ルンピは山間の小さな町で、谷筋を登っていく。連日の雨で川が濁流となっていたが、山それ自体は緑が活き活きと茂り青空に穏やかに聳えていた。町に着いたのは日がいくらか黄色くなり始めたころだった。宿は町の入り口にあった安宿(MKW1000)を寝床とした。安いうえに部屋がきれいだった。蚊帳も付いていたし。
夕飯を食べに町を歩いてみる。起伏の多い道に人々の往来が忙しい。自転車トランスポーター(カバーザとマラウィでは呼んでいた)がキィキィ自転車鳴らしてその起伏を走る。乗り場では漕ぎ手の兄ちゃん達が休んでいる。
道端に生えたバオバブが黄昏にその影をくっきりと残してい印象的だった。
町の北側にニーカの山並みが続いている。日本の飯豊や朝日連峰のような緑豊かでたおやかな印象の山だった。
ニーカの南側 |
ルンピの風景 |
さて翌朝来た道を少し戻って村道に入っていく。雨で少しぬかるみもあったが思った以上にいい状態だった。長閑な村の風景がずーっと続く。雲がダイナミックに空を彩って、その下にはトウモロコシ畑。トウモロコシ、トウモロコシ、トウモロコシ。どれだけトウモロコシが好きなんだー!?その向こうにはニーカの山が緑鮮やかに続いている。あぁ、こんなものを見たら日本の夏の山が恋しくなるではないか。登りたい。あの清涼な感じが脳裏に沸き立つ。宇宙が透けるような空に、光る入道雲、風に乗ってクルクル変わる香りたち。ハイマツ、カラマツソウ、シモツケソウ、ハナウドたちのあの芳醇で時にはムワッとする香り。そして何より雪渓を沁みだして粗い岩の上を流れてきた冷たい水!かーっ、今年こそは日本の山に登るぞ。
ゆっくりと村道を人々が行き交う。教会に行くのであろう、眩いばかりの白いドレスの一行、水の入った盥や製粉したトウモロコシ粉を頭に乗せて歩く親子。ポンプのある水場にはいつも誰かがいる。そして大好きなおしゃべりをしながらポンプを漕いで、盥に汲んだ水をよいしょ、と頭に乗せて去っていく。その周りにはいつだって子供が楽しそうに散らばっている。
木こりもいた。電動のこぎりや旋盤を使わずに大きなのこぎり一本、あとは鍛え抜かれた体だけで木をバラしていく。電動のこぎりでやったらものの数分で終わることを何十分も数時間もかけて額に汗して成し遂げる。田園懐古主義者にとっては何とも長閑でいい風景だろうが私にはそうは思えなかった。
電動の物を使えばいいのに、、、と思うが彼らにその選択肢はない。まずお金がない。それはご最もだ。組合作って少しずつお金集めて共有すれば、または銀行からお金を借りて計画的に返済すれば、と思うが今までアフリカを見てきてそういう習慣や発想がない、またはマネジメントできない。このマネジメント力、または組織力のなさがアフリカを今の状態にしているのは疑いがないように私には見える。お金がないというのは中間的な結果であって根本原因ではない気がする。だから現代であればやらなくてもいい大変で骨の折れる仕事をやらざるをえない。
ジンバブエでもある農家は言っていた。
「今年は銀行がお金を貸してくれなかったから畑を半分しか耕せなかった」
毎年銀行にお金を借りて規模を拡大するわけではなく、現状を維持しているに過ぎないのだ。そして借りないと今年の運営ができない。ワーカーへの給料も支払えずにストライキが生じる。いつも先のことを考えずに後手後手に回る。この先を読んだ経営やお金の運用ができない、ということが最も大きな問題である気がする。
本来は水を汲む井戸だって他国や自国政府が「はいどーぞ」と与えるのではなく、少しずつ利用者にお金を集めさせて村で管理するようにするのが一番いい(もちろんその少しのお金ですら集めるのが難しいのが現状だがそれを拠出させる努力は必要じゃないか?)。そういう何かを共同で使うものを作る「プロセス」が大事なのではないか?前にも書いたがODAなどで学校を建てたりする場合にはこの「プロセス」が育たない。
どうしてのこぎり一本で木を伐っているのだ、もっと楽な方法を取ればいいのに、と少し批判的に書いたが彼らは需要があって働いてそれで食っている。何もおかしいことはない。それでうまく行っているのだ。ただどうして俺らは貧しいんだ、どうして君らは裕福なんだ?と問われたら今の私はそう答えるだろう。
リビングストニアLivingstoniaに近づくとニーカの山並みはなくなり里山といった風景に変わる。道は山に深く入り込んで、山の斜面を巻くように蛇行して登っていく。そんな斜面にもトウモロコシ畑があり、農夫が働いている。日本のように斜面を切って階段状にするのではなく、そのままの斜面にトウモロコシやバナナ、キャッサバ、パイナップルが植えられている。これを機械を使わずに成し遂げるのだ。どれだけの労力が毎年かかっているのだろうか。マラウィでは土地が隙間なく農地として使われていると聞いていたが、実際そうだった。ここに生きる人々は誰かに依存しているわけでもなく、誠実に実に実直に生きている人々だった。そして何よりも穏やかな人柄だった。少し暗くなり始めると危ないから次の村に泊めてもらいなさいよ、とアドバイスしてくれたり。。。
こういう努力しているけど技術がないから豊かになれないという状況をサポートする方が実りある支援になるだろうなぁ、と感じた。政府に見向きもされない声にならない声こそ伸びる場所かもしれない。政府を通した支援は大きなアクションが掛けられるものの、政府と現場の認識がかみ合っていない場合は悲惨だよ。
リロングウェで知り合った自転車乗りにリビングストニアのお勧め宿を聞いていたが、リビングストニアから少し離れていたのでやめた。せっかくだから丘の上泊まりたい。というわけで最後のリビングストニアへの急登を自転車押して上る。この時には今までの未舗装の上りで既に気力が萎えていたのだ。太陽が黒く沈んだ山の陰に消えていく。
今日は少し高かったが(MKW3000)ストーンハウスと呼ばれる古い石造りのゲストハウスに泊まった。なんでも100年前に宣教師が住んでいたものらしく、博物館も併設されていた。確かに造りが重厚な感じで内装も美しかった。ここはドミトリータイプで、天井の高い大きな部屋にベッドが12個くらい並べられあてあり、そこに気難しそうな白人のおじさんと二人だけだった。宿の糖尿病の管理人さんは、破れた手編み風のセーターがいかしていた。いろいろ気を利かせてキッチンまで貸してくれた。例のマラウィ米の落花生ご飯。そして途中で買ったパイナップル。糖尿病でもパイナップルはいける?と勧めたら遠慮がちに二つほど頬張っていた。
この日は大き目のベッドで快眠だった。
村道 |
牛牽き車 |
村道2 |
キャッサバの売子? |
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