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2014年7月1日火曜日

戦争を放棄した国

倉庫番のエドウィンにこんなことを聞かれた。

日本は世界大戦で負けて戦争を放棄したんだよね。

日本といったら、車、空手、テクノロジー、サッカー、、、ぐらいしかアフリカではあまり話題に上らなかったのでこの質問に驚いた。
今までも歴史の授業で原爆の話はかなり印象的に伝えられているようで、
「日本語話せるよ」「え、なに?」「トウキョウ、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」
と言われたことはあったが、「戦争を放棄した国」ーーーー日本というよう形で日本を認識している(ことを口にした)人には初めて出会った。

しかし現在の日本の状況を鑑みるとこう答えなければならなかった。
「日本もね、憲法解釈を今変えているところで、もしかしたら戦争放棄しなくなるかもしれない」
特に彼は驚いた風でもなく、ふーんと言ってその話は終わった。

侵略戦争をしないと掲げている国はさほど珍しくはないだろうが、紛争解決の手段としての戦争を放棄している、または国際法上認められた集団的自衛権を放棄している国は聞いたことがない。だからこの平和憲法を世界遺産に登録しようなんて言う奇抜なアイデアが出てくるのだろう。

ネット環境が比較的いいので、日本から遠く離れたアフリカでも日本のニュースが入ってくる。
都議会のヤジに加えて、泣き男の会見、一次リーグ敗退、そしてやはり最近のトップニュースは集団的自衛権の閣議決定だろう。
私が日本を発ってから秘密保護法が決まり、河野談話の見直し、さらに憲法九条の解釈変更を安倍政権は推し進めてきた。安倍政権の良し悪しは置いておいて、やはりこれだけのことをこの期間にやり遂げた力は凄いと思う。ここ十数年のショートトラックリレーとは何かが違う。東日本大震災があって、色々な分野が打撃を受けて日本全体が腰を据えて将来を考えないと、こりゃまずいという風にでもなったのだろうか。とにかく短命政権では何も変わらないということに気づいた。
その激しい変化の間すっぽり日本にいなかった私は何だか完全に取り残されてしまっている気がする。日常生活で言えばスマートフォンが普及し、LINEで人々が縛られ(閉じたイメージを持ち束縛の意味合いを含むROPEの方があっているんじゃないか)、益々ゆるキャラの社会的地位が高くなり、AKBの総選挙は政治選挙を乗っ取りそうだし、今年のボーナスが、、、とやはり別世界を見ているようだ。
日本に帰ったら浦島太郎確実だなと感じる。どうか皆さん、そんな太郎を見捨てないでリハビリしてあげてください。

さて、平和。
一人の平和を勝ち取るのはそこまで難しくないが、国の平和、ひいては世界の平和なんて言ったら、一体どれだけのエネルギーが必要なんだろうか?そもそも平和を勝ち取るべくエネルギーを使う考えが間違いなのかもしれない。平和とは安らかなことだからねぇ。

日本は戦後、憲法九条のおかげで平和な時期を過ごしてきた。とか言われることがある。でもそれは一つの側面であって、日本が平和でいられたのは、アメリカとの安保があったり、周辺国の微妙なバランスがあったり、世界の大国同士の戦争を避けようとする流れ、更には宗教的なしがらみがなかったから平和でいられた。歴史は検証実験ができないので憲法九条の平和への貢献度を測ることはできないが、ともかく憲法九条だけが平和へ貢献したというのはいささか傲慢な気がする。
確かに平和憲法は素晴らしいし、いつかはそれが当然になるのが望ましいが、今の段階ではまだ早い。
平和憲法のおかげでアメリカ依存が強く、どうしてもアメリカの顔色を見て行動せざるを得ず、何だか主権国家として少し弱い。そして一番悲しいのは喧嘩っ早くやんちゃなアメリカを友人でありながら意見することができない。中東戦争だって、イラク戦争だってアフガンだって、アメリカが戦争へ強引に進もうとしたときに、日本は一緒に流れることしかできなかった。フランスやドイツみたく、攻撃を支持しない!と言えるだけの強さ(軍事力ではなく。もちろん強さだけでなく各国の利権に関する算段もあったのだが)が日本にはなかった。

平和憲法があって、アメリカ頼りで、独立していないから平和活動に対する日本の発言力は先進国の中でも弱いように感じる。(そもそも軍事介入が平和をもたらすかという議論はあるが。現状は国連などの機関もまだまだ平和活動を模索状態で、効果的な機能を発揮しているとは言い難い)
また日本は国全体が憲法によって守られているから深い議論に入る前に「うちは憲法が派兵を許さないから」と言って門前帰宅だ。そのような状態では平和活動の議論へ積極的に参加することは難しい。

もちろん日本の強みは平和憲法というお守りのおかげで、軍事的な手出しをしない支援に集中できるということがあげられる。また平和憲法という存在が支援をしやすくしているという話も聞く。例えばこの話。http://www.asahi.com/articles/ASG732HC6G73UTIL002.html?iref=sp_alist_nat_n02
http://d.hatena.ne.jp/nice100show/20140520/p1
国際平和活動の最前線で活動してきた人が言うだけあってとても納得させられる。平和憲法を持つからこそ信頼して支援を受け入れてもらえる。丸腰で行くから狙われない。確かにそういう側面もあるのだろう。しかしそれはどの地域にも当てはまることなのだろうか。そもそも他国を支援しやすくすることをベースにして日本の憲法を組み立てるのは人が良すぎる。まずは自分の国を守ることを最優先に考えるのが自然な流れではないか。

加えて憲法の縛りのおかげで外交において明確なメッセージを発しにくい。アメリカが戦争へ行くとなって、日本は同盟国だから「支持」とは言うが憲法の縛りのおかげで軍事的な協力はしない。なんなのだこの支持は。お友達だから暴挙に目をつむる。同盟国だけど「うちは戦争放棄しているから」一緒に戦えない、という。自分に痛みがないから安易に支持に流れる。
本当に世界の平和を求めるなら、やんちゃなアメリカが早とちりしそうになったら、それを外交で止めるだけの力を持ってほしい。一緒に戦うという選択肢もあるが、今回はあなたが間違っている、だから一緒に戦えない。というメッセージをしっかり発信してこそ世界平和への貢献ができるのではないか。今の憲法と外交のスタイルでは日本は世界の安定に政府の外交的な寄与はしにくいように見える。もちろん国際平和活動は民間で行われているものも多く、それらを邪魔しないように(前述の話など)バランスを取って行う必要はあるが。

新聞社のニュースサイトや各個人のブログでの護憲派、改憲派の議論を読むとそれぞれが相手の事を「国の事を考えていない」「平和ボケ」「軍国主義」とか言う言葉を使って誹謗しているのがよく目に付く。ひどいものは各種言論人の人格否定までしている。正直うんざりする。そういう罵倒が何のためになるのか、いや見出しで目を引くのには一躍買うだろうが、全くより良い方向に持って行くのに役に立たない。多くの人が平和を求める姿勢は同じだし、安易に暴力で国際問題を解決しようなんて今の時代思う人は稀だろう。遠くに見ているものは同じだが、そこまで行くプロセスに違いがあるだけじゃないか。もっとお互いが信頼し合える部分を確認し合い、そこからお互いのコンセンサスが取れるような議論を積み重ねていく必要があるように思う。
そういう意味でこの人の意見にはすごく同意した。
http://agora-web.jp/archives/1602408.html

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