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2013年10月2日水曜日

バランス

初めて南アに来た時にお世話になった英語の先生Gerryと会った。
彼は語学学校の先生を辞め、現在は職に就けずにいる人を再トレーニングするNPOで働いている。
英語の先生という前の仕事よりもやりがいを感じているようだ。

夜彼に拾ってもらいピザ屋に行く。
会った瞬間から柔らかな、しかし勢いのあるトークが始まった。
私の耳から入りきらなかった言葉の破片がパラパラとこぼれていく。
ちょい、待ってくれ。ペースを落としてくれー
車の中で旅のことを話すと、本当に驚いて、動揺して運転がー!
彼はそんな感情豊かな人なのだ。とにかく駐車して車から降りた後も落ち着きがない。

そんな勢いで歩いていると、ふと身なりのみすぼらしい、しかし誇りは失っていない、男が近寄ってきた。
我々が立ち止るとその男は一気に自分の置かれている状況を早口で話し始めた。
Gerry以上に言葉の流れが激流だったので、私は詳しくは聞けなかったが、どうやら職をなくし困っているようだった。
加えて子供もおり、途方に暮れているという。
「お金が欲しいのではない、仕事をくれないか」ということを強調するあたり、やはり誇りを失っていないのだろうと感じた。

Gerryは親身に話を聞き、自分が関わっている慈善団体を紹介するから、とりあえず今は電話番号を教えてくれ、とその彼に言った。
去り際、やはり食べるものに困っていたのか、「何か食べ物をくれないか」と言ってきたが、
今は遠くから来た友人と一緒で時間がないからR10で我慢してくれ、といった。
こういった断り方も慣れているなぁ、と感心して傍らで見ていた。
日本にいるとあまり物乞いに出会うことはない。
だからいざ出会うと、どう対応していいのかわからず、無視したり、追い払ったりしてしまう。

南アの路上には実に様々なタイプの物乞いが存在する。
今まで南アで出会った物乞いは、基本的に「金をくれ」だったので、今回の「仕事が欲しい」に驚いたのだ。
やはり物乞いのレベルも都市部では違うのか?
世界は決して平らではない。
ボコボコしていて歩きにくい。
Gerryのような人は世界を平らにするような人なのかもしれない。
彼はおんボロ車に乗って、友達とルームシェアをしている。
決して裕福ではない。
自分は最低限生活ができればいいのだという。
清貧という言葉が浮かぶ。

世界を均す。

私もそのつもりで協力隊に参加した。
でもそんなに甘くなかった。
彼らは自ら平らにしようとはしていないし、いやむしろ平らというより、チャンスがあれば自分が山になろうとしていた。
だから私は、世界なんて平らになる必要ないのかもなぁ、と思ったりしたこともあった。

それでもやっぱり這い上がろうとしている人を見ると、平らになるべきなんだろうな、と思う。

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