今日も朝から霧が出て空が見えなかったが、しばらくすると青空が顔を出した。
テントから顔を出すとザンビアからの行商のおじさんと目が合う。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「もう、ぐっすりでしたよ」
とお決まりの会話だ。
するとおじさんが手を横に広げて伸びをしながら、
「これから教会にミサに行くんだが、君もどうかね?」
と当然私もキリスト教徒であるかのような感じで誘ってきた。
「え、どこにあるんですか?」と聞くと、
すぐそこにあるというのでバナナを牛乳で流し込んで急いで準備した。
おじさんは片手に聖書を持っている。
私は背中にリュックを背負っている。
もちろん聖書など入っていない。
入っているのは、パソコンやカメラなどの貴重品だ。
教会に行くというのに、なんと俗にまみれた醜いいでたちであることか。
行きに話を聞くと、こうやって行商の間も各地のカトリック教会でミサに通っているという。
確かに彼の礼儀正しさや、穏やかさ、人のよさそうな人柄は信仰心の篤さを表しているようでもあった。
大きな通りが交差する角に、低い建物が並ぶ町の中では比較的高めの造りの薄い黄色の建物が見えてくる。
2ブロック離れたところには別の宗派の教会も見える。
しかしミサは始まっていた。がぼーん。
おじさんは近くにいたなにをするでもなく、そこにいた若者にもう始まっているのか聞いていた。
掲示板の開始時間を20分ばかり過ぎていた。
おじさんは、
「始まっていたら邪魔してしまうからダメだな、しょうがない」
ととても穏やかに笑って見せた。
私も「そうですね」と言って、朝の光に満ちた静かな通りを戻った。
ミサには出られなかったが、とても爽快な一日が始まった。
ユースホステルという名のキャンプ場に戻り、朝ごはんを食べた。
そしてヒンバの人々が見られると聞いた海岸を北上してみることにした。
日曜日なのでいつもに増して家族連れが多い。
とても穏やかで平和的な風景だ。
そんな心地よい風景に促され、しばらく浜辺に座ってぼんやりと時間をつぶしていた。
浜に屋台のサンドイッチ屋が出ていたので覗いてみる。
覗いてみようと思ったら、屋台で管を巻いていたおじさんにたかられる。
それに負けず屋台の台にたどり着く。
店をやっていたのはほっぺの赤い小さくてかわいらしい若い女性。
日本にもいそうな顔立ちでとても親近感がわいた。
カラードの人はコイサン人や時にはマレー人の血が入っているので時々アジア人のような人を見かける。
この女性もそうなのかもしれない。
目は二重だがアジア人的な二重で優しい目つきだ。
英語で説明しようとしてくれるのだがどうしてもアフリカーンスが出てしまう。
一生懸命メニューの説明をしようとしてくれる姿が、私の心をとらえた。
か、か、かわいいぃぃぃーーーーー
彼女の一挙手一投足に集中してしまって、よく説明を聞けなかった。
結局よくわからなかったので、何もはさんでいないサンドイッチ(つまりただのパン)に、
店頭に並べてあった太刀魚の親玉みたいな魚のフライをもらった。
今考えたら、もう一度説明してもらっていたら、もう一回萌えることができたのに、と後悔している。
また、今度行ってみよう。
少々喧しい少年たちのビーチサッカーを観戦しながら、骨のたくさん付いた魚のフライとパンを食べる。手が脂ぎってしまったので浜の砂で洗う。
そしてさらに海岸を上がっていくと、行きどまってしまった。
右に折れるとクラフトセンターのような土産物商が集まった一角に出た。
これは少し楽しめそうだ、と思って入った途端、案の定囲まれた。
しかし、「まだ旅の途中だからお土産は買わないんだ」というと意外にもあっさりと引き下がった。
代わりに私の乗っている自転車に目をやり、
「自転車で旅してんの!?」と会話が盛り上がっていく。
自転車の値段を聞かれたり、動物が怖くないのか、と聞かれたり。
この自転車は速いのか?と聞くので、
乗せてあげると、目を輝かせ、「はえー!」と感動していた。
そう彼らが乗っている自転車と言ったら、
ブレーキない、ペダルない、ギヤない、タイヤの軸が固定されていない、と簡素化され過ぎた上に、極めて不安定な代物なのだ。
それに乗った兄ちゃんも現れ、
「自転車交換しようぜー」と冗談っぽく言ってくる。
「君のもなかなかいいじゃないか、シンプルがいいよ、シンプルが。最軽量化されているよ!」
と社交辞令でほめ返す。
そして彼らの職人技を見せてもらう。
今まで黒い彫刻みたいなお土産は黒い石を使っているのかと思ったら、灰色の石に靴墨を使って着色していた。
しかも色落ちしないように、まずはバーナーで熱して塗っていくのだ。
そうすることで冷えていくと同時に石が靴墨の色素を取り込んでいくのだそうだ。
なかなかやるな、と思った。
隣ではマカラーニと呼ばれる植物の実を使ってイヤリングを作っている。
このマカラーニを使ったお土産がここでは盛んだ。
アフリカのお土産はどこでも同じと思っていたが、南アでは見たことがないもだった。
私もこの町に着いた日にマカラーニのキーホルダーを買っている。
クラフトセンターを出たところにヒンバの出前商人がいた。
若い娘が二人と、少し上の女性三人が地べたに座り込んでアクセサリーを売っていた。
こちらが観光客と気付くや、
「ハロー」と一人の元気良く、活きのいい、ぽよぽよと踊るおっぱいむき出しの娘が声をかけてきた。
はじめどうしてもおっぱいに目が行ってしまうのではないかと心配していたが、意外にもおっぱいへの興味は生じなかった。
やっぱりおっぱいは隠れているからドキドキときめくのだ。
堂々とそこに存在するおっぱいはすでに溜まり肉でしかない。
「写真、200円」と長い睫を伏せて、流し目ですかさず忠告が入る。
この後、ヒンバの村があるオプオに行くつもりだったので、写真を撮るつもりはなかった。
「あぁ、この後君の故郷オプオに行くから今は撮らない」というと、
分かったのかわかってないのかよくわからない感じで「あぁ」と流された。
彼らは体に泥と油を混ぜた赤茶色を塗っているので、白を基調としたスワコップにおいてはなかなか映えてしまう。
まるで合成写真で、風景の中そこだけフィルターをかけられたようだ。
髪型も泥を使って結い上げるので独特だ。
もちろん全身なので手も足も顔も、おっぱいも。
しかしそれゆえ彼らの売っている小物がどれも茶ばんでいるのが、なかなか悲しくもユニークだ。
使っている携帯までも茶ばんでいるのには錆びた感じが渋いな、とほほ笑んでしまった。
座り込んで会話にならぬ会話をする。
三人のかしましいやり取りを見ているだけで面白い。
それを見ながら、南アで先生をしていた時に仲良くしていた三人の女生徒を思い出していた。
言葉はわからなくても雰囲気が重なるのだ。
この後写真を撮らない、という決意がいとも簡単に揺らぐことが起こった。
白人の旅行客が買い物にきたのだ。
その時見せた彼らの変わりようがとても印象的だったのでついお金を払って撮ってしまった。
すかさず三人はそれぞれに客に対して販促を始める。
三人一緒に売っているのかと思ったら別らしい。
客のおばちゃんが「子供用に小さいのが欲しい」というと、
「ほらよ」と言った感じで投げるように雑な感じで小さめのものを出す。
「もっと小さいのがいいわ」と言われても、
「これ、小さいじゃんか!」と小さくくりっと反り上がった長い睫と澄んだ目を客にやり、反論する感じがまたすごい。
露わになった下の眼だけでなく上の眼もなかなか素晴らしいのだ。
おばちゃんが「孫が三人いるから三人から一つずつ買うわ、あら、アフリカーンスわかる?」
と聞いていたが、もちろん彼らには通じない。
彼らはヒンバ族固有の言語を話すのだ。
英語もアフリカーンスも通じない。
またそこが、出稼ぎで上がってきたばかりという感じでよかった。
そこにたまたま通りかかった警備員の兄ちゃんが、通訳をしていたが、彼もわずかに解するだけだった。
おばちゃんもアフリカーンスで強気だが、娘もヒンバ語で負けていない。
「なんだよ、これちっちぇじゃんか!」といった様子である。
値段の交渉は客のおばちゃんが太っ腹だったせいか、さほどなかったので面白くなかった。
ポンと、一番大きな紙幣を出していたのには驚いた。
私はこの活きのいい娘が気に入ってしまって、そのやり取りの時の顔を撮らせてもらった。
歯の隙間に草の片を咥えた様がいかにも擦れた感じでいい。
ちなみに下の前歯は皆抜いてあり欠けていた。
きっと高熱が出て口が開かなくなった時のために空けているのだろう。
写真も最初200円と言われたが、交渉したら50円にまけてくれた。
露店の値段とはそういうものだ。だから面白い。
さらに海岸沿いを北上すると、静かなリゾート地に出た。
浜辺に広がるアイスプランツの花の色が美しい。
この辺は人が少なく、波の音が鮮やかだ。
岩が多いので砂浜というより磯である。
どんな生き物がいるのかな、と見てみると、意外にも同じようなヒラタガイとフジツボ、海藻くらいしかいなかった。
しかし、海藻の種類は豊富で、どれも食べたら美味そうだった。
かじってみるとほんのり海の香りで千葉で食べたフノリを思い出した。
昆布の仲間も結構あるから海藻ビジネスやれば結構いけると思うんだがなぁ。
あぁ、ただ市場が東アジアだけしかないか。
確か南アのスプリングボック辺りからその辺に落ちている石ころが透き通っているものが多くなった。
石英質なのだ。それゆえ自転車のタイヤには恐ろしいくらいに尖った石がゴロゴロ道に落ちている。
しかし色はきれいだ。
昔から「好きな色は?」と聞かれると、「透明」と答えていたらしい私にはそれだけで嬉しくもある。
ただし水晶と呼ばれるようなものではなく、ガラス質で結晶化していないものが多い。
スワコップムンドの海に流れ込むスワコップ川流域もそのような透き通った石が多いので、
浜辺で洗われて丸くなった石の一つ一つ、砂の一粒一粒が透明がかっているものが多くて見ていて楽しい。
しばらくよさそうな石はないかと探していると、
白くてうっすらと透き通った雪のようで冷たそうな丸い石を見つけた。
さくまドロップのレモン味とハッカ味を足したような色だ。
満足して、浜辺を後にした。
食料を買いにマーケットに行くと、
先ほどのヒンバでお世話になった警備員が「見ていないで買え」と声をかけてきた。
丸顔につられて弧を描いてしまっている濃い目の眉毛がいかしてる。
私は食べ物を見るのが好きなのだ。放っておいてくれ。
行く先々でそれぞれの変わったものが見られるので、つい手に取って何が入っているのかなどをチェックしている。
警備員はそれを見て、「そんなにチェックするなよ」と言いたかったのだ。
この日はヒマワリの種がたくさんついた固めのパンを買ったら、すっぱかったので面白かった。
すっぱいと言っても悪くなったすっぱさではなく、ヨーグルトのようなほのかなすっぱさ。
どうやら発酵した生地を焼いてあるらしい。固くて詰まっているのでなかなか食い応えがある。
おそらくドイツのものなのだろう。
そういう風に食べたことのもない食べ物に出会うのも旅の楽しみなのだ。
キャンプ場に帰ると昨日のアジア人女性とその旦那である白人男性が戻っていた。
今日はもう一人車を持った白人が加わっていた。
彼らがバーベキューをするというので私も買ったラム肉を持って加わった。
南アやナミビアのラムは安くてうまい。
先の女性は韓国人で旦那とウラジオストクからロシアを横断してストックホルムへ行き、アフリカへ来ていた。
旦那の方は立派な髭を蓄え、さながらヒッピーのような風貌に加え中身もどこか世ばなれしている感じだ。
90か国くらい回っているというからこれまたすごい。
奥さんはアフリカでのあまりよろしくない体験談を、同じアジア人である私にここぞとばかりにさらけ出してくれた。
相当苦労してきたらしい。アフリカ人に対する嫌悪を感じた。
それを宥める旅慣れた旦那。
昨日も実はジンバブエ人とザンビア人を交えて少しキッチンで話していたのだが、少し気づいたことがある。
我々、いわゆる先進国の人間はいささか「比較したがり屋」なのかもしれない。
何かを語る時に、絶対的な物言いをせず、常に他と比較する相対主義を取る。
それは自分の主張に客観性を持たせるためでもあるのだが、時にそれを私はしょうもないことかもな、と感じる。
たとえば、「ザンビアの鉄道や宿は高い。だってタンザニアではあぁだ、こうだった」というような主張である。
歴史も文化的な背景も、構成要員も違う国を比較するのは国連の統計では役に立っても旅においては無益なのではないか、と思う。
私は外国を旅行するときは、できるだけこの相対主義を捨てようと努力している。
比較することに一生懸命になりすぎて、その国のユニークさを見つけるエネルギーを失いかねないからだ。
そうやって思っていても、比較することに慣れきった私にはとても難しいことなのだが。。。
バーベキューは楽しいものだった。
奥さんの作ってくれたピリッと辛いどこか懐かしい味の野菜スープと汁の滴る肉を肴に。
彼らがアフリカをどう見てきたのか、そしてこれから旅をする国々のこと。
聞いているだけでワクワクしてくる。もちろん脅されもしたが。
彼らはこれから南下しケープタウンに向かう。
私はこれか東進し、北上する。
いつも出会うのは私と逆のルートの人たちだ。
テントから顔を出すとザンビアからの行商のおじさんと目が合う。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「もう、ぐっすりでしたよ」
とお決まりの会話だ。
するとおじさんが手を横に広げて伸びをしながら、
「これから教会にミサに行くんだが、君もどうかね?」
と当然私もキリスト教徒であるかのような感じで誘ってきた。
「え、どこにあるんですか?」と聞くと、
すぐそこにあるというのでバナナを牛乳で流し込んで急いで準備した。
おじさんは片手に聖書を持っている。
私は背中にリュックを背負っている。
もちろん聖書など入っていない。
入っているのは、パソコンやカメラなどの貴重品だ。
教会に行くというのに、なんと俗にまみれた醜いいでたちであることか。
行きに話を聞くと、こうやって行商の間も各地のカトリック教会でミサに通っているという。
確かに彼の礼儀正しさや、穏やかさ、人のよさそうな人柄は信仰心の篤さを表しているようでもあった。
大きな通りが交差する角に、低い建物が並ぶ町の中では比較的高めの造りの薄い黄色の建物が見えてくる。
2ブロック離れたところには別の宗派の教会も見える。
しかしミサは始まっていた。がぼーん。
おじさんは近くにいたなにをするでもなく、そこにいた若者にもう始まっているのか聞いていた。
掲示板の開始時間を20分ばかり過ぎていた。
おじさんは、
「始まっていたら邪魔してしまうからダメだな、しょうがない」
ととても穏やかに笑って見せた。
私も「そうですね」と言って、朝の光に満ちた静かな通りを戻った。
ミサには出られなかったが、とても爽快な一日が始まった。
ユースホステルという名のキャンプ場に戻り、朝ごはんを食べた。
そしてヒンバの人々が見られると聞いた海岸を北上してみることにした。
日曜日なのでいつもに増して家族連れが多い。
とても穏やかで平和的な風景だ。
そんな心地よい風景に促され、しばらく浜辺に座ってぼんやりと時間をつぶしていた。
浜に屋台のサンドイッチ屋が出ていたので覗いてみる。
覗いてみようと思ったら、屋台で管を巻いていたおじさんにたかられる。
それに負けず屋台の台にたどり着く。
店をやっていたのはほっぺの赤い小さくてかわいらしい若い女性。
日本にもいそうな顔立ちでとても親近感がわいた。
カラードの人はコイサン人や時にはマレー人の血が入っているので時々アジア人のような人を見かける。
この女性もそうなのかもしれない。
目は二重だがアジア人的な二重で優しい目つきだ。
英語で説明しようとしてくれるのだがどうしてもアフリカーンスが出てしまう。
一生懸命メニューの説明をしようとしてくれる姿が、私の心をとらえた。
か、か、かわいいぃぃぃーーーーー
彼女の一挙手一投足に集中してしまって、よく説明を聞けなかった。
結局よくわからなかったので、何もはさんでいないサンドイッチ(つまりただのパン)に、
店頭に並べてあった太刀魚の親玉みたいな魚のフライをもらった。
今考えたら、もう一度説明してもらっていたら、もう一回萌えることができたのに、と後悔している。
また、今度行ってみよう。
少々喧しい少年たちのビーチサッカーを観戦しながら、骨のたくさん付いた魚のフライとパンを食べる。手が脂ぎってしまったので浜の砂で洗う。
そしてさらに海岸を上がっていくと、行きどまってしまった。
右に折れるとクラフトセンターのような土産物商が集まった一角に出た。
これは少し楽しめそうだ、と思って入った途端、案の定囲まれた。
しかし、「まだ旅の途中だからお土産は買わないんだ」というと意外にもあっさりと引き下がった。
代わりに私の乗っている自転車に目をやり、
「自転車で旅してんの!?」と会話が盛り上がっていく。
自転車の値段を聞かれたり、動物が怖くないのか、と聞かれたり。
この自転車は速いのか?と聞くので、
乗せてあげると、目を輝かせ、「はえー!」と感動していた。
そう彼らが乗っている自転車と言ったら、
ブレーキない、ペダルない、ギヤない、タイヤの軸が固定されていない、と簡素化され過ぎた上に、極めて不安定な代物なのだ。
それに乗った兄ちゃんも現れ、
「自転車交換しようぜー」と冗談っぽく言ってくる。
「君のもなかなかいいじゃないか、シンプルがいいよ、シンプルが。最軽量化されているよ!」
と社交辞令でほめ返す。
そして彼らの職人技を見せてもらう。
今まで黒い彫刻みたいなお土産は黒い石を使っているのかと思ったら、灰色の石に靴墨を使って着色していた。
しかも色落ちしないように、まずはバーナーで熱して塗っていくのだ。
そうすることで冷えていくと同時に石が靴墨の色素を取り込んでいくのだそうだ。
なかなかやるな、と思った。
隣ではマカラーニと呼ばれる植物の実を使ってイヤリングを作っている。
このマカラーニを使ったお土産がここでは盛んだ。
アフリカのお土産はどこでも同じと思っていたが、南アでは見たことがないもだった。
私もこの町に着いた日にマカラーニのキーホルダーを買っている。
クラフトセンターを出たところにヒンバの出前商人がいた。
若い娘が二人と、少し上の女性三人が地べたに座り込んでアクセサリーを売っていた。
こちらが観光客と気付くや、
「ハロー」と一人の元気良く、活きのいい、ぽよぽよと踊るおっぱいむき出しの娘が声をかけてきた。
はじめどうしてもおっぱいに目が行ってしまうのではないかと心配していたが、意外にもおっぱいへの興味は生じなかった。
やっぱりおっぱいは隠れているからドキドキときめくのだ。
堂々とそこに存在するおっぱいはすでに溜まり肉でしかない。
「写真、200円」と長い睫を伏せて、流し目ですかさず忠告が入る。
この後、ヒンバの村があるオプオに行くつもりだったので、写真を撮るつもりはなかった。
「あぁ、この後君の故郷オプオに行くから今は撮らない」というと、
分かったのかわかってないのかよくわからない感じで「あぁ」と流された。
彼らは体に泥と油を混ぜた赤茶色を塗っているので、白を基調としたスワコップにおいてはなかなか映えてしまう。
まるで合成写真で、風景の中そこだけフィルターをかけられたようだ。
髪型も泥を使って結い上げるので独特だ。
もちろん全身なので手も足も顔も、おっぱいも。
しかしそれゆえ彼らの売っている小物がどれも茶ばんでいるのが、なかなか悲しくもユニークだ。
使っている携帯までも茶ばんでいるのには錆びた感じが渋いな、とほほ笑んでしまった。
座り込んで会話にならぬ会話をする。
三人のかしましいやり取りを見ているだけで面白い。
それを見ながら、南アで先生をしていた時に仲良くしていた三人の女生徒を思い出していた。
言葉はわからなくても雰囲気が重なるのだ。
この後写真を撮らない、という決意がいとも簡単に揺らぐことが起こった。
白人の旅行客が買い物にきたのだ。
その時見せた彼らの変わりようがとても印象的だったのでついお金を払って撮ってしまった。
すかさず三人はそれぞれに客に対して販促を始める。
三人一緒に売っているのかと思ったら別らしい。
客のおばちゃんが「子供用に小さいのが欲しい」というと、
「ほらよ」と言った感じで投げるように雑な感じで小さめのものを出す。
「もっと小さいのがいいわ」と言われても、
「これ、小さいじゃんか!」と小さくくりっと反り上がった長い睫と澄んだ目を客にやり、反論する感じがまたすごい。
露わになった下の眼だけでなく上の眼もなかなか素晴らしいのだ。
おばちゃんが「孫が三人いるから三人から一つずつ買うわ、あら、アフリカーンスわかる?」
と聞いていたが、もちろん彼らには通じない。
彼らはヒンバ族固有の言語を話すのだ。
英語もアフリカーンスも通じない。
またそこが、出稼ぎで上がってきたばかりという感じでよかった。
そこにたまたま通りかかった警備員の兄ちゃんが、通訳をしていたが、彼もわずかに解するだけだった。
おばちゃんもアフリカーンスで強気だが、娘もヒンバ語で負けていない。
「なんだよ、これちっちぇじゃんか!」といった様子である。
値段の交渉は客のおばちゃんが太っ腹だったせいか、さほどなかったので面白くなかった。
ポンと、一番大きな紙幣を出していたのには驚いた。
私はこの活きのいい娘が気に入ってしまって、そのやり取りの時の顔を撮らせてもらった。
歯の隙間に草の片を咥えた様がいかにも擦れた感じでいい。
ちなみに下の前歯は皆抜いてあり欠けていた。
きっと高熱が出て口が開かなくなった時のために空けているのだろう。
写真も最初200円と言われたが、交渉したら50円にまけてくれた。
露店の値段とはそういうものだ。だから面白い。
さらに海岸沿いを北上すると、静かなリゾート地に出た。
浜辺に広がるアイスプランツの花の色が美しい。
この辺は人が少なく、波の音が鮮やかだ。
岩が多いので砂浜というより磯である。
どんな生き物がいるのかな、と見てみると、意外にも同じようなヒラタガイとフジツボ、海藻くらいしかいなかった。
しかし、海藻の種類は豊富で、どれも食べたら美味そうだった。
かじってみるとほんのり海の香りで千葉で食べたフノリを思い出した。
昆布の仲間も結構あるから海藻ビジネスやれば結構いけると思うんだがなぁ。
あぁ、ただ市場が東アジアだけしかないか。
確か南アのスプリングボック辺りからその辺に落ちている石ころが透き通っているものが多くなった。
石英質なのだ。それゆえ自転車のタイヤには恐ろしいくらいに尖った石がゴロゴロ道に落ちている。
しかし色はきれいだ。
昔から「好きな色は?」と聞かれると、「透明」と答えていたらしい私にはそれだけで嬉しくもある。
ただし水晶と呼ばれるようなものではなく、ガラス質で結晶化していないものが多い。
スワコップムンドの海に流れ込むスワコップ川流域もそのような透き通った石が多いので、
浜辺で洗われて丸くなった石の一つ一つ、砂の一粒一粒が透明がかっているものが多くて見ていて楽しい。
しばらくよさそうな石はないかと探していると、
白くてうっすらと透き通った雪のようで冷たそうな丸い石を見つけた。
さくまドロップのレモン味とハッカ味を足したような色だ。
満足して、浜辺を後にした。
食料を買いにマーケットに行くと、
先ほどのヒンバでお世話になった警備員が「見ていないで買え」と声をかけてきた。
丸顔につられて弧を描いてしまっている濃い目の眉毛がいかしてる。
私は食べ物を見るのが好きなのだ。放っておいてくれ。
行く先々でそれぞれの変わったものが見られるので、つい手に取って何が入っているのかなどをチェックしている。
警備員はそれを見て、「そんなにチェックするなよ」と言いたかったのだ。
この日はヒマワリの種がたくさんついた固めのパンを買ったら、すっぱかったので面白かった。
すっぱいと言っても悪くなったすっぱさではなく、ヨーグルトのようなほのかなすっぱさ。
どうやら発酵した生地を焼いてあるらしい。固くて詰まっているのでなかなか食い応えがある。
おそらくドイツのものなのだろう。
そういう風に食べたことのもない食べ物に出会うのも旅の楽しみなのだ。
キャンプ場に帰ると昨日のアジア人女性とその旦那である白人男性が戻っていた。
今日はもう一人車を持った白人が加わっていた。
彼らがバーベキューをするというので私も買ったラム肉を持って加わった。
南アやナミビアのラムは安くてうまい。
先の女性は韓国人で旦那とウラジオストクからロシアを横断してストックホルムへ行き、アフリカへ来ていた。
旦那の方は立派な髭を蓄え、さながらヒッピーのような風貌に加え中身もどこか世ばなれしている感じだ。
90か国くらい回っているというからこれまたすごい。
奥さんはアフリカでのあまりよろしくない体験談を、同じアジア人である私にここぞとばかりにさらけ出してくれた。
相当苦労してきたらしい。アフリカ人に対する嫌悪を感じた。
それを宥める旅慣れた旦那。
昨日も実はジンバブエ人とザンビア人を交えて少しキッチンで話していたのだが、少し気づいたことがある。
我々、いわゆる先進国の人間はいささか「比較したがり屋」なのかもしれない。
何かを語る時に、絶対的な物言いをせず、常に他と比較する相対主義を取る。
それは自分の主張に客観性を持たせるためでもあるのだが、時にそれを私はしょうもないことかもな、と感じる。
たとえば、「ザンビアの鉄道や宿は高い。だってタンザニアではあぁだ、こうだった」というような主張である。
歴史も文化的な背景も、構成要員も違う国を比較するのは国連の統計では役に立っても旅においては無益なのではないか、と思う。
私は外国を旅行するときは、できるだけこの相対主義を捨てようと努力している。
比較することに一生懸命になりすぎて、その国のユニークさを見つけるエネルギーを失いかねないからだ。
そうやって思っていても、比較することに慣れきった私にはとても難しいことなのだが。。。
バーベキューは楽しいものだった。
奥さんの作ってくれたピリッと辛いどこか懐かしい味の野菜スープと汁の滴る肉を肴に。
彼らがアフリカをどう見てきたのか、そしてこれから旅をする国々のこと。
聞いているだけでワクワクしてくる。もちろん脅されもしたが。
彼らはこれから南下しケープタウンに向かう。
私はこれか東進し、北上する。
いつも出会うのは私と逆のルートの人たちだ。
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