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2013年11月7日木曜日

The answer is blowin' in the wind 〔110km to Walvisbay → Dune7 on C28 by Walvisbay 〕

C14: 110-60km to Walvis bay = not good, sandy, hilly
60km to Walvis bay = gravel but hardened, good condition
Dune 7: There is shower in the shop(cost NS5), Public picnic area with toilet can be good camp site for free but not allowed usually.


ハブのような▽頭の仔ヘビが日光浴している。
低い草しか生えていない平原での朝ションほど爽快なものもなかろう。
人はなぜあんな狭い箱の中で朝の小便をしなくてはならないのか。
How many times must a man pee in a box before he is allowed to be free
The answer, my friend, is blowin' in the wind.
The answer is blowin' in the wind....

昨日の峠を越えてから道はよくなり、ほとんど自転車から降りて押す必要はなくなった。
ワルヴィスベイから60km位から道が固められ、舗装道路とほとんど変わらないくらい良くなった。
(砂がカメラをいじめてくれおる。CCDにゴミが付いてしまった)

工事隊が水をかけ固めていた。助かる。
道を通るのは簡単だ。
一瞬だ。
しかしその道を作るのは莫大な時間と労力を要する。
本当にありがたい。道を作る人よ、私はあなたを尊敬する。

道はよくなったが海風とアップダウンが多いのでさほどスピードは出ない。
それでも自転車を降りて押すよりは断然早い。
自転車があるのに乗れないなんて、世界一滑稽な絵じゃないか。

車輪は大発明だと思う。
空を飛ぶ生き物はたくさんいるが、車輪を持った、あるいは転がすことを利用する生き物はフンコロガシくらいしかいないんじゃなかろうか?
だから大発明だ。
他の生き物が考え付かなかったことを人は考え付いた。
人がもし空を飛べていたら車輪は発明されなかっただろう。
地上の道だってあったかどうか。。。
車輪が発明されるにはいくつかの大きな変換点が必要だった。
まず初めに、平らな道ができること。
第二に、丸いという概念を人が持つこと。
第三に、その丸を木なり鉄なり、石なりを用いて形作れるようになること。
それらのどれもがなくてはならない。
その中でも一番目の「平らな道」を人が持つようになったのは大きいのではないか。
平らでない場所では車輪はただの丸い飾りだ。
だから平らでない世界に暮らす他の生き物に車輪構造を持つものがいない。
おっとハムスターは車輪使うが、あれは反則だ。

今日に限らず走っている途中、いろんな車が止まって声をかけてくれたり、
飲み物、食べ物をくれたりした。多くの車は観光客でヨーロッパから来ていた。
やっぱりものをもらうのも体が満たされるので嬉しいんだけど、
何よりも、私の旅をプッシュしてくれる、そっと見守ってくれる、そういう人たちが大勢いたことが嬉しかった。
そしてそこには会話が生まれ、彼らの人柄から彼らの国に思いを馳せる。
いつかはそのような国にも行ってみたいなぁ、と。
私はナミビアを旅しながら実はヨーロッパも少し旅していたのかもしれない。彼らを通して。
旅は複雑で面白い。

未舗装を走り終えたので少し変なことを書きたい。
さらば長かった未舗装道路よ。
しばらくは君とは別れることになる。達者でな。

未舗装の道を走るのは人生を生きるのと似ているなぁ、と長い未舗装路をいつもそう考えながら走っていた。
道と言っても一本ののっぺりした平面ではなく、いくつものルートを含んでおり各々を選ぶことができる。
車の轍の数4本(二車線分)は少なくともある場合が多い。
たとえば他に比べ砂の少ないルートを選ぶことは人生の岐路での選択と同じだ。
自分の選んだルート。
少し走るとそのルートは砂が多くなって走りにくくなるかもしれない。
そのまま良好な状態が続くかもしれない。
状態が悪くなってもすぐにまた良好になるかもしれない。
先は大体わからない。
少し先は見えるが、自分の視力くらいしか見通せない。
見通せる範囲が広ければ広いほど、より良い選択をできるかもしれない。
かもしれないというのは、結局は走ってみなければわからないということだ。
一見よさそうだと思っても思わぬフェイクルートをつかまされるかもしれない。
もちろんそのフェイクを見破れる経験があればそれは回避できるかもしれない。
それでも最終的には行ってみなければわからない。

一度ルートを選んでも別のルートを選びなおすこともできる。
できるが、ルートを変えるにはその間にある砂溜まりを越えなければならない。
それは労力を要する。
一度選んだルートを変えるのは大変なのだ。
それでも変える必要があるのか?
それも先を読む力が試される。

もう一つ大事なこと。
一度に二つのルートは走れない。

砂丘の下に今日は泊まり。内陸の砂丘と違って砂は白い。

公立のピクニックスポットだ。
わーい公立万歳。
近くに店もあったのでステーキバーガーを食べてしまった。むふふ。
うまかったなぁ。
ここでも写真を撮られてしまった。
いろんなところに足跡が残せるのはそれも楽しい。

 にぎやかだと思って砂丘を見ると、子供達が転り落ちていた。
それにしてもすごい斜面だ。

はぁ、やっぱり砂丘はセクシーだ。イヤラシくないセクシーなんてこの世にあるんだろうか?

おまけ

亀田の柿の種のパッケージに付いている「けなげ組」は地味に面白い。
毎回お決まりの自分を卑下した感じが安定感があっていいのだろう。
砂漠にもたくさんのけなげ組員がいる。
今日はゴミ箱だ。

毎日毎日炎天下のもと人様の役に立ちたいと思って、立っているのに誰も来やしないじゃないか。
都会のやつらはいいよな、たくさん捨ててもらって、たくさん回収されて。回転数が違うんだ。
せめて一年に一回くらいは誰かボクのごみを片付けてくれないかナァ・・・

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