ページ

Africa!

...

2014年4月25日金曜日

あいびき

臨時採用のマネージャー、マーク(22)は羨ましい程にイケメンだ。いくら私が化粧をしてPhotoshopでいじくりまわしても彼には敵わないだろう。南国の遠浅の眩しい海のような青い目に秋の明るい麦畑を思わせる金髪、そして筋の通った目鼻立ちに血色のいい唇。更には身長も高くがっしりしている。彼自身その美顔を与えてくれた親に感謝していると言うほどに自信を持っていた。私にも「どうだい、きれいな目だろう?」といってよーく見せてくれた。ふん、当てつけか、どうせ俺の眼はマンホールみたいな色だよ、と思ったが、「うむ、素晴らしいね」と褒めてやった。

彼はまた話しも巧みで声も艶があり、多くの女性客を虜にしていた。中身はともかくとして本当に話は巧い。彼の話術に掛かったら結構気持ちよく落ちることができるんじゃなかろうか。彼から一つレッスンを受けてみたいもんだね。女の口説き方というやつを。

天から授かりし類まれなる能力を最大限使って彼は人生を楽しんでいる。
そんな彼も風邪はひく。そして仕事を休む。しかしそんな時でも彼の本能が彼をベッドに放置させておかない。仕事はできないというが、レストランのテーブルにちゃっかり座って女性客と楽しくておしゃべりしている。酒も飲んでいるからきっと本当に悪いのだろう。あまりに体調が悪すぎて正常な判断ができなくなっていたに違いない。そんな彼を見てチャールズは疑心を持ったが、アリフは訝しがりながらも大目に見てその時はそれで済んだ。

そして別の日に再び調子が悪いといって休んだ。そして病院にいってマラリアと診断されたようだが、その夜元気にバーでよろしくやったようだ。マラリアはきっと小さいマラリアと大きいマラリアがあって、彼のは小さいマラリアだったのだろう。

そんな楽しい人生を過ごしている彼には法律というものはない。
ウガンダは麻薬について比較的厳しい法律を持っている。いつも彼の部屋に荷物を置かせてもらっている私は、その日彼の部屋に行くと、彼が鼻から何か白い粉を吸い込んでいる。まったく鼻から粉砂糖を食べたら辛いじゃないか、どうして口から食べないんだ?という冗談すら出て来なかった。いやーこやつほんと人生楽しんでいるなぁ、と思った。彼は言う。「コカインやるとすごい集中できるんだよね、少しあげようか?」そうか、君の女性を口説くその集中力はコカイン由来だったか。仕事に集中しようや。

更に言うと彼はクリスチャンだがキリスト教のモラルという壁も一っ飛びだ。
ある日昼食の時間が終わって休憩に入った。彼が女性を連れている。小麦色のきれいな肌で、目がしゅっと柳の葉のように流れている。美人だ。お尻が大きく全体的にふくよかでグラマラスな女性だった。アフリカンとヨーロピアンのハーフだという。ついでに言うと人妻だという。マークは得意げに言う。旦那が忙しくて相手してあげていないから、俺が変わりに相手してやるんだ、と。これからよろしくやるから部屋には誰も近づけないでくれ、と言った。あいびきか。。。
本当に人生楽しんでるな、こいつーと思いながら、あと30分でレストラン始まるからちゃちゃっとやってくれよ、とお願いすると「任せとけ」といった風にウィンクした。まったくウィンクして様になるやつを始めて見たよ。
もちろん30分なんかで済むわけはなく、彼はその日も出勤に遅れた。

そんな感じで自由奔放に生きていた彼はやはりオーナーから見てあまりよろしくなかったようだ。任期を一週間残してクビにされた(他にもサブオーナーとの確執があったことにも起因しているが)

そんな彼だったが、困っていた私をレストランに迎え入れてくれた最初の奴だったから、何となく彼のクビは残念だった。まぁその後も近所のバーで楽しんでいるのを見かけたから、きっと彼くらいにイケメンだとクビくらいなんてことないのだろう。

首いらず 顔だけ生きる イケメンや

2014年4月17日木曜日

レストランにて

レストランはなかなか繁盛している。しかし値段が一食1500円~3000円なので客層はローカルのウガンダ人は稀で、アジアンやヨーロピアンが多い。ウガンダにいても一足レストランに入ると別空間の様子だ。現在は仕入れの難しさから値段を下げることはできないが、今後仕入れルートが確立すればもう少し手ごろな値段に落とせる可能性はある。そしてウガンダの経済も発展して行けば本当の意味でのアフリカへの日本食紹介になるだろう。
オーナーのアリフは将来的にはローカルへも供給して行くことを考えている。日本に行ったことはないのに、全く頼もしい人だ。そういうモチベーションのある人を是非一度日本へ招待したいものだ。

大使館のそばにあるため大使館職員の方が利用したり、JICA職員、ボランティア、南スーダンに派遣された自衛隊の方々もよく見える。客全体の一割強くらいが日本人だ。だからレストランのスタッフは日本人がどういう人々なのかよく観察しており、なかなか彼らは好意的に見てくれている。アフリカンがアジア人を見分けるのは難しいが、彼らはどれが日本人かだいたいわかるようだ。以下彼らの見る日本人を少し紹介したい。

*カッコ内は日本人としての推測を書いた。

・寿司を食べないで丼ばかり(外国で生ものを食べるのが怖い、やはりどうしても日本と比べて味が落ちるのでわざわざここで食べなくとも、、、)
・チップをくれない(サービスが不十分なのか、日本にその習慣がないからなのか)
・世界で一番平和的な人々(あまり主張をしないせいか)
・ビールをよく飲む(とりあえず「生」の習慣が海外でも出てしまうのだろう)
・注文をそろえる(例:ビールならみんなビール、たしかに。。。)
・から揚げが好き(外国ではあまり見かけないからね)
・慎ましい(行き過ぎの場合もあるけどね)

ね、意外とよく観察しているでしょう?あまり変なことすると、それが日本人と思われてしまうから気を付けましょう。

2014年4月15日火曜日

Announcement

I'm still alive! and working at kampala, capital of Uganda, as adviser at Japanese restaurant for a while in order to get money to proceed my journey. I'll post the articles which I couldn't update these days, and add the articles of struggling in the restaurant together as soon as possible. Please wait a moment...

I'm so sorry for not posting in Japanese because of disorder of my computer.


@Kampala

2014年4月10日木曜日

仕事探し

*今日以降しばらくの出来事は仮名を使用してならと、記事にする許可を貰ったので仮名を使用します。


朝は少し冷え込んで清々しかった。溢れんばかりの朝日が芝生の露を煌めかせている。今日は勝負時だ。しっかり食って挑まねばならない。昨日買っておいたパンにたっぷりの蜂蜜を塗り、次々に頬張る。濃厚な蜂蜜が脳を刺激し、気持ちが高まってくる。しかし不安がなかったわけではない。それ以上にトルコへ行きたい、という気持ちが強く、仕事と寝床を確保するまでは何日でも粘ろうと心に決めた。

そしてカンパラへ向けて出発。すでに町並みは田舎という風ではなく、道路沿いには人が溢れかえり、都会の雰囲気を十分に呈していた。それもそのはず一時間ばかり走るとそこはすでにカンパラだった。ボーダ・ボーダ(バイクタクシー)がそこら中に溢れ、車と車の間を縫って進んでいる。高い建物や電波塔も見えてきた。
町はブルンジとルワンダで聞いていたカンパラそのものでかなりの賑わいと活気を持っていた。ブルンジとルワンダは内戦のために国が疲弊し、他の東アフリカ諸国と比べても経済力は小さい。その国民が隣国の近い文化を共有するウガンダへの憧れを持っても不思議ではない。そういう羨望のようなものを道中感じていた。そして私は今、彼らが夢見るカンパラにいる。


さてここからは本気だ。まずは小さな中華料理店に頼みこんでみようと決めた。大きな店よりもできることが多そうだし、就労ビザがなくても何となく働けそうな気がしたからだ。
都市に入って困るのは自分の所在地だ。いつもは一本道をただ進んでいればいいので迷うことはないが、町は難しい。地図には通りの名前があるが、実際の通りには名前がかかれていない場合が多い。ボーダ・ボーダの兄ちゃんたちに尋ね尋ね何となく自分の位置がつかめてくる。しかしどこに中華料理店があるのかわからない。一生懸命今までのアフリカで中華料理店がどういう場所にあったかを思い出し、それっぽい雰囲気の街中を彷徨うが、見つからず。ボーダ・ボーダの男たちに教わった中華料理店に行ってみると、中華料理店ではなくイタリア風レストラン(名前がチャオだったからねぇ)だったり、結局見つけられずに舞い戻ったり。これはなかなか時間がかかるかもしれないと一服を入れた。
たどり着いたのがインド人が経営するスーパー。ここに来てわざわざレストランにこだわらなくてもいいかな、と思ってオーナーのおじさんと話しながら人手が足りないか探ってみると、残念ながら来月にはインドに帰ってしまうということだった。それでもアイスを食べながらおじさんのビジネスの話や私の旅の話をしてしばし寛いだ。

そして大きい中華料理屋の場所をおじさんは教えてくれた。それがある町の中心へ向かった。春のような穏やかな青空を窓ガラスに映し出した高いビルディングが立ち並び、さすがに都会といった風である。アフリカの交差点は信号よりもラウンドアバウトが多い。ラウンドアバウトとは交差点を中心に道路が円状にしかれており、交差点に進入する車はその円状の道路を時計回り(左側通行の場合)、つまりは左折しながら入り自分の進みたい道路のところまで円を描きながら進み、左折して出ていくシステムのこと、またはその交差点を言う。このラウンドアバウトは車が多いとカオスになっている。そしてカンパラの街に毎日渋滞を引き起こすのだ。そんな渋滞の車の隙間をボーダ・ボーダは車すれすれ、時にはぶつかったりぶつけられたりしながら進んでいく。あたかもパチンコの玉が落ちていくように。

中心部は丘にあるので自転車にはきつい。そして容赦ない車やボーダ・ボーダ。ラウンドアバウトを通るのが怖い。マグロの群れにイワシが一匹飛び込むような気持ちだ。それでもボーダ・ボーダに道を聞くと丁寧に教えてくれて、しまいにゃ自転車で旅しているのに驚いて、道で売ってるバナナを一房買ってくれたり。ボーダ・ボーダはどうしようもないのもいるが意外と気のいい兄ちゃんが多い。一つ目の中華料理屋兼ホテルにたどり着いた。おぉ、デカい。気が怯んだ。レストランに行くと内装も立派なうえ、料理の値段も高い。これは怯んだよ。初めだったし。それでもオーナーと話をしたいと申し出ると、ウガンダンのウェイトレスが案内してくれた。「無理だと思うよ」と漏らしながら。

事務室に通され秘書が対応してくれた。「アポイントメントはある?」「ありません」(しまったー!あまりにラフな生活が長くてアポイントメントの存在を忘れていた!)
「一応聞いてみるけど就労ビザもないんじゃ無理だと思うわよ」と言って中へ消えていった。そしてすぐ戻ってきて「やっぱり駄目ね。お金がないなら日本大使館に行くべきよ」と言われてしまった。確かに君の意見は正論だ。しかし私は無一文なのではない。飛行機で帰れるだけのお金は残してある。正論なんだけど今の私に必要なのは大使館ではない。こういう正論が出てくる秘書のいる秩序ある場所では働くのは無理だ。私が求めているのはもっとカオスなところだ。例えばオーナーが寝坊してレストランが開いているんだかわからないとか。。。粘っても勝ち目はないと踏んだ。なーにまだ一つ目だ。

そしてすぐ近くにあるということでまたしても大きな中華料理屋へ向かった。レストランに入るとすぐにウガンダンのウェイトレスが取り合ってくれた。そして今度は「仕事見つかるといいわね」と微笑みながらオーナーまで案内してくれた。今度はオーナーと話すことができた。しかし最近人員を補充したばかりで足りている。そもそも外国人は人件費が高いのでウガンダンしか雇わないと言って断られた。
大きなレストランは無理だと踏んでいたのでこれは想定内だ。さぁこれからが本番だ。意気揚々とレストランから去る際に先ほど案内してくれた輝くウェイトレスが「この近くに日本食レストランがあるから行ってみるといいわよ」とアドバイスしてくれた。
ガイドブックで日本食レストランがあるのは知っていた。しかし日本人と働くのよりもせっかく外国に来ているから日本人のいない場所で働きたいと考えていた。そっちの方が英語力も伸びそうだし、日本では学べない色んなことが学べそうだ。だから日本食レストランは最後の切り札に取っておこうというのが当初の予定だった。

しかし私は怠け者だ。せっかく近くにあるんだから通りすぎるのは勿体ない、この際順番はどうでもいいということで納得した。日本大使館のすぐ近くと聞いていたが日本大使館がどこにあるのかわからない。日本大使館なんていう多くのウガンダンにはかかわりのない施設のことなどボーダ・ボーダが知る由もない。それでも何とか色んな人に聞き渡り日本食レストランは見つけることはできた。しかし未だに日本大使館の場所がわからない(一週間後くらいにやっとわかった)。もっと日の丸を高く上げてくれりゃすぐにわかるのに。

ゲートを通るとこの奇妙な客に黒いスーツを身に纏った体の大きなベルギー人のマークが近付いてきた。自転車乗りに興味のあるお客かなと思って話したら、臨時で雇われていたマネージャーだった。彼は自転車で突如現れた珍客に興奮している。そして唐突にジブリの千尋のように「ここで働かせてください!」なんて言ってくるもんだからますます興奮して、まぁまぁちょっと寿司でも食いながら、、、と言って結局寿司と照り焼き丼をご馳走になってしまった。そして彼は臨時マネージャーなので判断できないが、きっとオーナーは喜ぶと思うよ、と言って興奮を抑えきれない様子で電話をし始めた。
あぁ久しぶりの和風の料理を食べた。旨かった。そしてオーナーのビジネスパートナーであるフィリピン人のチャールズも加わって、オーナーがやってくるのを待った。オーナーはタンザニア生まれインド系カナダ人という。ん???ちょっと待てよ、日本レストランなのに日本人はいないのか?と思って尋ねると、日本人なしで創業以来やってきているという。聞くとフィリピン人の料理人が二人とフィリピン人のチャールズ、そしてベルギー人のマーク、そしてオーナーのアリフで、他の料理人、ウェイターその他のスタッフはウガンダ人かケニア人だ。それを聞いて驚いた。そして更に言うと誰一人として日本に行ったことはなく、外国にいる日本人から日本のことを聞き教わったという。料理もフィリピンにある日本食レストランで働いていたときに日本人から教わったのだそうだ。そういえば南アフリカの日本食レストランにも日本人はおらず中国人が経営していることが多かった。そうやって日本食が外国の人の手で広められるのはなんだか危なっかしくもあり、頼もしくもあり、そして誇らしくもある。

オーナーのアリフがやってきて、あれよあれよという間に働かせてもらえることになった。パソコンとカメラがあるので広告やメニューのデザインができること、新たなメニューを追加できることを挙げて押したら、意外とすんなり通ってしまった。しかし日本の料理屋で働いていたことが重要だったようだ。とは言ってもアルバイトで数年やっただけなのだが。そしてテストとして日本の日本酒と、韓国産の日本酒を出されて味の違いが分かるかと試された。正直わからなかったら雇ってもらえないのか、とドキドキした。違いはわかるがどちらがどっちと聞かれたらわからなかっただろう。韓国産の日本酒なんて飲んだことないし、日本の酒だって旨いのからそうでないものまでピンからキリまである。まぁ彼の質問の仕方に救われた。

そうして私はカンパラの日本食レストランで二カ月くらい働くことになった。これはもう少し旅をして帰りなさいという思し召しだろう。はい、何なりと従います。
しばらく自転車君は休息だ。

2014年4月9日水曜日

就活前夜



陽が落ちてしまいカンパラまでは行けず、今日は手前のナマゴマという町ので泊まることにした。道路沿いの人間の数の量から首都が近いことが窺い知れる。日は沈んではいるが、眩しい車のライトを始め、店の薄暗い蛍光灯や白熱灯の細々とした光が路上、沿線に行き交う。人の多い場所で暗くなると体が無意識のうちに防衛反応を示し始める。私はメガネを付けても暗くなると目が利かないので、何かあったら対処しきれない。だから暗い中での行動は控えてきた。今日も暗くなっていたので、とにかく泊まる場所を確保しようと、自転車を引きながら、道行く人に片っ端から声を掛けていく。

「宿はないか?」
「あっちにあるよ」
その指示された場所に行くが見当たらない。どこだろうか?別の人に尋ねる。
「この辺にホテルがあると聞いたのですが」
「あの明るい場所に行ってごらん」
明るい場所はただの店だった。そういうことをあと二回くらい繰り返してから、ある人に、
「ここにはホテルはないよ。カンパラまで行っちゃえばいいよ。そこなら必ずある」
と言われた。ここには本当にホテルはないのかもしれない。東アフリカはどんな小さな街でも宿に困ったことはなかったので油断した。都市に近いのだからないわけはないだろう、と考えていたが、逆の発想をすれば、カンパラまで行けばいいので宿を作る必要はない、とも考えられる。

かといってカンパラまではまだ10km以上あるうえ、今回は働き口も見つけなければならず、安くまた働ける場所にアプローチしやすい場所に宿を決める必要があったので、今日は無難にこの町に泊まりたかった。最近ずっと宿泊まりだったが、この際懐かしきテント泊でもしようという気になった。

薄暮の中、かろうじて目に入ったのはガードマンのいる家具工場だった。入り口からは敷地のすばらしくふかふかな芝生が覗いている。あぁ寝転がったら気持ちよさそうだなぁ、、、警備員に怪しいものではないことと、一晩泊まりたいことを伝えると、
「たぶん無理だと思うよ」
と正論を口にしながらも、責任者のところへ聞きに行ってくれた。若い責任者は渋っていたいたが、そこへ中年の地位不明のおじさんが現れ、「自転車なんだからこれから宿を見つけるのは大変だろう、いいじゃないか泊めてやれよ」という有難きアドバイスで泊まれることになった。これだからおじさんは好きさ。何というか、不審者に対する懐の深さを持っている。

しかし水がない。工場の水道もストップしており、困っていると警備員が近くで売っているよ、と教えてくれた。興味深そうに私のテント設営を見乍ら、
「自分で買いに行く?」
と聞いてきた。
「ん?他に方法があるのか?」
と訝しく思っていると、格下と思しき警備員を呼んで買いに走らせてくれた。仕事の邪魔はできないと申し上げる暇すらなく、若い警備員は会に出ていった。そんな親切な警備員に見守られて星空の下、久しぶりの自炊でラーメンを食べた。遠くには町の明かりがポツポツと灯っている。カンパラはすぐそこだ。

やっぱりテントはいいなぁ。テントの何がすごいって、どんな場所であっても一人分のしっくりくる空間を瞬時に作り上げて見せるところだ。私には宿よりもこっちの方が身の丈にあっているんだろうなー。

それにしてもカンパラで仕事見つけられるだろうか?見つけられなかったら、この生活も切り上げなければならない。明日が勝負だ。

2014年4月8日火曜日

みつばちハッチ




 空腹に耐えかねて寄った店:ちょっと高かったが鳥の焼肉が旨かった


色とりどりのプラスティック製品を売る: こうやって商品をまず買取り、それを売るという商売はどこでも見られる。

銃を背中に出勤


まさかマサカMasakaまで来るとは思ってもいなかった。まことに下らないことで申し訳ないが、どうしてもこのダジャレを日本の誰かに言ってみたかったのだ。ウガンダには日本語発音的な地名がいくつかある。首都カンパラにはナカセロNakaseroなんていう熱い名前もある。ちなみにウガンダ人もLとRの発音が苦手なようだ。

なんでだろうか、協力隊で二年間日本を離れた時よりも日本が恋しく感じる。日本人と話す機会が全くないからだろうか。それとも一期一会の出会いに疲れが出てきているからだろうか。よくわからないが、森の香り、鳥のさえずり、虫の音、空の青さに日本を探している自分に気付く。日本の春の香りってどんなだったかなーなんて自転車をこいでいるからコケるんだ。ルワンダで中華料理屋をやっている中国のおじさんに強い親近感が湧いたのもそんな日本恋しさからくるものだろう。

当初の予定では半年でエジプトまで行くつもりでいたが、色々見たり土地土地の空気を味わっていたらエジプトまで着かずに半年過ぎてしまった。半年分の資金しかなかったので既に口座はぺしゃんこだ。かといってナイルの頭をつかまえられないのは悔しい。まだ時間はある。カンパラで何とかしようと考えている。できなきゃアウトだ。負けを認めよう。私は負け犬となって日本へ帰ることになる。

さてルワンダもそうだったがウガンダは養蜂が盛んなようだ。市場などでしばしば色の濃い蜂蜜を見かける。スーパーではなく市場のものは精製が粗いので何となく粉っぽさを感じるが味はコクがあっていい。養蜂場所はどこかに隠れているのであろうが、せっせと蜜・花粉採集をする蜂には今日は二度も鉢合わせてしまった。一回目は走っている時に前から飛んできたのが洋服に不時着し、ことなきを得たが、二度目の時は不時着地点が額であったために蜂の方がびっくりして刺し、でこっぱち。ミツバチは刺すと同時に自分の腹部の一部を針とともに切り離す。私の額に針の忘れもの。つまり人生一回きりの決死攻撃なのだ。まったく彼女に無駄をさせてしまった。おそらく彼女は針を失った腹部の疼きに耐えながら、人知れず息を引き取ることだろう。巣へは戻れずに。
彼女のように間違ったところで針を使わないように、日々考えて生きなければ。まぁ人間の場合は三本くらいは針があるだろうけど。。。

働きもしないでブラブラしている人間が針をいつ使うんだ?という突っ込みを受けそうなので今日はこれくらいにして巣に帰ります。

2014年4月7日月曜日

時代は変わる

今日ラジオでNHKのニュースを聞いていたら、ナイジェリアのGNPがアフリカでトップになったということが放送されていた。今までの計算方法にはサービス業などが含まれていなかったらしく、今回正確に計算しなおしたら南アを抜いていたという。何とも長閑な話ではないか。そんなこともあるのかということが起きるからアフリカは面白いのかもしれない。ナイジェリアは人口がアフリカでも最大の一億三千万を抱える大国だ。一方の南アは人口六千万弱。人口の差があるので一人当たりではまだまだ南アには及ばないだろうが、いずれは抜くであろう。南部アフリカを旅していたときは、各国の人々や売られている製品、会社に南アの存在を大きく感じていた。そして南部のアフリカン達はどことなく南アへの憧れというか羨望のようなものを持っているのを感じた。特に南アとは反対の政策(白人排除)を取って経済の破綻を招いてしまい、西洋諸国から頻繁に南アと比較されては貶められているジンバブエではそれを強く感じた。

しかし東アフリカに入ると南アの存在は影をひそめる。ただし東アフリカでは南アはヨーロッパ並みに発展しているという印象を持っている人が多い。確かに南アは白人の多い都市部は洗練されており発展レベルは東アフリカを大きく上回るが、殆ど白人がいないような地方部に限っては物流の良さを除いては大して変わらないどころか、寧ろ混沌としているように見える。南アは白人の資本や技術力、マネジメント力にかなり寄りかかっている感は拭えない。

さてナイジェリア。この国は西アフリカの中心に位置する国。私は西アフリカは行ったことはないが、未だに不安定な国が多いという印象がある。しかしバンツー諸語系(南部東部アフリカに広く分布)のオリジンであることや異なる植民地時代を経てきたことから、南部東部アフリカと比べてみるという意味で興味深くもある。
南アにいたときもナイジェリアの存在はしばしば感じていた。ナイジェリアン・コメディアンのDVDはコピーされまくって超人気だったし、ゴスペルなんかも入ってきていた。ナイジェリアは言わばアフリカの流行の最先端を行っている感じだ。マラウィやルワンダで売られていた布もナイジェリア製のものが上等品として売られていた。

アフリカにおいて不動の地位にいた南アがナイジェリアに抜かれた(GDPという一つの尺度で見れば)。アジアにおいて日本も中国に抜かれた。世界においてワンマン警官的な様子をしていたアメリカの影響力がどんどん落ちている。そのアメリカもいずれ経済で中国に抜かれるかもしれない。世界は変わる。栄枯盛衰、諸行無常。その流れ中で人は精一杯生きればいい。そして国も。そして流れに逆らうもよし、流れに流れるもよし。いまは小国のブルンジ、ルワンダ、ウガンダ三兄弟もいつか世界のトップに躍り出る日がやってくるのだろうか。

そもそも今後は経済力での評価がどこまで価値を持つのか疑問だ。経済的な豊かさと国民の幸福度はある程度の経済力がある国(いわゆる先進国)以上ではあまり関係しないことがわかっている。それに国力と国力がダイレクトにぶつかり合う時代は終わった。そのため国力の元になる経済力をせっせとあげる必要は以前と比べて減ってきている。更に言うと経済力と国家の発言力(腕力に訴えない場合の国力)には関係がないことは残念ながら日本が証明してしまった。今後は国やその国民に求められるものが今までとは違ってくるだろう。それを嗅ぎだす嗅覚を養うために旅をする。外国の人と会話する。世界を見る。そして、日本へ帰る。