やはり英語が堪能ではない私としては日本語で話せる相手というのは時には恋しくなるようだ。
栄養ドリンクを飲んだように元気になったと同時に、別れ際がどことなく寂しい。
多くの日本人バックパッカーはブログやフェイスブックなどで情報を共有し、一種の旅人コミュニティができている。
日本人が集まる宿というのがあり、そこはいつも日本人が数人は滞在しているのだ。
そしてそこは安い割には質のいい宿が多い。
日本旅行客のハードルの高いチェックが入っているのでそれはお墨付きだ。
ケープタウンの宿も、ビクトリアフォールズの宿もそうだった。
日本人同士で情報を共有し、かなり細かい情報までもブログなどから得ることができる。
これはもちろんいい面もあるし、ともすると殻にこもってしまうという事態に陥ってしまうことにもなりかねない。
同じ情報を利用しているという点で、日本人同士で集まりやすい、という点があげられる。
これは旅慣れない人にとってはとても心強いことだし、危険な地域では何かと助け合えるので便利だ。
しかも同じような旅のスタイルの人同士で集まると、食費やアクティビティなどの値段を抑えることができる。
一方、日本人同士でいることでどうしても「日本語」という他の国の誰もが使いえない秘密ツールでのやり取りが増えてしまい、
他国の人を排除し、日本の殻に閉じこもってしまう可能性がある。
それから人と一緒に行動することで「自由度」が下がる。
いくら気の合う相手でも、意思のある誰かである以上、自由度が下がることは避けられない。
その相手との絆を深めるという目的であるのであれば話は別だが。。。
私も日本人がいれば、つい話したくなるし、多くの時間を共有したくなる。
日本人がいればそれは避けるのは難しい。
ブラワヨで日本人旅行者と別れ、自転車の待つライオネルの家路につく。
行きは駅まで車で送ってもらったので、帰る時のことを考えていなかった。
こういうところが私は抜けている。
ライオネルの家は駅から7キロほど離れている。
途中のキャンプ場までご夫婦旅行者と一緒で話に花が咲き、苦痛を感じなかったが、一人になったら急に重いザックを背負って歩くことがつらくなった。
それでもザックをずり上げながら、車の通りの多い郊外の道を歩いていく。
住宅街のジャカランダ並木が美しい。
さっきまでジャカランダの花を写真に撮って喜んでいた日本人はもういない。
なんで日本人といると安らぐのか、それは同じ価値観を持っているからに他ならない。
美しいものを美しいと言い、嫌なものを嫌と言う、日本人であるというだけでそれらが自分と近いからに他ならない。
花を見るために立ちどまるアフリカの人には今まで会っていない。
南アで花の写真を撮っていたら、警備の姉ちゃんによく笑われたのを思い出す。
「そんなもの撮るより私を撮りなさい」と。
勿論私が会っていない、その場面に遭遇していないだけでそういう人もいるのだろうが、花や星、を愛でる習慣はあまりないように思う。
花を愛でるのがいいと言っているのではなく、自分が慣れ親しんだ人々のイメージがそういうものだから私がホッとするだけなのだ。
しかし、このことは「違うものを心の底から受け入れられていない」という私の器の小ささの表れでもあるかもしれない。
ちんたら歩いていたら、午後の積雲にやられた。
北の空は明るいが、南には黒い雲が迫っているではないか。
そういえばブラワヨに着いた日以来、雨には降られていない。
雲も持ちこたえることができなくなったか、明るい中パラパラと雨が落ちてきた。
丁度壊れたバス停があって、運よく屋根が残っていたのでそこでやり過ごすことにした。
赤ん坊を背負った女性がやってきて、近くの木の下に止まっている。
私を警戒してか、屋根の下へは来ない。
青空自転車屋も店をたたもうとしている。
道路を挟んだ反対側にはパラソルの下で果物や野菜、お菓子を売っているおばちゃんがいる。
彼女はパラソルがあるので動く気配はない。
木の下の赤子を負ぶった女性が道路を早足で渡りそのパラソルの下に逃げ込んだ。
雨はすぐに止んだ。
相変わらず怪しい雲が残っていたが、雨は止んだので私もパラソルまで果物を買いに行った。
パラソルから3m位離れた藪の中にパラソルのおばちゃんの子がタオルを掛けられ、すやすやと眠っていた。
きっとおばちゃんは雨がすぐやむことを知っていたに違いない。
マンゴーとオレンジ、トマトを買って食べた。
雨上がりの蒸した中を歩いていると、ヒッチハイクで捕まえた車に彼女を乗せ、見送っている男がいる。
後ろを通り過ぎようとすると声を掛けられた。
ジンバブエは本当に人がフレンドリーで一人でいる暇がない。
どうやら彼は外国の友人が欲しかったようだ。
他の国ならいかにもアヤシイ奴だが、ジンバブエにおいては私はそれをアヤシイと決められないでいた。
少し話していると、目の前に焼きトウモロコシを焼いているおばちゃんがいたので、
一本買ってその白か黒か決めかねていた奴とシェアをした。
この焼きトウモロコシには私は目がない。
硬いので顎が疲れるのだが、銀杏のようなもっちり感と香ばしさに毎回ノックアウトされている。
南アでは何もつけずに食べるのが一般的だったが、ボツワナ辺りから塩付ける?と聞かれるようになった。
結局そいつとは世間話をしただけで終わった。やっぱりジンバブエは単にフレンドリーなだけなのだ。
そんな風にいろんな店に立ち寄りながらライオネルの家の近くの通りを歩いていると、
オンボロのセダンに乗った、これまたオンボ、、、じゃなくて高齢の白人女性が私の前で停まった。
車をバックさせて近寄ってくる。
フロントガラスにひびが入っている。
「日本人かい?乗って行きなんせ」と窓を開けてくれた。
車のドアの内側がむき出しになっている。ドアが開く仕組みを学べそうだ。
このメアリーお婆さんはこの辺りに住んではいるのだが、ライオネルの通りのあるところへはしばらく行っていないそうで、一本手前のところに入ってしまった。
ライオネルの家のゲートと似ており「あれ、確か番号が書いてあったような、、、」と私が逡巡していると、もうピンポン鳴らして家の人と話しているではないか。
「日本人のお友達だよ!」と凋んだ体の割には威勢よくインターフォンに向かって言うと、
「日本人?誰だ?今行くよ。。。」と訝しげに男性が答える。
そしてゲートが開き、、、、明らかに違うぞ。。。
「ここじゃないみたいです」と私が言うと、
「でも1番(住所)でしょう?おかしいわね、まぁ開けてもらっちゃったから挨拶しましょう」と言う。
ガウンを羽織った白人のお爺さんがやってきて、訝しげに立っている。
おばあちゃんが「ここ1番よね?」「そうだが」とやり取りして、
「へんねぇ、住所は確か?」と私の方に疑いが向けられる。
「クレア1番地は確かです」というと、お爺さんが気付いてくれた。
「クレアは隣だよ」
私とおばあさんはまるで雨雲がさぁーっと引けていくような顔でお互いに見合わせた。
「そういうことか!」
そんなこんなでライオネルの家に着き門を開けると、4匹の犬たちが嬉しそうに駆け寄ってきて私の足とおばあさんの手を舐めちぎる。
隣でおばあさんが「ほれほれ入りなさい、もうなんて可愛い子たちなのかしら」と犬と戯れている。
ひとしきり犬を撫で終わるとおばあさんは私と握手をしてからオンボロのセダンを鳴らして帰っていった。
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