Around Kameiskroon → Springbok [Namastat Caravan Park (R50 p.n. for Camping)]
朝は昨日Kamieskroonでもらった水道水のせいか、少し腹を下した。あの水道水少し何かの塩のような感じがしたからなぁ。
腹は曇っていても空は青く澄み渡り清々しい。
自転車を立て掛ける気も何もないところだったので、パッキングに少し手間取った。
Springbokまで40kmの看板がすぐそこにあった。
昨日のラストスパートでずいぶん進んでいた。
3時間もかからずに行けるかと思いきや、例のごとく緩やかな登りと連日の酷使により筋肉んの疲労が。
走りながらなんでこの様な旅をするのか少し気づいたことがあったので書いてみたい。
この旅は動かないと終わる。
日本にいたときは自分から積極的に動かなくとも、なんとなく毎日が過ぎていった。
でもこの旅では自分から動かないと、人に会うこともできないし、先へ進まない。
南アのWest Coast地域を走って思い知ったが、人や人家のないところでは先へ進まないことイコール野たれ死ぬ。
人がいなければ水も手に入らないし、持っている水ももって2日だ(もっと積めるが)。
とどまることができるのは安全で人のいる場所だけだ。
もちろん車が通っているので野垂れ死にそうだったら誰か助けてくれるかもしれない。
しかし前提としては、車に助けてもらおうなんて言うものはない。
だから前もって準備をするし、必要な時に必要な休息を取ることが大事だと思っている。
私の旅のきっかけは世界をもっと見てみたいということもあったが、こういう刺激的な生活へのあこがれもあったのは否めない。
じゃぁ日本には帰れないか、と言われるとそうでもない。
日本でも自分から行動しないと、毎日がただだら~んと過ぎていくだけということに気付いたから楽しんで日本で暮らせると思う。
たぶん人より大事なことに気付くのが遅いんだと思う。私は。こんなことに30年近くも費やしてしまった。
さて、Springbokの入り口にお爺さん(63)がガードレールに腰かけて何かを待っていた。
彼が何を待っているのかは容易に想像できる。ヒッチハイク、しかも無料のだ。
日本でヒッチハイクというと無償の善意によるものであるが(たぶん)、南アでは違う。
公共交通の無いところや時間帯にそれと同額のまたはそれに近い額で一般車に乗せてもらうことである。
中には無料で乗せてくれる人もいるが、ほとんどつかまらない。
話しかけるといきなり、
「この老体で腰が痛くて曲がらないんだ、そこの水を拾ってくれんかね?」と腰が曲がらない様子で言う。
「ほら、腰がいたから朝から薬を飲んでいるんだ」と落ちた薬のごみを指さして言う。
「民間の医療保険をもらうために医者に診断書を書いてもらわなきゃいけなんだ。
それでケープタウンにある病院まで行きたくて朝の7時から13時まで載せてくれる人を探しているが、これが一向につかまらない。」
「つかまえてもみんなお金を要求するんだ、R50(500円)」
R50も払うのが難しい。それが原因で、つらい老体に鞭打って朝から待っている。
私の善意が揺れた。でも私にはどうすることもできない。
頼る親族も近くにはいないという。
その時は私はどうしてそんな大変なことをして診断書を取らせるんだ、このバカ保険会社がと思った。
南アは比較的医療体制が整備されていてどこの町にも医者はいる。
せめて近くの町で診断書を取れるシステムにすべきなのに。と思った。
私には彼を運ぶことも代わりにお金を払うこともできないので「気の毒に」と言って去ろうとした。
すると彼は「良ければR10くれないか?」と聞いてきた。
それを聞いて私の中に疑問が湧いてきた。
最低でもR50は必要なあなたがR10をもらってどうするというのか?
そういえばこのお爺さんお金がないという割には、身なりがきれいすぎる。
綺麗なスーツケースを持っていたり、シャツもきれいだ。
とても物乞いする人には見えない。
しかも要求の仕方、同情の取り方が妙にスムーズだということ。
今まで出会った南アの本当に困った人は、要求の仕方がもっと切羽詰っていたし、同情の誘い方も長けていないかった。
私の生徒もそうだった。本当に貧乏な生徒は黙々といい成績をとろうと勉強していて、自分で何とか鉛筆や消しゴムなどの道具を揃え、大事に使っていた。
お金がないからペン頂戴、消しゴム頂戴と抜かす輩は、たいてい髪型をコロコロ変え、スマートフォンを使いこなしていた。
あからさまに同情を誘うことがうまい人は、それによって何かを得られることを知っているしたたかな人で、ある程度食うに困っていない人が多かった。
それでも気になって後で見に行くと、すでにお爺さんはそこにはいなかった。
綺麗な恰好だったのは、CapeTownという大都会に行くのに恥ずかしくないよう、最大限のおしゃれをしたのかもしれない。
本当に腰が痛くて困っていたのかもしれない。
R10を要求したのも、朝から待っていたことでどうしても喉が渇いて飲み物をどこかで買おうとしたのかもしれない。
確信は持てない。
「私、貧乏、貧乏なんです、詐欺」かどうか。
でもこれだけは言える。
本当に困っている人の声が、たいして困っていない怠け者によってかき消されたり、疑われたりしているということ。
現に私にお金をあげることを躊躇わせるようにしたのは、私を取り巻いていた怠け者くんたちである。私も含めてだが。
世界とはまったくもって複雑なものだ。
一つ一つの出会いがこうやっていろいろに問題を出してくれる。これだけでも旅は大したものだ。
だから旅をする。
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