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2014年3月18日火曜日

ブジュンブラへ


一週間ぽっきりのビザが切れるので首都で延長申請をしなくてはいけない。自転車での移動を最後まで考えていたが、足の腫れが引かず痛みも強かったので首都へは乗合タクシーを使うことにした。自転車も積めるということで、ルタナへ戻ってくる必要はなくなった。

アトナスやその友人アランにタクシー乗り場を聞いたら、宿までピックアップしに来てくれるという。ブルンジの乗合タクシーは今までの国のタクシーとは違い、トヨタのワゴンやハイエースではなく、ステーションワゴンだったりセダンなので乗客が少数のため道々拾いながら行くのだろう。しかもアトナスがタクシーを呼んでくれた。午後には来るという。午後になって準備して待っていると、アトナスがやってきて「今日は空席がなくなったから明日の朝来るって」と言う。えー!?と言いたいところだが、こんなことは予想済みさ。そんなに簡単に事は運ぶまい。一日余分に取ってある。
「OK。でも明日は絶対に逃がせない。逃したら俺不法滞在で捕まっちゃうからね」と言って念を押した。そしたら、明朝早くにタクシーが来るから大丈夫。学校に行く前だから見送るよと言う。少し不安はあったが、どっちにせよタクシーを待つしかなさそうなので翌日を待つことにした。

そして明朝。「タクシー捕まらなかった」とアトナスが言いに来た。えー!?これはいよいよ自分で動かなければいけないと思ったが、アトナスは昼には学校終わって返ってくるから大丈夫、タクシー何とかする、と言う。まぁタクシーに乗ってしまえば4時間で着くので昼過ぎに出ても大丈夫だろうという考えがあった。しかし本当に捕まえてくれるのかな、、、心配になった。

そして昼を過ぎ、、、アトナス帰ってこないぞー。おーい。どうなってるんだー。いざ動かんとしているとアトナスが戻ってきた。タクシー捕まえられた?と尋ねると、「忘れてた!」といった風な顔をした。口には出さなかったが、私は見たぞー、その顔。そしてアトナスは「明日でいい?」「ノーノーノー!何としても今日中!」ってことでアトナスは電話でタクシーをさがしてくれた。うむ、きっと私の真剣さが伝わらなかったのかもしれない。普段時間的な縛りの殆どない世界にいる人に、時間に追われていることを訴える事の難しさを知った。いや南アにいた時分から気づいていたが。

ようやくブジュンブラまで乗せてくれるタクシーがつかまり宿にやってきた。値段は1800円くらい。初めアトナスが提示していた値段よりも高くなっていた。物価の安いブルンジにおいては少し高いが150km位あるし自転車もあるので仕方ない。タイヤを外して自転車を積んで、、、あぎゃードライバーさん優しくしてあげて!泥除けが折られました。さて出発!の時になって、1800円は途中のギテガという町までの値段だという。ブジュンブラまで行くと5000円を超えるという。何じゃそりゃー!ぼったくりタクシーめ!私に他の手段がないとみて吹っ掛けてきている。それでもアトナスの友人のアランが値下げ交渉をしてくれ、3600円まで下がった。このー乗合タクシーだぞ!しかし背に腹は代えられない、承諾した。アトナス、おばちゃん、アランに感謝してもしきれないが、ブルンジの国旗を彩る三色で折り鶴を作って渡し、御礼を言ってルタナを発った。

さぁこっからがまた大変。村ごとにチョコチョコ停まっては人が乗り降り、荷物が乗り降り。これは素直には着かないだろうと思われた。私は長距離乗るということで助手席だったからいいのだが、後ろはぎゅうぎゅう詰め。三人シートに大人五人乗ってる。一人は運転席側に半分はみ出してしまってますよー。一時は運転席側にも三人乗っていた。そんな珍道中。彼らはキルンジで話しているから何を話しているのかわからないが、客が変わるごと、村で停まるごとに「ムズングごにょごにょ云々」とムズング談義に花を咲かせていた。おい、気になるじゃないか、君たち。きっとこのムズング様はハンサムで落ち着きのあるジェントルマンだと噂していたに違いない。時々「んー?」って振り向くと声をすぼめる感じが面白い。
いやぁ、しかしブルンジは坂が多い。自転車で走ったらさぞかしマゾヒスティックな悦楽が得られるだろうな、と思いつつも今は乗車中。ギテガはブルンジ第二の都市というだけあって丘でありながらもそこには延々と単品の建物が広がっていた。高いビルはほとんどなかった。このギテガでドライバーは私を売りやがった。別のドライバーに押し付けたのだ。それでもお金を追加で取るわけではなく、新しいドライバーがしっかりブジュンブラまで送り届けてくれるらしかったので納得して乗り換える。

しかし人が集まるまで待ちぼうけ。一人車に置き去りにされ、いつ発つかもわかぬ状態で町行く人々を観察している。子袋に詰めたピーナッツを売る少年。オレンジとここでは呼ばれる緑の酸っぱい柑橘を頭に乗せて売る女。客集めで大声を出しているドライバー。ガソリンスタンドでは本当は手持無沙汰ではないが手持無沙汰になっている男が給油機の隣に突っ立っている。スーツをきたヤクザ風のサラリーマン。鮮やかな布で拵えた衣装を着て後ろに子を負ぶったおばちゃんが乗客としてバイクタクシーに乗っている。さすが都市だけあって自動車、バイク、自転車、人が春の野のようにぎっしり詰まって動いている。そんな風景をぼんやり眺めていると、茹で落花生売りがやってきたので買った。これがうまいんだ。まぁ千葉県産落花生には及ばぬが故郷を懐かしむには十分だ。

それをいつ来るともわからぬ新たな乗客を待ちながら口に放っていると、盲者と付き添いの子供が手を差し出してきた。あまりに突然で気づいたら落花生を半分渡していた。そして盲者らはすぅっと去った。旅しているといくらでも物乞いに出会うが、私は何もあげないことにしている。別にポリシーがあるわけではなく、あげることがいいことなのか悪いことなのか判断しかねており(今のところあげないに軍配が上がっているがまだよくわからない)、それなら私という存在がなかったという前提であげないようにしているだけだ。しかしこの時はあまりに不意の出来事で、当然のようにあげてしまっていた。なかなかやりおる。奴らきっと百戦錬磨に違いない。

そして次は運転席の方から五歳くらいの子供が食べ物をくれと言ってくる。今度は覚醒していたので首を振ってあげない意思を伝えるが、子供は暫くそこに突っ立って私を見ている。これほど気まずい、逃げたい気持ちにさせるもはないだろう。それでも私は断固として渡さない意思を示していたら、子供は去った。そしてゴミ箱の方へ行きジュースのペットボトルを拾って数滴残った液体を飲んでいた。どうしてこんな子供が存在してしまうのだろうか。親が亡くなってしまった子供の受け皿はないのだろうか?いや、結構アフリカではそういう施設は見かける。国がやっているというよりも多くはキリスト教団体やNPOなどの組織だ。それを上回るほどの孤児が出てしまっているのが現状なのかもしれない。そもそもアフリカでは親の財力やキャパシティ(一人前に育て上げる能力)以上の子供を持つ親が多い。以前マラウィにいたときも一夫多妻の話で触れたが、子供は豊かさの証明だとか何とか言ってあっちこっちに子供を作りすぎている嫌いがある。結局子供の食費だけで精一杯で学費を払えず、無学の職に付けない大人を作ることになってしまう。確かに死亡率は先進国に比べれば高く、そのために子をたくさん作るというのはわかるが、五人も六人も大人まで育っていることは多い。感覚の問題なんだと思う。とにかく数で勝負する。

一時間ほどしてタクシーが出発した時には日がだいぶ傾いてギテガの町は黄昏色を呈していた。再び丘の多い道をきっちり人間で詰まったセダンがゆく。後ろに座っていたおじさんが学校の先生で英語を話せたので少しばかり会話を楽しんだ。彼は学校で英語もキルンジも物理も教えているというオールマイティーな先生だった。人手が足りないのかもしれない。アフリカでは結構そういうことはある。しばらくすると体力が完全に戻っていないためか眠気に襲われ眠ってしまった。自動で体を運んでもらえる心地よさの中でうつらうつらしていたらいつの間にか外は暗くなっていた。まだブジュンブラは見えてこない。あぁこりゃ宿探し大変だなぁ。どうしようかなー。この運ちゃんに安宿聞くか。と思案していると後ろのさっき会話を交わしていたおじさんが、宿が見つからなければうちに泊まればいいさと心強いことを言ってくれる。まぁ大丈夫さ、君が求めるほど安いのが見つかるかはわからないが何とかなるよ。

今までの旅の中でも基本的に夜間の行動は慎んでいたために、ほとんど夜のアフリカを知らない。ブジュンブラは治安がよさそうだとはいえ、見知らぬところで夜目の利かぬ私が独りで宿を見つけるのは大変だ。とんど街灯はないからますます見えないので、こんな荷物持って歩くのは怖い。そんなところへの助っ人でとても安心した。

途中小さな町を通ると検問のようなものがあり、その周辺に山羊肉の売子だったりバナナの売子などが真っ暗闇の中、車のヘッドライトで照らされて不気味だ。サイドガラスに顔を近づけて販促してくるのは少し怖い。それでも美味そうだったので買った。そこから数十分走ってようやくブジュンブラの町の灯が見えてきた。町に入るのにまた検問を通る。検問といってもそんなに厳しいものではなく、免許証の提示を求めるくらいだ。

ブジュンブラの町はタンガニーカ湖の湖畔にあるので標高は低く、町に下るといった風だ。一気に下る。ルワンダも標高が高いことを知っていたので「町から出る時はまた登りか」と少し憂鬱になった。町の明かりは小さなものばかりで全体的に暗い印象だった(後でわかるがここはまだ郊外)。T字路にはバイクタクシーの男たちが車の光でかろうじて暗闇に浮かび上がっている。標高が低いため熱くジメジメしている。ルタナとはまったく環境が違う。

後ろの席の先生の案内で石畳がボコボコに敷き詰められた細い路地に入っていく。ブジュンブラの夜は随分人でにぎわっていた。子供や女性も歩いているのを見ると比較的安全なのだろう。安心した。彼らは本当に目がいい。こんな暗い中時折通るバイクや車の光を頼りに歩けてしまうのだ。道端ではトウモロコシを売る女性が子供を背にしている。宿といわれなければ宿と見抜けぬ建物の前で車が止まり、件のおじさんが交渉に行ってくれた。そして値段も納得できるもので一番安い部屋を与えてくれた。昼に吸収した熱で部屋は暑いが蚊帳もあるし、まぁ何とかなるだろうとここに数日泊まることにした。おじさんはまた明日来るから何か困ったことがあったら私に電話をしなさい、と言って去った。

何とかVISAの期限切れに間に合ったようだ。明日うまく申請できればの話だが。

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