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2014年6月30日月曜日

パスポート君の出張

私のパスポートが日本へ一時帰国を兼ねて出張に出かけていた。
日本のエチオピア大使館に用事があったようで今日用事を終えて無事に帰ってきた。

彼は国際宅配便DHLを利用していたのだが、そのシステマティックな様子と快適な旅にいたく感激していた。
私ははじめ彼の出張を聞いたときには無事に帰ってこれるのか?と心配したが、DHLの追跡機能と仕事の素早さにそれらは杞憂に終わった。

そうして私は彼とエチオピア入国できることになった。
それにしても在日エチオピア大使館の担当の女性の文字が可愛らしくて、ふと先日書いた「かわいい至上主義」を思い出した。

2014年6月28日土曜日

記憶の栞

べっこう飴の斜陽の中 花を拾った

爽やかなレモンを滲ませた白の

少しぽてっとした花 プルメリア

花びらは ひんやりとして 渦を巻いている

吸い込まれるように 鼻を近づけてみる

涼しげな そして甘い 懐かしい香り

いつしか私は 過ぎ去った時の どこか別の場所の

清涼な空気を吸っていた

一つの落ちた 花の記憶の中で



人の記憶って不思議だ。ちょっとした外的刺激でいつかの記憶を猛烈に呼び覚ますことがある。それは香りであったり、音楽であったり、視覚であったり。またはそれらの複合的な刺激だったり。
そういうふとした記憶との邂逅ができるのも三十年生きてきたからこそ。歳を重ねる喜びってのはそういうところにあるのかなぁと思う今日この頃。アフリカで嗅いだ香りも記憶の栞としていつか現れてくれるに違いない。

プルメリアは日本ではそんなにメジャーじゃないので、おそらく似た匂いを持ち、ひんやりとした時期に咲くソケイ(ジャスミン)やジンチョウゲのある風景を私に想起させたのじゃないかと思う。

2014年6月27日金曜日

ハッピーバースデー トゥーユー

うちのレストランは結構誕生日会の場として使われることも多い。
今日は誕生日のお客さんが三組もいてにぎやかだった。にぎやかなのはお客さんだけではない。我らのウェイター、ウェイトレスもここぞとばかりに誕生日の歌を大声で楽しそうに歌う。普段からお調子者だが人のいいシリウス、いつも鼻歌が愛らしいアリー、いつもはクールなバリスタジェイク、紳士のヘッドウェイターキジトウがケーキを手に歌いながらお客さんのところへ持って行く。見ず知らずのお客さんの誕生日を楽しそうに祝う彼らの姿を見るとなぜだかニヤリとしてしまう。彼らは歌を歌うことや踊ることに本当に長けている。長けているのは上手か下手かということではなく、彼ら自身とても楽しんでいるということ。そういう生き方を是非とも見習いたい。

2014年6月24日火曜日

自転車のある風景3

タンザニア

タンザニアの金属の採掘町で。警備員の建物の裏に泊めてもらった。久々のテントで雨にやられた。



私の自転車はどこ?


 宿にて。少しね、じめっとしていて快適じゃないんだけど、安値には頭が上がりません。


君の自転車と一緒に写真を撮ってもいいか?と聞かれた。ほう、俺ではないのか、と少し残念だったが自転車がヒーローになれたんだ、いいじゃないか。



ふふん、このムズングが何しているのか気になるのねー。ちょっと空気入れているだけよー。



 学校の先生は英語をつかえる人が多いので沢山声をかけてもらった。そうして生徒のような子供が聞いている。いい授業じゃないか。



道端喫茶にて。供される茶は、限りなく透明に近いテイストだったがブルーにはならなかった。なぜなら木洩れ日が美しく揺らめいて、そよ風が最高に気持ちよかったから。



タンガニーカの湖に向かう途中の宿で 。小さい町だったが宿はいくつもあり充実していた。



ジンバブエ以降、久々に人の気配のない場所だった。静かで静かでついつい雉撃ちに行ってしまった。





色々ごたごたもあったけど最後までフェリーまで送ってくれたラザロ。オンボロトヨタのピックアップで。





渡し料に彼女の十倍払わされた。しかし他に手段がなく仕方なかった。代替手段を持たなかった私の負けだ。見てくれ、ムズングから金を巻き上げたおっちゃんの嬉しそうな顔を。



 砂時計のようにじわりじわりと沈んでいく。水掻きは客の仕事。沈みたくなかったら水掻きな!ってか。



湖のブルーが印象的だった。きれいな湖に汚い箱が一艘浮かんでいる。



カモも乗船中。俺は$50払ったが、お前は払ったのか?俺は喰われないが、お前は喰われる。お前も$50払えば喰われないんじゃないかな。



 いや、昨夜は雨がすごかった。私は最初ベンチの上で彼らの厚意によって体半分のスペースをいただいて寝ていたが、強風と雨で寝るのを諦めた。そしていつしか私も彼が寝ている場所で寝ていた。


タンガニーカの畔にて。船の写真を撮っていたら俺たちもと。




港町キゴマで。バイクタクシー(ボーダボーダ)の兄ちゃんに自転車に乗らせてくれと頼まれる。すると「俺の技を見てくれ」と静止してみせてくれた。




ブルンジ

軍服の男と話していたら子供や女がやってきてその会話をじっと聞いている。いやぁ、大したことはなしていないんだけどね。


山並みと自転車を撮ろうとしていたら「俺も」と言わんばかりにフレームに入ってきた。どうぞおはいりなんせ。



ルワンダ

植林されたユーカリの木が吐く呼気が清々しい。



少しおしゃれしようとバナナを積んでみた。




キガリからの急登の途中で。休んでいたらどこからともなく人が。道沿いには家なんかないし、人っ子一人見なかったんだけどなぁ。そう斜面に家があるんです。



ウガンダの国境で。国境は物流の要所だ。ものが行き来するだけでビジネスになる。ジーンズを運ぶ男。


ウガンダ

トイレが遠い宿だった。



田舎を走る国道の傍らに一軒小さな露店があったので寄ったらそれはそれは太くて立派なサトウキビが売られていたのでした。トマトに、バナナ、アボカド、青い空 彩り豊かな休憩であった。



重力が恨めしいこともあったことは否めないが。



山を切り開いて造った九十九折の道をひぃひぃと登る



 自分の登ってきた道を感慨深く眺めていたら子供がやってきた。何かを求められるのかとドキドキしていたらただ見ているだけだった。ドキドキした自分が少し嫌いになった。



道に飛び出した牛への衝突を避けるべく転んで負傷した私を暗闇の中宿まで案内してくれたヒラリー君の愛の巣で。彼の愛妻が作る料理をたくさん食べてしまった。七面鳥がペット兼非常食。

2014年6月23日月曜日

回転寿司

今日は回転寿司屋の話をしたい。とは言っても寿司が回転する日本の寿司の話ではない。人事の回転の速い寿司屋(正確には寿司バーと呼ばれている)の話だ。

私が働き始めたのは四月の中ごろだから早二カ月が過ぎた。その中で26人いるスタッフに新しいスタッフが7人加わり、9人抜けた。回転が速い。回転寿司で言ったら「お、しめしめ、ツブがやってきたぞ」と構えたらいつの間にか通りすぎて手の届かない所に行って仕舞う心持ちだろうか。いや大好きなツブだと思ったらナメクジだったという感じかもしれない。

というのも多くは解雇。解雇の理由は盗みや行動が怪しい、またはオーナーに虚偽を働く。というものだからだ。ドライバーで雇っていたコールは兼ねてからガソリンを盗んでいる疑いがあった。いれたばかりのガソリンが数日のうちになくなっていることが幾度かあったのだ。そしてそう言った疑いとともに彼にとどめを刺したのが、仕事中(運転中)に車を止めて私用の電話に出たことだ。上司のアーロンの「それは緊急の電話か?」という質問を無視して、再び尋ねたアーロンに憤慨した態度を見せた。これで彼という寿司は諸々の疑いとともにキッチンのゴミ箱に廃棄され再びコンベアーに姿を見せることはなくなった。

次はバーテンダーのパトリオット。しばしばスタッフが隠れてチョコチョコ余り物を食っているのはオーナーも知っている。それは日本の飲食店のスタッフもそうなので特に違和感はない。しかし時にはその範囲を超えて、余り物ではない物までも手を付けてしまうのが人間の弱さであり、また人間らしいところでもあるのかもしれない。これもアフリカに限らずどこでも起こっていることだ。
パトリオットはある日、客が注文していないカクテルを3杯分ほど作ってカウンターの下に隠していた。それをオーナーが見つけてしまったのだ。即座にオフィスに呼ばれ尋問が始まった。この尋問を切り抜けるためにパトリオットにはあるアイデアが浮かんだ。「あのお客さんはいつもこのレシピのカクテルを注文するから」と言う出まかせを放つ。しかしオーナーはすぐにお客さんに確認してそれがウソであることを突き詰めた。次にパトリオットが考えたのは、どこかおっとりしていて、怒られてもじっと聞くようなタイプの新人ウェイトレスのジュリーが「この作り方で作って」と頼んできたという話をとっさに考え付いた。しかしそんな子供だましのような嘘は本人に尋ねればすぐにわかること、ジュリーが呼ばれすぐに彼のウソがばれた。
ダブルでウソがばれたパトリオットは完全にオーナーの信用を失った。オーナーの「この酒は盗もうとしたのか?」という追求は激しさを増していく。しかしパトリオットは言い訳を次々とだしてくるだけで一向に白状も謝罪もしない。
おそらくオーナーは彼が罪を認めて謝罪をすぐにしていれば解雇するまでには至らなかっただろう。しかし彼は嘘を付き、もっと悪いことに自分より立場の弱いものを陥れようとした。それにオーナーは激怒して胸ぐらをつかんで大声で彼に詰め寄った。勿論お客さんに見えないように会計オフィスのドア閉めて。

全てのスタッフではないが彼らの殆どは、何か疑いをかけられて質問されると面白いくらいにその質問への答えを返さずに、頓珍漢な言い訳や返答が返ってくる。イエスかノーか?という質問でもイエスかノーの答えは返ってこない。圧倒的に強く詰問した時は何とか答えは得られるが、必ずbut...とスカートの裾を踏まれる。論理だって話を進めようとすると本当にしんどいことがある。これだけの数そういう場面に遭遇するとこれはもはや社会現象とすら思えてくる。
かつても自己弁護のきらいが強いことは書いたが、この背景には常に自分の失敗やミスが明らかになった時にひどい目に遭わされるという「怯え」が見え隠れしているように思う。

誰だって失敗した時、罪を犯した時はできるだけ自分の罪を軽くしたいと思う気持ちはある。だから言い訳をする。でもその言い訳は多くの場合徒労に終わる。徒労どころか悪印象さえ相手に与えてしまう。それを彼らが分かっていない。のではない。言い訳することが徒労に終わったり、悪印象を与えるのは日本や西洋だからなのではないか、ということ。

少し生き物の世界のルールに沿って話したい。自然淘汰という言葉は人間世界にも比喩的に用いられるので聞いたことがあると思う。日本だったら高校の生物でも習うし。
寒い環境で生きるウサギみたいなものを想像してほしい。ウサギは毛がモフモフで可愛いなぁ。とは言ってもその毛は本来は人間に愛でられるためにあるのではなく、寒さや外部の刺激から身を守るためにある。寒い環境で毛が細くモフモフで保温性に優れた奴と、毛が剛毛で粗い保温性の劣る奴では、その他の性質が同じ場合、毛が細い方がそうでないものよりもより寒さに強く生涯のうちで多くの子供を残せることは容易に想像できるだろう。そしてこの毛の性質が遺伝的に決まっているものであれば子の世代には細くて保温性に優れた毛を持ったウサギがそうでないものよりも多くなる。それが何世代も続けば寒い地方ではモフモフウサギが固定されてくるわけだ。これが自然選択。
しかし暖かい地方ではどうだろう?保温性が高すぎると熱がこもって熱中症になってしまう。ウサギは暑さに思いのほか弱い。だから暖かい地方のウサギは毛はあるが、剛毛で密度が小さい。気がする。正確に調べたことはないが。
またウサギの耳は発熱の役割も持っているので暖かい地方のウサギ耳は大きく、寒い地方の耳は小さい傾向がある。

何が言いたいかというと、あるものの性質というのはそれが生活する環境が大きく影響しているということと、それが優れているかどうかも環境に大きく左右されるということ。だから生物には絶対的に優れたもの、最強の生物なんて存在しない。敢えて言うなら現存する生物はみな最強。

人間の性質も同じ。
アフリカでは自己弁護が徒労に終わらないし、それが日本ほど悪印象になることも少ないように感じる。それは彼らの社会が論理よりも対話の積み重ねが大事であること、あまり後に引きずらない性格であることに起因しているように思う。さらに「あいつは俺のことをよく思っていない。俺の○○がなくなった。あいつが盗んだに違いない」と言ったようなとんでもない嫌疑が頻繁に降ってくる。これではうかうかしているととんでもない嫌疑をかけられる豚箱に連れていかれてしまう。

一方日本はどうか?
色々な決まりが定められ、科学や技術に裏付けられた論理が大事にされる。日本は相手への印象からその後のその人への対応を決定する因果応報の傾向が強く、印象が後に引き続く。さらに日本では潔いことを良しとする文化、加えて比較的人を疑わず、それゆえとんでもない嫌疑をかけられることが少ないという性質のために言い訳する人が少ないように感じる。


人間の社会ってのは複雑で見ていて飽きない。そして私も誰かに観察されて面白いと笑われているのかもしれない、と思うと益々まともになんて生きていられない!

2014年6月22日日曜日

自転車のある風景2

ジンバブエ

ジンバブエに入ってすぐの警察署にて。敷地内に警官の官舎があり、そこには人々の生活が色濃く滲んでいた。私の小さな家に興味があるのだが初めは警戒して近づかなかったが、一人のなつっこい男の子(ジャージ姿で私のヘルメットを被っている)を皮切りに次々と集まってきた。



グレートジンバブエに向かう途中で。道脇を牛飼いの家族がゆっくり通りすぎる中、パンクを直していたら立ち止まって眺めていた。何を話すでなく、ただじっと見つめており話しかけるとはにかんで顔を見合わせていた。修理が終わって去ろうとすると彼らも満足したのか別の方向へ去った。



 ジンバブエはさすが石の家の国。道路脇に少し入った場所に休憩所があり、大きな石をごろっと転がした空間があった。石がひんやりと汗かいた体に心地よい。



 ブラワヨからマスフィンゴへ向かう途中の休憩所になっている町。あれ、人が誰もいない。写真を見返して気づいた。ここは食堂で、実際はすごい人でにぎわっていた。この写真は一瞬の隙を突いた奇跡の一枚。



キリスト教会を中心に成っていた町。キリスト教的な博愛精神が根付いているなぁと感じた。エンジニア系の職業訓練を受けている若者の家にて。彼らの決して豊かではないが愛情と誠実さのあるサザをいただいた。



ハラレからザンビア国境へ向かう途中の川にて。睡蓮が青空を映す川面に静かに咲いていてハッとした。穏やかな午後のひと時。



ザンビア

 どこの町だったろうか、とにかくにぎやかな街で埃と喧騒に包まれていた。道端で山羊の臓物煮が売られていたのでふらりと。あぁとにかく臭い一杯だった。



 ルサカからマラウィへ向かう長ーい国道で。時折現れる人の気配に安心していた。



 道端商売はザンビアではどこでも見かけた。おかげで買い食いが旅の楽しみであった。写真を撮っている後ろでトマトとマンゴー、バナナを売っていたおばちゃんたちが何かをささやき合っていた。変なムズングが~とでも言っていたのだろう。



炭焼きを現金収入としていた家にて。敷地に建つ屋根付きの場所を空けてもらった。ここで貰った水は茶色いなぁと思って聞いたら裏の小川から汲んでいた。朝から子供たちの声でにぎやかだった。



村の農家のマンゴーの木の下に泊めてもらう。ここに限らずザンビアは女性が主の家が多かった。男はいてもコバンザメみたいな存在。おばあちゃんと娘姉妹が住んでおり、よくわからない位置づけの男たちが5、6人住んでいた。



 ザンビアはそこらじゅうに井戸があり、あまり水には苦労しなかった。



俺を撮れ、と言う。そんなオジサン。ズボンのナチュラルダメージがイカシテイルぜ。



小さな店で買い食いしていたら雨が降ってきた。店の裏の物置で雨宿りをさせてもらっていたら子供達が集まってきた。結局この日はここで泊まらせてもらった。酔っ払いのおじさんもやってきた。



ザンビアとマラウィには自転車タクシーがいる。なかなか屈強な男たちで、次々と私に勝負を挑んでくるから疲れる。彼らのデコトラならぬデコチャリはユニークだ。彼らにはよく「おースゲー!オリジナルじゃんかー!」と私の相棒は褒められていた。



マラウィとの国境近くでザンビアクワチャを使いきるために寄ったスーパーで。タクシーの運ちゃんに「俺に乗せてくれよ」と言われた。そして彼は自分のタクシーのキーを私に預けた。ん?これは人質ということか???


マラウィ

マラウィに入ったのは夕方だった。勝手の知らない新しい国での泊まる場所探しに一抹の不安を抱いていたが、自転車好きの彼に誘われてその日も寝床を確保できた。奥さんの美味しい料理も頂いて、至れり尽くせりの歓待を受けた。



リロングウェに向かって入っていたら眠くなったので安全そうな学校の門の前で寝転がってうとうとしていたら下校生徒に囲まれてしまった。この数は少し怖いよ。



もうすぐでリロングウェ。少し荷物を減らそうと思うの。どうかな?



リロングウェの黄昏時。自転車タクシーの兄ちゃんが屯しているところにお邪魔した。"オリジナル"の乗り心地はいかが?というか乗り方間違ってますよ。サーカスじゃないからね。



リロングウェのマーケットにて。雨が降ると泥だらけでぐしゃぐしゃの場所だけど、フライドポテト+サラダが美味しくてついつい何度も足を運んでしまった。



サトウキビは食べるのが少し面倒くさいが自転車で汗をかいた後には旨い。いつも自転車に積んでいるわけではないよ。



出発前はアフリカはパンクを悠長に直すことができるんだろうか?と思っていたが、悠長どころか手伝ってくれる人と歓談しながら直していた。



ムズズまでの長い坂道の途中でポウポウ売りと。ポウポウを一つぺろりと平らげてしまった。


ムズズまで辿りつかずに寝床を探していたら綺麗な庭のある家を発見。そこは南アからやってきて、布教と農村の自立支援を行っているマークおじさんの家だった。庭には木苺やネギ、大豆などあまり地方では見かけない野菜などが植えられ、きれいに手入れがされてた。なんだかピーターラビットが出てきそうな家だった。



ムズズの町で自転車の修理



日本のサイクルショップの方の助けがあり何とか復帰。


リビングストニアからの急坂を下って迎えてくれたのはアイスちょうだいの子もたちだった。