の質問の仕方に救われた。

そうして私はカンパラの日本食レストランで二カ月くらい働くことになった。これはもう少し旅をして帰りなさいという思し召しだろう。はい、何なりと従います。
しばらく自転車君は休息だ。

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