エチオピアはかつて王国であった。アラビア圏の南部に触れるか触れないかの位置にあるため、歴史的にもアラブの交易やキリストやイスラム、ユダヤの影響を色濃く受けてきている。かの詩人ホメロスもエチオピアに言及しているほど、古くから歴史の舞台に上がってきている。宗教は独特のエチオピア正教なるものが人口の半分弱を占めており、教会に掲示される十字も雪の結晶のような繊細なものが多い。人々が首から下げる十字も菱形に近い十字であることが多い。エチオピア正教はユダヤ教の流れを汲んでおり、ユダヤ教に見られる割礼や食べ物の制限、屠殺方法など文化的共通点も多く見られる。
昨日宿で出会ったモーゼ君もエチオピアから祖父の代にイスラエルに移り住んだユダヤ人で、アムハラ語とヘブライ語を話す。英語はあまり使えないようだった。キリスト教が広まる以前はエチオピアにもユダヤ教徒は多く住んでいたが迫害などを受けてイスラエルやアメリカへ移り住んだ。現在はタナ湖周辺に少数が残るのみだと言う。
近代以降になってキリスト教が入った南部及び東部アフリカとは違い古くからキリスト教と関わってきたエチオピアには古い修道院や教会が多く残る。またキリスト教とともに歩んできた王国の足跡も各地に残されている。
昨日宿で出会ったモーゼ君もエチオピアから祖父の代にイスラエルに移り住んだユダヤ人で、アムハラ語とヘブライ語を話す。英語はあまり使えないようだった。キリスト教が広まる以前はエチオピアにもユダヤ教徒は多く住んでいたが迫害などを受けてイスラエルやアメリカへ移り住んだ。現在はタナ湖周辺に少数が残るのみだと言う。
近代以降になってキリスト教が入った南部及び東部アフリカとは違い古くからキリスト教と関わってきたエチオピアには古い修道院や教会が多く残る。またキリスト教とともに歩んできた王国の足跡も各地に残されている。
私の旅におけるエチオピア最後の都市ゴンダールGonder、ここには1636年にファシラダス(Fasiladas)王が都を移して以来、1755年イヤス2世(Iyasu Ⅱ)の崩御まで栄えた街である。その後もしばらく都として残るが各派閥が争い合う不安定な時代で、もはや王は傀儡に過ぎない存在にまで落ちてしまっていた。
ゴンダールの街の真ん中にドーンと石造りの壁に囲まれた空間がある。王の囲いと呼ばれるその中に、かつて栄華を極めた王たちの住まいである宮殿があった。宮殿というと美しい白壁で金や色のタイルで装飾が施されているイメージがあるが、ゴンダールの宮殿は石造りのまさにその石の色(黒や灰、茶などの)で暗い印象を受けた。蒼と茂る草ぐさの中、どうと構えるそれはまさに遺跡らしい華やかさとは無縁の遺物であった。
ゴンダール建築の特徴は卵型のドーム屋根を持つ尖塔にある。無骨な石積みの外見に突如ツルッとした滑らかな卵が屋根に現れる。石積みもジンバブエの積んだだけで支える構造ではなく、石と石の空隙にはモルタルの様な、しかしもっと柔らかい材で石灰石を砕いて練ったものの様なものが詰め込まれ補強されていた。エチオピアは石には不足せぬと見えて、これでもかというほどに石が積み上げられていた。死んだように暗く静かな色の石壁に、雨季の水分を吸って勢いづく小さな草や苔、羊歯が石の隙間に僅かに滞った土に命を燃やす。遺跡の鑑賞はこの対照がたまらない。死に息づく生。生の下に眠る死。
もう一つ面白いのが王様が変わる度に次々と自分の宮殿を敷地内に建てていった。周りの囲いはいつ閉じたのか。新たに建てるごとに拡張していったのか。だとしたらその無計画っぷりになんとなくアフリカを感じる。そしてそれぞれの宮殿が違った時期に違った影響を受けているので特徴が異なり興味深い。これらはポルトガル人やインド人、ムーア人の影響を受けているようだ。イヤス1世は肌の病気を持っていたようで、トルコ風呂を造って療養に励んだという。トルコ風呂は日本語だと如何わしい感じだが、小学生でも入れるくらい真面目な施設だったのだろう。浴槽と思われる枠に腰掛けて行けなくなったトルコへ思いを馳せていたら「そこに座らないでね!」と注意されてしまった。おっと悪い。柵も何もないオープンな感じの世界遺産だから、つい行き過ぎてしまった。実際通路に崩壊した壁があって、踏み越えていくとかね。
そうそう最近まで、と言っても二十年以上前だが、アビシニアライオンなるエチオピアに住むライオンが中心にある檻で飼育されていたそうだ。それにしてもライオンにしては随分小さく陰湿な檻で、きっとおかしくなって檻の中を行ったりきたりしていたに違いない。王は自分の姿を檻の中の百獣の王に見ることもあったか、どうか。なかったとしたら、まぁ幸せな王様だったに違いない。
ゴンダールの街の真ん中にドーンと石造りの壁に囲まれた空間がある。王の囲いと呼ばれるその中に、かつて栄華を極めた王たちの住まいである宮殿があった。宮殿というと美しい白壁で金や色のタイルで装飾が施されているイメージがあるが、ゴンダールの宮殿は石造りのまさにその石の色(黒や灰、茶などの)で暗い印象を受けた。蒼と茂る草ぐさの中、どうと構えるそれはまさに遺跡らしい華やかさとは無縁の遺物であった。
ゴンダール建築の特徴は卵型のドーム屋根を持つ尖塔にある。無骨な石積みの外見に突如ツルッとした滑らかな卵が屋根に現れる。石積みもジンバブエの積んだだけで支える構造ではなく、石と石の空隙にはモルタルの様な、しかしもっと柔らかい材で石灰石を砕いて練ったものの様なものが詰め込まれ補強されていた。エチオピアは石には不足せぬと見えて、これでもかというほどに石が積み上げられていた。死んだように暗く静かな色の石壁に、雨季の水分を吸って勢いづく小さな草や苔、羊歯が石の隙間に僅かに滞った土に命を燃やす。遺跡の鑑賞はこの対照がたまらない。死に息づく生。生の下に眠る死。
もう一つ面白いのが王様が変わる度に次々と自分の宮殿を敷地内に建てていった。周りの囲いはいつ閉じたのか。新たに建てるごとに拡張していったのか。だとしたらその無計画っぷりになんとなくアフリカを感じる。そしてそれぞれの宮殿が違った時期に違った影響を受けているので特徴が異なり興味深い。これらはポルトガル人やインド人、ムーア人の影響を受けているようだ。イヤス1世は肌の病気を持っていたようで、トルコ風呂を造って療養に励んだという。トルコ風呂は日本語だと如何わしい感じだが、小学生でも入れるくらい真面目な施設だったのだろう。浴槽と思われる枠に腰掛けて行けなくなったトルコへ思いを馳せていたら「そこに座らないでね!」と注意されてしまった。おっと悪い。柵も何もないオープンな感じの世界遺産だから、つい行き過ぎてしまった。実際通路に崩壊した壁があって、踏み越えていくとかね。
そうそう最近まで、と言っても二十年以上前だが、アビシニアライオンなるエチオピアに住むライオンが中心にある檻で飼育されていたそうだ。それにしてもライオンにしては随分小さく陰湿な檻で、きっとおかしくなって檻の中を行ったりきたりしていたに違いない。王は自分の姿を檻の中の百獣の王に見ることもあったか、どうか。なかったとしたら、まぁ幸せな王様だったに違いない。
この宮殿から2kmほど離れたところに、余暇に利用されていたと考えられる別邸があるというので行ってみた。同じ切符で入れるので行かなきゃ損、の貧乏根性が現れ出て行ってしまった。ミニバスで途中まで行って少し歩く。途中昼飯に好物サンブーサと甘い紅茶を。
行くが場所がわからん。子供が教えてくれた。相変わらずなんの標識もなくて愛嬌がある。秘密の園かっ。
近くの芝生で寝転んでいた男が受付だった。見学者は私だけだった。本当に秘密の園みたいに大樹が枝を張り、空を隠して、またひっそりとして。ファシラダスの風呂と呼ばれるこの別邸には大きなプールがある。とは言っても現在は一年に一回ティムカットと呼ばれるキリスト教のお祭りの時だけ水が張られる。そして何百、数千の人々でごった返し、このプールに人々が叫びながら飛び込むと言う。今日の静けさからは想像もできない数日が一年に一回あるという事だ。
行くが場所がわからん。子供が教えてくれた。相変わらずなんの標識もなくて愛嬌がある。秘密の園かっ。
近くの芝生で寝転んでいた男が受付だった。見学者は私だけだった。本当に秘密の園みたいに大樹が枝を張り、空を隠して、またひっそりとして。ファシラダスの風呂と呼ばれるこの別邸には大きなプールがある。とは言っても現在は一年に一回ティムカットと呼ばれるキリスト教のお祭りの時だけ水が張られる。そして何百、数千の人々でごった返し、このプールに人々が叫びながら飛び込むと言う。今日の静けさからは想像もできない数日が一年に一回あるという事だ。
敷地はここもやはり石壁で囲われており、門をくぐると40m先の正面に小さな石造りの建物が見える。その周りにお堀のようにプールがあるのだ。つまり建物が小島のようになっている。そして建物へは一本石造りの橋が通っており、その橋の下はアーチ上にくり抜かれて泳いでくぐれるようになっている。水を張ったら深さ3-5mくらいになりそうだ。ティムカットの時は2週間かけて水を張るという。
プールの周りはプールサイドのごとく広場がとってあり、プールから上がって緩やかな午後を過ごすにはもってこいだ。かつて貴族が水浴びした光景が目に浮かぶ。
そのプールサイドの外側は少年の背丈ほどの石積みの壁が張り巡らされており、その石積みを鷲掴むように根を張る大樹たち。仄かに暖色を滲ませた燻し銀の根っこ。しめやかなる空気が一帯に満ちている。木々の葉のざわめきも殆どない。水たまりに落ちる木の葉の音が聞こえてきそうだ。これがこの別邸の目玉だ。網の目のように石を押さえ込むその姿は豪快だ。きっと壁の上に落ちた種が芽生え、壁の上でしばらく成長した後、仕方なしに石壁を伝って根を地に伸ばしたのだろう。人の寿命は短いが木は人よりも少し長く生きる。だから人がいなくなって消えた記憶もきっと木は知らない裡に秘めているに違いない。でも人も負けちゃいない。文字を使い、今ではデジタルに記憶させて留める術を発明した。でも、なんというか、あまりにそれに頼りすぎて大事な記憶も自分の中に取り込み忘れてしまう事がありそうで怖い。些細な記憶も大事できたらそれは煩雑になるけど、やっぱり素晴らしい。
プールの周りはプールサイドのごとく広場がとってあり、プールから上がって緩やかな午後を過ごすにはもってこいだ。かつて貴族が水浴びした光景が目に浮かぶ。
そのプールサイドの外側は少年の背丈ほどの石積みの壁が張り巡らされており、その石積みを鷲掴むように根を張る大樹たち。仄かに暖色を滲ませた燻し銀の根っこ。しめやかなる空気が一帯に満ちている。木々の葉のざわめきも殆どない。水たまりに落ちる木の葉の音が聞こえてきそうだ。これがこの別邸の目玉だ。網の目のように石を押さえ込むその姿は豪快だ。きっと壁の上に落ちた種が芽生え、壁の上でしばらく成長した後、仕方なしに石壁を伝って根を地に伸ばしたのだろう。人の寿命は短いが木は人よりも少し長く生きる。だから人がいなくなって消えた記憶もきっと木は知らない裡に秘めているに違いない。でも人も負けちゃいない。文字を使い、今ではデジタルに記憶させて留める術を発明した。でも、なんというか、あまりにそれに頼りすぎて大事な記憶も自分の中に取り込み忘れてしまう事がありそうで怖い。些細な記憶も大事できたらそれは煩雑になるけど、やっぱり素晴らしい。
最後に行ったのはデブラ・ベルハン・セラシエ教会(Debre Berhan Selassie Church)。この教会は18世紀に建てられたとされ(1690年に建てられた最初の物は雷で壊れた)、19世紀後半に起きたスーダンムスリムの大規模な教会破壊でゴンダールの他の教会が被害に合う中、蜂の群れがスーダンムスリムを追い払って難を逃れたという話が残っている。
屋根は竹と木で骨組みが組まれそこに萱が葺いてある。その屋根に青草や苔が生えている様は日本の古い農家を彷彿させる。建物自体は石造りだ。
屋根は竹と木で骨組みが組まれそこに萱が葺いてある。その屋根に青草や苔が生えている様は日本の古い農家を彷彿させる。建物自体は石造りだ。
中に入ると壁一面の絵に囲まれる。キリストが磔にされている絵から、天使やマリア、馬に乗った王様、最後の晩餐。そして一番興味深かったのは日本の絵本で見るような閻魔様の様な鬼が悪魔として描かれていた事。やっぱりエチオピアはなんとなくアジアに近い。天井には顔に直接翼が生えた天使が100体以上も描かれており、その顔がどれも困り眉毛で、あれこの顔どっかで見たことあるぞ、と思ったらエチオピア女性の顔だった。困り眉毛の島崎遥香もエチオピアの困り眉毛もまたよろしである。
壁に描かれたキリストやマリアの顔はゴシック時代の絵を半分柔らかくしたようなもので、中東系の顔なんだけども、その他諸々の人物はエチオピア人の顔で小さく微笑んでしまった。
壁に描かれたキリストやマリアの顔はゴシック時代の絵を半分柔らかくしたようなもので、中東系の顔なんだけども、その他諸々の人物はエチオピア人の顔で小さく微笑んでしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿