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2014年1月12日日曜日

生きているなぁ、と思うとき

満腹になったところで後半戦に入る。
ビートリス(Beatrice)を越えると、あとは50km強だ。
時間も昼前だったので日暮れまでにはまだたっぷりある。
遅い時間に都市部で宿を探して回るのは少し危ないというだけの理由なので日暮れ前にハラレに入ればよかった。

時間に少し余裕があるとわかったところで休憩。
山登りでもそうだが、好きな時間は休憩時だ。
根っからの怠け者なのかもしれない。
勿論体を動かすこと自体が好きだから山登るし、自転車も漕いでいるのに違いはないのだが、あの休憩という名の至福の時間のために動いているといっても過言ではない。
活動の証拠として流れた汗が風に運ばれていくとき、命の源である水が喉を通って体に浸透していくとき。
そして動いているときにはゆったりと味わえなかった景色が脳裏に焼き付くとき。
あぁ、これなんだよな、生きているってのは。これだよ、これ。
一羽の鳥が空高いところを旋回している。虫でも捕っているのだろう。
ものを摂って出してそうして生きている。
鳥も虫も草も木も何かを取り入れ何かを排出している。
そうして生きている。
私モ同ジダ。

ハラレに残り30kmになると道路がいよいよ忙しくなってきた。
料金所もあり、おそらく首都高みたいなものなのだろう。
その代わりに道路のわきに路側帯が現れたので幾分安心して走れるようになった。
10km圏内に入っても辺りは不規則なトウモロコシ畑が広がっており、長閑だ。
白装束の人たちがトウモロコシ畑に座って説教を聞いている。
説教が終わって岐路に付く人々が首都高速道路を横切る。
白い衣装にカラフルな傘が印象的だ。



ハラレの町は人と車と、それらの活気にあふれていた。
南アやナミビアの都市とは違いほとんど白人の姿は見られず、いよいよブラックアフリカに入ったという感じだ。
町の郊外には旧い使われていないような工場がいくつも錆びれており、町を一層不気味にしていた。
中心に行くと五階建てくらいの建物はたくさんあるが、高層ビルが並ぶという風ではない。
建物も古そうなものが多くおそらく植民地時代のものが残っているのだろう。
ハラレの町は南にロケーションが広がっておりエネルギッシュで煩雑である。
北部は各国大使館などが立ち並び、家々も立派なものが多く富裕層の居住区になっている。
数年前は日本を走っていたであろう車たちが道をにぎわせている。
まさに日本からやってきたという車も乗り合いバスとして活躍している。
幼稚園バスや工務店、病院の送迎バスはこっちの乗り合いバスに丁度いいのだろう。
○○幼稚園、幼児バス、○○病院なんて書かれた車がアフリカの風景に溶け込んでいる。
日本では活躍が殆どなかったクラクションだってこっちでは大活躍だ。





はr


メモしておいた宿の情報を頼りに人に尋ね尋ね街中をウロウロしていると、学生風の兄ちゃんたちにつかまった。
都会でも気さくに声をかけてくる。握手する手がデカいなぁ、なんて思いながら彼らの快活な質問に答えていく。ちょっとした記者会見だ。
他かからもいろいろ声がかかるが、宿を見つけるのが先なので会釈して去った。
たどり着いた宿は閑静な丘にある住宅街にあった。
値段はLonelyPlanetのよりも上がっていたが、まぁ許容範囲内だったのでここにしばらく留まることにした。

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