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2013年11月14日木曜日

にぎやかの残照

ナミビアはドイツの植民地だったことから今でもドイツ系住民は多いし、出会う観光客の多くはドイツ人だ。
先日まで滞在していたスワコップムンドは今でも植民地時代の建物が数多く残り、街並みはアフリカとは思えない洗練された印象を受ける。

遠くには砂丘が見える

スワコップムンドを出て暫く走っていると、後ろに積んでいたタンクから水が漏れているのに気付いた。
それを道路のわきに止まって直していると、カウボーイハットをかぶってスウェードのジャケットに身を包んだ初老の紳士ヨハンに声をかけられた。
彼も自転車に乗って各地を走るのが好きだそうで、荷物を積んで走っている私に興味を持ったようだった。
暫く自転車の話や旅の話をすると、うちの牧場に来ないか?ちょっと泊まっていけよ、と誘ってくれた。
しかし彼の牧場は道から少し外れているうえ、距離的にも泊まる予定ではない場所にあった。
それ故、彼のありがたい提案にもかかわらずその時は断った。

しかし、その日の夕方、幹線道から少し入った平原でテントを立て気持ち良く夕飯を作っていると、なんとヨハンさんがボコボコ道に車を揺らしてやってきた。
スワコップムンドで買い物をした帰りで、昨日から放牧したままの羊と山羊を追いに、これからこの未舗装路を行くのだという。
なんという偶然。
先を急いでいたが、この際牧場を見てみようと思い、翌日の朝伺わせてもらうことにした。
この日は彼が毒水(ドギツイ色の炭酸飲料を勝手にこう呼んでいる)とシナモンパンケーキを差し入れてくれた。
夕陽なんかよりももっと真っ赤の甘いジュースで一人乾杯して、牧場に思いを馳せて眠った。

スワコップムンドからウサコス(Usakos)までは町や村は全くないのだが、白人が持つ牧場や国のウラン鉱山がある。
また列車(貨物のみ)が通っており、所々駅のような鉄道の節目があり、それが地名になっている。
ヨハンさんの牧場はエボニーという駅の辺りで幹線道路を離れ、7kmくらい未舗装の道を行ったところにある。
小さな看板にEvonyとあるが、うっかりすると見逃してしまう。
道にはいくつもゲートがあり、チェーンが付いているがどれにも鍵は付いておらず、通り抜けることができる。

途中スプリングボックの群れが驚いて逃げていく。
白い建物が見えてきた。
乾燥した気候に白い家が似合う。
広い。建物が建っている敷地が田舎の学校くらいある。
そこには人の気配がまったくない。
しんと静まり返っている。
カカブームの木がまるでその沈黙を濃くでもするかのように佇んでいる。
遠くには青い山並みが幾重にも重なって見える。
大学時代を過ごした松本の冬が思い出される。



敷地の周りは放牧地帯で頑丈そうな低木が疎にしか生えていないような荒地だ。
ここらは極めて乾燥しているうえに土地がやせているのだ。
しばらくしてヨハンさんが羊追いから戻ってきた。

自転車をガレージに入れて家に上がらせてもらう。
部屋が5-6個もあるような大きな家である。
リビングの天井はお爺さんが自分で張ったというパイン材の木張りであった。
そのせいか、家の外の無機質な感じとは対照的に温かみと潤いを感じる。
壁にはナミビアではあまり見ないような、鬱蒼とした森の中を緩やかに流れる清涼な小川を描いた大きな絵や、
スイスにあるような険しい山を頂いた町の絵が飾られている。
まったく環境が違うアフリカで、少しでも故郷(オリジン)の情景を思い出せるようにと飾られたものかもしれない。
それからヨハンさんのおじさんが中国で働いていたことがあるようで、いかにもお土産的な提灯やら、壁掛けやらがかかっていた。

ヨハンさんの先祖は1740年にドイツよりナミビアに移住してきた。
そういう証明書や先代の肖像画が額に入れられ飾られていた。
この家にはそういう掘り返せば香り立つような歴史の匂いがたくさん隠れていた。
彼は今この広い家に一人で暮らしているが、部屋の数が多いことや、子供が描いた絵や作品が台所などに現在も残っていることから、かつては賑やかだったことが想像できる。
離れも3棟あり、最盛期はひょっとしたら小さな村くらいに賑わっていたのかもしれない。
カーテンを透かしてまろやかになった光が部屋の中にぼんやりと満ちている。
外の強い日差しに熱せられて、屋根がときおり弾けたような音を出す。
それから時を刻む時計の音。音はそれだけであとは一切がひっそりしている。
耳をすませば埃が積もる音まで聞こえてきそうだ。
そこに座っているとなんだか時間の配列というものがなくなって仕舞うのではないかという気がしてくる。
人の賑わいの残香が香る沈黙の中に一人で佇んでいると、そこはかとない寂しさに襲われる。
まるで幼いときに昼寝から目覚めたら家に独りぼっちだった時のようだ。

ヨハンさんと羊と山羊を追いに車に乗って荒地に赴いた。
ナミビアのカウボーイは車で羊を追うのかと感心していると、油断したら舌を噛みそうなドライブが始まった。
渇水期の今は水が流れていない谷へも下り、そして上って行く。
車体を傷つけないくらいの岩は無視、低木も無視して進んでいく。
彼はそんなこことをしてもタフに動いてくれる日本車を愛していた。
山羊は見つかったが羊が見つからない。土地が15平方キロメートルもあるので探すのも一苦労だ。
小高い丘に登って荒野の白い点々を探すのだが、窪地や藪で隠されてしまっている。

30分程してようやく見つけ出すと、クラクションをガンガン鳴らして羊を追い立てまくった。
しかし羊たちは面倒くさそうに速足で走るだけだ。
羊たちが小走りすると耳が一様に上下に揺れ、まるで天使かカモメが羽ばたいているようだ。
それをガンガン追立てる。
牧歌的な様子からは程遠い感じが見ていて面白かった。

家に戻ると、冷蔵庫でキンキンに冷やした水道水をヨハンさんがグラスに注いでくれる。
グイッと飲むと何だかえぐいが、冷たさがそれを幾分和らげている。
ヨハンさんが隣で試すような笑みを浮かべ、私の反応を待っている。
私が平気な顔をしていると、「飲めるか?」と聞いてきた。
飲めないことはない、ができることなら飲みたくはない味だ。
この辺りの地下には石灰岩が走っているようで、そこからくみ上げられる水が酸性になっていると教えてくれた。
確かに酸と言われればそうかもしれない。
これで紅茶を淹れたら最高にまずかったなぁ。
もう葉っぱの味がしないんでさ。
それからミルクを入れたら分離してしまった。牛乳にレモン汁を入れたときのように。

そして離れの一室とベッドを借りて、強い日差しから逃れてゆっくり本を読みながら過ごした。
この辺りは午後から夜にかけて細かな砂塵が舞うので夕陽が美しい。
とっぷりと暮れる夕陽にカカブームが哲学的だ。




静かに宵の月と対話している姿も麗しかった。


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