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2013年10月22日火曜日

Verry impressive!

Springbok → Steinkopf → Vioolsdrift


キャンプ場のオーナーと別れて、スプリングボックの町に向かう。
キャンプ場からは4kmくらい離れている。

ナミビアは日差しが強いと聞いていたので、日よけ対策に何かいいものはないかと、
町をふらふらしていた時に出会った洋服売りのサンボとイブラヒム。
彼らに今日出発するということを告げる。
サンボはセネガルから、イブラヒムはエジプトから来て南アフリカで商売をしている。

先日の中国人にしろ、このように他国で商売している人にしても、
彼らは私とは異なった「国」という概念を持っており、話していてとても興味深い。

イブラヒムは言う。
「君もエジプトで仕事を見つければいいさ、仕事はたくさんあるよ」
イブラヒムはエジプトに仕事がないから南アフリカに来たのではない。
サンボもそうだ。セネガルに仕事がなかったわけではない。
ちょっと南アに知り合いがいたから、「行ってみるか」程度なのである。
彼らにとって法律的な国境、国はあっても、その法律がなくなったら世界は一つのような気がする。

だから決して違う「こと」や「もの」を差別することはない。
違って当然だと思っている。
言語もセネガルはフランス語だし、エジプトはアラビア語だ。
彼らは言語ができなくてもすんなりやっていく術を持っている気がする。
そうして生活しているうちにその国の言語を身に着けていくのだ。
中国人もその能力は高い。

これからイブラヒムの故郷へ向かうというのもなかなか感慨深いものであるが、
何よりもアラブという未知の世界が待っていると思うと心が躍る。
長い長い、ナイルを下りカイロへ。地中海へ。
まだまだ先だけれども。

話していたらもう一人別のアラブ人ともう一人、カラードのおばちゃんがやってきて、写真撮影大会になった。


さて、今日はステインコップまで行けばいい。
距離は50kmもない。ただし、自転車屋の兄ちゃんが言うにはアップダウンが結構あり、時間がかかりそうだ。
確かにアップダウンの連続だ。
しかも果てしない感じがたまらなくいい。



しかし意外にも早くステインコップに着く。これなら今日中にフィオールスドリフトに行ける。
ガソリンスタンドに行き、店で飲み物を買うと、どこかで見た店の造りだ。
そうだ、以前米人と加人のおじさんと三人で旅したときにPort Nolthに行くのに通っていたのだ。
ここであまり美味しくないポテトと何か他の物を食べた記憶がある。
美味しくないんだけど、周りに何もないという環境がものを美味しくする。
その時は車だったからあまりそういうことはなかったのだけど、、、
今回はそこで買ったファンタグレープが飛び切り旨かった。
まるで炭酸の一泡一泡が喉にそして乾いた細胞に「お疲れー、お疲れー、やったねー」という掛け声をかけてくれているのかと思って、飲んだばかりの大事な液体をチビリソウニナッタ。

そうやって泡との戯れを楽しみながら過ごしていると、私よりも少し若いくらいの人のよさそうなお兄ちゃん二人に声をかけられた。
独りは将来典型的なアフリカーナーになりそうな、体格がよく、がっはっはと笑いそうな朗らかな人、
もう一人は少し控えめだが、とても誠実そうな青年。
二人はこの辺の荒涼とした大地で繰り広げられる、オフロードバイクの大会の手伝いをしている。
トラックにいくつもバイクが積まれており、楽しそうに道や自分たちの団体の話をしてくれた。
私の旅に対し、「Very impressive!」と何度もいい、ガソリンスタンドを行く人、行く人すべてをつかまえては、
「彼はこれでエジプトまで行くらしいんだ!」
と興奮気味に話していた。

こういうのって素直に嬉しい。
自分のやっていることが、そこに住む人々に一時でも何かを残せているのであればそれ以上に嬉しいことはない。
彼らの日々のたわいない話の中に私が少しでも登場できているのかな、と思うと自転車をこぎながらにやけてしまう。
たとえば、職場で「そういえば昨日変なアジア人が自転車で通り過ぎて行ったんだけど、エジプト行くんだってよ」
「あ、それ俺も見た見た!まじで?あいつエジプトに!?」とか、
木陰で休むおばちゃんたちが、
「昨日変な中国人を見たのよ。それが彼、戯言のようにエジプトに行くんだって。この暑さで頭がおかしくなっちゃったのかしらねぇ」
「そうなのぉ?でもそれ悪いサンゴーマ(南アの呪術師)に呪いをかけられたのかもしれないわね、ははは」
色々な会話が頭をよぎる。

そんな風にちやほやされていると、店のオーナーが帰ってきて「ちょっとこっちへ」と笑顔で手招いている。
ちやほやの空気から抜け出る気持ちで彼の方へ行くと、
「なんだ君は旅をしているのか?どこから来た?」
と聞き、続いて「私はポルトガルから来たマニュエルだ」と言って手を差し出してきた。
私も自己紹介をし、おじさんの大きくふっくらとした手と握手をし、今までの旅の話をすると、さっき飲んだファンタグレープがもう一本出てきた。
そして私が持っていた5リットルのペットボトルにきれいな水を入れてくれた。
「他に何か欲しいものは?」
と聞かれたが、「いやいや、もう十分です、これありがとうございます」と言ってまた旨そうに飲み始めた。
旨そうにするのは私の十八番だ。殆どの場合、実際に旨いからフリではないのだが。

それから、
「今日はここへ泊ればいい、あぁ、もしフィオールスドリフトへ行くのであれば、あそこにもチーチョという友人がいるからそこで世話になりなさい。彼も私のように禿げているからそれが目印だ」
と言ってくれた。
私はチーチョの場所を聞き、フィオールスドリフトへ向かって出発した。

ステインコップの町を出ると峠があり、山岳地域を少し上り下りするが、しばらくすると緩い下りが続く長い一本道になった。
35km/hを維持できる。今日は朝より風がなく、快適な走りができたが、夕方は西風が強くなり、車が走る方へ押されるので怖かった。
楽な道が終わり、再び上りと下りが出るが、フィオールスドリフトまで20kmあたりから岩山の谷間を縫うように下る。

谷間を縫ってきた風が強いが、気持ち良い。
日がずいぶん斜めになり、岩山の光が当たらないところが空の色を映し、うっすら青く蒼然としている。
空気が乾燥しているため光と影のコントラストが明瞭だ。


オレンジ川の辺りは年間降水量が極めて小さい地域のため、植物もほとんどない。
スプリングボックなどの乾燥地でも生えていた、カカブーンの木もここでは生きていけないようで、姿を見ない。
サボテンに似たトウダイグサ科の植物が岩山の斜面に人影のように立ち、少しのイグサのような植物がポツポツと砂地に生えているだけ。

岩山を抜けるとぶどう畑の緑が目に飛び込んできた。

オレンジ川が緩やかに流れその対岸にナミビアが見えている。
夕日を浴びて赤く燃えるような山並みとその影が織りなす景色が美しい。



ゲートまで行き、警官と係員と少し話し、ゲート前の店に行く。
酔っ払いが屯し、歯がボロボロになり酔ったおばさんがお金を求めてくる。
少し危ない気がした(実際には犯罪が起きそうな町ではなかったが)。
一度「お金はあげない」と言うも、なかなかしぶとく、立ち上がり血走った目で私を睨み、ふらふらとした足取りで近寄ってくる。
私も負けじと厳しく「金はやらん、あっち行け!」というと、仲間の一人が止めに入った。
少し離れたところにも酔っ払い一団がいたので声をかけ、少し話すと、金を求めてきた。
この財布になりモテモテの感覚、久しぶりである。
ケープタウンを出てから一度もそういうことはなかった。

貧しい人たちと接触する機会はあったが、彼らは彼らの生活や町に誇りを持ち、黙々と生きていた。
しかしここでは、まず誇りは感じられないし、何か今を満たしてくれるであろうものを手探りしているように見えた。

今までの町と何が違うのか。
もちろん酔っ払いだったというのもある。
それともう一つ、観光客による影響でもあると思う。
国境なのでたくさんの外国人を見慣れているし、彼らはお金をくれる存在だと思っている。
実際にくれる人がいるから、求めてくるのだろう。
アフリカでは観光も罪なものである。

店にいる人にチーチョの居場所を探すと、隣の酒屋にいるという。
行ってみると、カウンターに張られた鉄フェンスの下の方で、きれいな艶のある頭が動いた。
ぬーっと入道様が現れた。チーチョだった。
マニュエルからここを紹介してもらった旨を告げると、慣れた風でさも当然のごとく、
若い男を呼び彼に案内するように言った。

その若い男に付いていくと裏庭に案内してくれた。
「何か飲むか?食べるか?」
と聞かれ、「レモネードとフライドポテトを」とお願いした。
すぐにレモネードが出てきた。
あぁ、旨い。何度でも書いてやる、あぁ、旨い。程よい酸味とシュワシュワが渇いた体を潤す。
テントを張り、整理体操していると、白い発泡スチロールの容器に入ったポテトがやってきた。
「いくら?」と聞くと、
「あぁ、心配しなくていいよ、お金はいらない」と言う。
旅をしていると色々な人の善意に触れる機会がある。
もちろん旅をしていなくともそうなのだが、「旅」という不思議な要素が加わるとなお一層、善意が近寄ってくる気がするのだ。

ポテトのふたを開けると、大きなウィンナーが二本も入っていた。
もう、目の前にある何にでも感謝をしてしまいたくなった。
目の前に見えた山に一礼していただいた。
木星を抱いたサソリが藍の空に輝き、頭から山に潜ろうとしているころだった。




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