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2013年9月11日水曜日

トルコの事件

先日トルコで日本の大学生二人が殺傷される事件が起きた。
私の旅程にもトルコが含まれているし、この二人のように大学時代に旅し、
世界を舞台に挑戦していこうという友人が身近にいるので、とてもこの事件を身近に感じた。

今回の事件の一連のニュースを見ていて感じたのは、
「親日的なトルコで!?」的なやたらとナショナリズムを絡めた報道がいやらしい、ということ。

どんな国だって人を殺める人がいれば、人を救ってくれる人がいる。
その事実をたった「親日的」という言葉だけで見るものに忘れさせようとするテレビ局の姿勢に嫌気がさす。

カテゴライズして述べようとする姿勢はしばしば極めて有効だが、同時に危うさを含む。
特に国や国民を性質によってカテゴライズする事は、政治の上ではとても重要だ。
旅するときにはそれは自分の目を曇らせ、見えるものも見えなくなる。

私自身、南アフリカで生活する中で、
「もー南ア人は○○○なんだから、困ったもんだ」(○○○には大体ネガティブな言葉が入る)
と言ってある種の諦観をもって接することがあった。
それは「彼らを理解しようとしてもなかなかできない」または「物事がうまくいかない」事に対する自分の力の無さを隠そうとする、
体のいい理由になっていたんじゃないかと思う。
そうして自分は楽をしようとしてきた。

それでは何も解決しないし、いい関係を築いていけない。
今回の旅では先入観を捨て、ラベルを付けないでやっていくことを目標にしようと思う。

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