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2014年3月13日木曜日

アフリカの貧国へ

ブルンジビザは一週間しかとっていないため、余裕を持って動くために朝暗いうちから行動開始。と言ってもブルンジは国の位置がタイムゾーン的にきわどい場所にあるため時計が7時を指してもなおまだ薄暗い。青い空気が大量の湿気を含んでおり今にも降りだしそうな気配だ。と思って準備をしていたら降りだした。しかもなかなか激しい。出るのを躊躇っていたがまったくやむ気配がないので出発。近くのチャイ屋で朝飯をとっていたら小降りになった。

少しぱらついているがしょうがない。行こう。何が嫌かって?ここタンザニアとブルンジの国境町マニョーブManyovuは標高が1750mを越えるため涼しいのだ。そんなところに雨が降れば氷雨となり寒い思いをしながら走らねばならない。それが嫌なのだ。今は宿どまりが殆どなので滞在中の不快さは気にしなくていいのでずいぶん楽だが。贅沢を言ってもしょうがない。

ブルンジの国境はやけに国境らしくなかった。タンザニア領内にブルンジ国境のサインが出始めた途端に道は赤土となり雨でぬかるみボコボコだ。えーせめて国境まで道造ってやればいいじゃん!タンザニア!今日の雨で松とユーカリがかぐわしい香りで共演している。白い空間にすらーっと伸びた黒い木が霧で霞んで様々な濃淡を見せている。




さらばタンザニア。そういえば越境について書くのは久しぶりかもしれない。越境というのは何かが起こりやすい場所であるだけにいつだってドラマチックなのだ。私はそのたびにワクワクしている。先に書いておくが、そんな期待を裏切ってブルンジ国境では何も起こらなかった。いたってスムーズだ。今回はビザを事前に申請。国境以外でのビザ取りは旅始まって以来だ。パスポートには読めない字で滞在できる期間などが書きこまれ、擦れて読めないスタンプが押されている。準備万端だ。

タンザニアの入管事務所がわからないまま進んでいると、不意に霧の中にブルンジの赤緑白の国旗が目に入った。屋根が張りだした軒下には数人の警察と事務官が屯しており、私に手招きしている。誘われるままにちょっとしたアパートほどの事務所に入った。他に越境者は見当たらない。事務官一人を相手に学校の出席簿みたいな帳簿に記入。ブルンジは公用語がフランス語とキルンジ語だ。英語が通じないかもなぁ、と思っていたら、入管に必要なことくらいは話してくれた。ビザも問題なくパスし、入国の許可が下りた。その後、この国境では珍しいムズングに対して(いや、ブルンジ全体で旅行者の数はまだまだ少ない。ムズングのほとんどは国連職員だ)いろいろ質問してくる。もちろんいつもと同じような質問なのだが、入管事務員がこんなに聞いてくることは初めてだったので新鮮だった。そういえばタンザニアのイミグレはどこだったのだろう。入国スタンプはあっても出国がないよ、、、でもブルンジに入ってしまったからいいのか?分からず仕舞いだ。

さてブルンジに入って20km弱は未舗装だ。しかも急登、泥んこ、雨。最悪だった。国境越えてすぐに小さな村があり、軒下にいる人々が私を視線で串刺しにしている。確実に30本は刺さっていた。私は知っているフランス語で挨拶してみる。「ボンジュール!」あまり反応がよくない。「ハバリ!」「サラマー」。スワヒリの方が通じるようだ。挨拶や数字は今のところ英語かスワヒリが多い。キルンジがスワヒリといくらか似ているせいもあるだろう。

英語を少し話す兄ちゃんが「チェンジ?」と近寄ってくる。タンザニアでブルンジフランを手に入れられなかったのでありがたい。交換レートを聞くと全然悪くない。個人両替なので多少の不利は覚悟していたが、銀行で替えるのと同じくらいだった。こういう辺りも観光客がほとんど来ないことを窺わせる。しかも交換が終わると楽しんでねーと見送ってくれる。

村の人々にも国境でありがちな"おねだり"が全くなくとても気持ちょよかった。ただし道が、、、泥でスリップする上に急登だ。自転車降りてゼェゼェ押していると、道を歩いていた兄ちゃんが押すのを手伝ってくれた。おぉー、そんなことまでやってくれるのか!?とこの最貧の小国ブルンジが楽しみになってきた。しかし最後には屈託ない笑顔でお金を要求されました。今までも何かしてもらってお金を要求されることは幾度となくあり、手伝ってもらうもんか、と何時も心に決めるのだが、新たな国に行くとやはり試してみたくなるのが人情で、国を動いている私はいつだってお金以外の繋がりを求めて彷徨っている。

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