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Africa!

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2013年9月30日月曜日

再会

Hazyviewに地図とメフロキン(マラリア予防薬)を買いに行く。
いつも言っていたモールとは少し離れたところに、インターネットが使える本屋があったのでまずはそこへ行ってみる。
そこはきれいな庭とベンチが置かれていたりして、私が働いていた場所とは雰囲気がまったく異なる。
白人が多くおり、かつてかかった歯医者もある場所だ。
異空間であるそこはどこかよそよそしい。
挨拶をしても白けているというか、返事がなかったりさらりと返されたり。
一見オアシスのように見えるが、私はあまりそこが好きではなかったので、協力隊時代は殆ど行かなかった。
今回インターネットを使いたいために行ってみたが、現在は残念ながら使えなかった。
しかし、その本屋でいい地図を見つけたので買った。
これから行く南部アフリカと東アフリカの道路地図だ。
情報は細かくないが、一つ全体を俯瞰できるものがあると便利だと思い購入。

次によく行っていたにぎやかなモールに行く。
モールを歩いているとかつて教えていた生徒に遭遇!
これだけ人がいるからいて当然か、とも思うが嬉しくなった。
よく一緒に昼ご飯を食べたり、洗濯をしてくれたムプミちゃんとも会い、後で学校に来るという話になった。

モールへ来た目的を忘れちゃいかん。
メフロキンを買いに来たのだ。
薬局に行って聞くと薬剤師と思しきオジサンがすぐに出してくれた。
Mefliam(Mephloquin 250mg)というものでR132(1300円くらい)で買えた。
日本で買ったらMephloquin含有量が同じで9000円だったから、南アで買った方が得だ。
もちろん高い方は日本の製薬会社が作ったもので、南アで買ったものとは添加物が異なり、副作用を抑えてくれたりなどあるのかもしれないが。。。

用事を済まして帰ろうとミニバス乗り場に行くが、案の定まだ学校行きのミニバスは復活していなかった。
(隊員時代に利用していたミニバスが忽然と乗り場から消え、別の場所から出発するようになっていた。組合ともめて追い出されたのだろう)
ちょっと離れた乗り場まで行く。
その間、雑多な市場を通り抜けていくのだが、その一角から私に挨拶をする声が聞こえた。
何度か座り込んで話し込んだLindyおばさんだ。
彼女はその市場で野菜やナッツを売り生計を立てている。
三人の子どものうち二人はもう独り立ちし、仕事を持っている。
ここの多くの女性がそうであるように彼女も夫がいない。
シングルマザーだ。

その彼女はこの商売でコツコツと三人の子どもを育てたことを誇りに思っている。
彼女が別れ際に言った「私の子供たちを置いて行ってしまうの?」という言葉が印象的であった。
彼女の言う「私の子供たち」というのは実際の彼女の子どものことを言っているのではない。
南アフリカの子供たちのことを指している。 
自分の子供ですら親に預けて自分は新しい男と戯れる(女性が子供を多く残そうとしたら最善の方法かもしれない)という女性を働いていた場所で数多く見てきたので、
自分の子どもだけでなく、南アフリカの子供に思いを寄せる彼女の言葉がとても印象的だったのだ。

私が彼女の話を日本の人にネットで書きたいんだけど、いいかな?と聞いたときに、
「どうして名前も知らない私なんかのことを書きたいの」と聞いてきたので、
「いやぁ、名前は知っているよ、かつて教えてくれたでしょ?Lindyでしょ?」と言うと大きな体を揺らして喜んでくれた。
今は足を怪我してうまく歩けないようだが、かつては彼女のこんもりした山のような背中にひょいっと乗っけられ、三人の子どもが育てられた。
私がいろんな意味を込めてGreat South African Mamaだね!というと、また誇らしげに笑っていた。

学校に戻って次は、私が少しかかわりのあったコミュニティーのリーダー格の女性Ireneさんに会いに行った。
しかし外出中でいなかった。彼女はいろいろやっていて忙しい。
会う約束をしても時間通りに会えた例がない。
今回は電話番号をなくしてしまっていたので、アポすら取れずに会おうとしていた。
それを会えると思ったのが無理な話だ。
しかしもう一人の聡明な女性Virginiaさんとは会うことができた。

彼女曰く、Ireneさんはコミュニティの議員になったようで毎日忙しいのだという。
以前から公平な選挙が行われないと嘆いていた状況が少し変わったようだ。
念願の議席を勝ち取ったのだ。
そしてVirginiaさんは看護師になるために再び学校に行くという。
今年32歳になる息子が学費を払って入れてくれるのだと嬉しそうだった。
「え!?Virginiaさんいくつ?」と聞くと、45歳だという。
「だよね、ってことはいくつの時の子!?」
「そう、14歳の時なのよ。早いでしょう?ふふ」
「そっかぁ、その二倍も生きている俺はまだ子供なしだよwというかWifeもいないよ!」
もう家にいるのが退屈で退屈でしょうがなのだという。
そういえばフェンス越しに住んでいた女性Innocentさんも、子どもが学校に行きはじめたら私も学校に行く。と言っていたのを思い出した。
既成概念にとらわれず、いつでも学びのチャンスがあるのは南アフリカのいいところかもしれない。

そしていつもちょっと酔っぱらっているDumisaniおじさんは、商売もうまくいっているらしく、相変わらず店は若い男の子に任せて、少し酒のにおいを漂わせていた。
今日はいつもよりも酔いが強いらしく、言っていることをあまり解せない。
それでも再会できたことをお互い喜び「達者でね」と言って別れた。

学校に戻るとムプミちゃんが来てくれ、再会を喜ぶも束の間、パセリが入ってきて浮気の話や一夫多妻制の話で盛り上がる。
一夫多妻は許せても一妻多夫は許せないパセリに「それは男のジェラシーではないのか?」と言ったら、はじめはそれは違うと否定されたが、女であるムプミも加わり、パセリは落ちた。



2013年9月28日土曜日

SEXPO

に行ってきた。
健康と性とライフスタイルを考えるエキスポ。
ストリップショーやポールダンス、性について考えるワークショップ、そしてたくさんの大人のおもちゃや避妊具、啓発ビデオのショップ。

協力隊で南アフリカに行く際に、誰かにその存在を知らされ、すっかり忘れていた。
VISA申請で大使館を行き来していた際に道路に大きくSEXPOの看板が。
街頭にもSEXPO,SEXPO,SEXPO。
そのネーミングセンスは最高なのはわかった。
しかし、どうやって行こうか。時間もあるかなぁ。
と思っていた矢先、プレトリアに在住の方が明日行くという話を聞き、
私もすかさず手を挙げ、即座にインターネットでチケットを購入。
まさかこんなについているとは。

二年間南アフリカの田舎で生活していた私にとっては、このように性が公に語られるのはとても新鮮に思えた。
私が働いていた場所では、公での性的な発言は慎まなければならないし、同性愛やSMなどのマイノリティは嫌厭される傾向があった。
日本よりもそれは顕著だった。
しかし、経済の中心ヨハネスブルグは違った。

会場の駐車場を見てびっくり。
とーってもたくさんのH-Communication好きが集まっていた。
正確な数はわからないが、会場には1万人くらいいたのではないか。

圧倒的にそういうことに先進的な白人が多かったが、黒人の姿も結構見られた。
意外だったのはカップルで訪れている人が殆どだったこと。
日本だとまだまだ女性がそういうところへは行きたがらないが(最近はずいぶん変わってきているようだが、性産業は「男のため」という風潮が日本では根強い。)、
南アフリカはむしろ女性が率先しているようなところもあった。

マジマジとSMショップの店員から説明を受ける夫人。
そして旦那を実際に縛ってみたり。
大人のおもちゃを手にする女性たち。
サービスマンに体にクリームを塗られ、それを舐められながら喜ぶオバサマ。
そしてお姫様抱っこされながらはしゃぐ女性はとても楽しそうだった。

男のストリップも見てみた。
筋肉ムキムキの男たちがダンスをしながら脱いでいくのだが、
それはそれで見ていて清々しさを覚えたほど。イチモツは隠していたが。。。

個人的には自分のちんちんで絵を描くオジサンのイキっぷりがよかった。
写真がないのが残念だが、サイトがあったので。
http://www.pricasso.com/
なんというか、、、筆がないならちん〇があるではないか!という発想が素晴らしい。
普通の生活をしていたらそんな発想は出てこないだろう。
不如意棒を如意棒として扱えるまでにはどれほどの苦労があっただろうか。
また書いているときの姿がとても純粋で子供にすら見えてくるから面白い。
特に絵具を着けるときのしぐさなんて、子供がミニカーで遊んでいるようなものだ。
まったくいやらしさがないのが不思議。
普通だったら変態として通報されるが、彼はそれを芸術の域まで高めてしまった。


行ってみて少し感じたのは、健康やライフスタイルにもテーマを置いているエキスポにしては、
風俗店のようなショーや、アダルトグッズショップが多すぎたのではないかと感じた。
まぁでも、こんな風に性について皆が明るく話すことができたら、今問題になっていることのいくつかは解決するかもしれない。
まったく規制がなくなるのもどうかと思うけど。
規制があることでより文化が花開くという例が日本にはたくさんあるからね!


最後に2010年のものだが、メディアに取り上げられた時のものがあったので。
http://www.youtube.com/watch?v=eA2OiVaEcfo

マラソン

朝6:10、喧騒の中、カランカラン、ベルらしいベルの音が鳴る。
3千人はいたと思う。いやもっとか。
運よくプレトリアでの滞在と、マラソン大会が重なったので参加してみた。
今回は練習してないので10kmのコースで。

南アフリカで現在活動中の協力隊員が参加するということで一緒に参加させてもらったのだ。
彼とはかつてコムレードマラソンも走ったマラソン仲間でもある。

小学生のころは得体のしれない緩い義務みたいだったからマラソンを結構走っていたが、
中学校に入ったころからマラソンというものと縁が切れた。

それが南アフリカに来て、隊員仲間に誘われるまま、色々な大会に参加することになった。
南アフリカの食べ物が脂っこいので、健康のためにも走っていたということもある。
まだまだひよっこランナーだが、自分の目標をもって日々トレーニングをする楽しみというものを少し知ることができた。

気持ちの良い早朝のプレトリアで、花の香りを楽しみながら走れる喜び。
最高だった。


親父が便利なものがあると渡してくれたGPSロガー。
どんなものかと使ってみたらこの通り。
走った跡がこんなにもきれいに。
かなり使える。



2013年9月26日木曜日

到着

別の大口荷物用の窓口から自転車アンドリュー(どういう経緯でつけた名前か忘れた)が無事に出てきた。

空港でMTNの一番安い電話を買う。
R170(1700円くらい)。

携帯にプリペイドのポイントをチャージしていると、空港に配属されている軍人さんが、話しかけてきて「ジュース代をくれ」という。
おっ、いきなり南アだ!と思って、しばらくいろいろ話を聞いている。
ただで上げるのも嫌なので「国道をプレトリアまで自転車で走って大丈夫か?」と聞いてみる。
なんだかわからないんだろうな、という様子満々で「大丈夫さ」とか言ってくれる。
信用ならん。そもそも金をせびってくる軍人に信用などない。

「また戻ってくるからジュース代をくれよ」と言ってきた。
なんだろう、久しぶりの南アのせいか、あの「裏切られる感じ」を味わってみたかったのだろうか、彼の言葉に賭けてみたくなった。
あの何とも言えない感じを久々に味わってみたかったのだ。

そしてしばらくいろいろ準備をしていたが、軍人はもちろん帰ってこず。
あぁ!これだよ、これが南アだ!再び三か月前の記憶が蘇ってきた。
さぁ、これから始まる南ア、気合を入れるか!


さて本格的に自転車で走れるか聞いてみることに。
タクシー乗り場に行くとワラワラと人がまとわりつく。
自転車で国道を走れるか聞いてみると、
「この国道はフリーウェイだから車以外は走っちゃだめだ、捕まるよ」というではないか。
でもタクシーに乗せようという魂胆かもしれない。
少ししつこく、本当?本当?と聞いてみると、あきれた素振りを見せるので本当なのだな、と悟った。
まぁ確かに日本の高速も自転車は入れないからなぁ。

仕方なくタクシーを使うことに。
次は値段の交渉だ。
もちろん観光客と思って高めに吹っかけてくる。
以前使ったときの値段まで下げようと思って、こっちも別のを使うからいい、というと、あっさり値段を下げてくれた。R380
たぶんもっと下げられたな、と思いながら自分の甘さを思う。

車のところに行こうとすると、なんかよくわからないのがぞろぞろ荷物を持ち始め着いてくる。
「あ~来なくていいから!」と言っても聞かない。
「運んでもお金払わないから」と言っても聞かない。
案の定車に着くとお金を要求してきた。
「払わないといっただろう」というと。
「ジュースだけ」と人のきわどいところを突いてくる。
いや、ここで負けてはだめだ。と思い、サヨナラを言う。

さぁいよいよ始まるアフリカ。楽しみだ。

2013年9月25日水曜日

困った!in 空港

父と母が成田まで見送りに来てくれた。
しばらく見られなくなる日本の風景を目に焼き付けようと、曇天の下の田んぼを見ていた。

空港に着いてチェックインの時、困ったことが起こった。
今回は荷物が多く、はじめシンガポール空港でとった予約をキャンセルした経緯がある。
シンガポール航空は20kgの荷物一つだけしか預け荷物として許されていない。
それ以外は超過料金が取られる。
一方の南アフリカ航空(SAA)は前に書いた通り、
23kg×2 + スポーツ用品は無料なのだ。
飛行機の超過料金は極めて高いので、ここでへまをすると旅費が圧迫される。
だから事前に電話で確認を入れていた。

しかし、当日チェックインカウンターで係り員女性の美しさと手際の良さに見とれていると、
「15000円超過料金が課せられます」という信じがたいことを言うではないか。
よくそのわけを聞くと、全旅程は全日空(ANA)とSAAのコードシェアで、成田から香港まではANAの飛行機で、香港からJohannesburgまでがSAAの飛行機で運行されるのだという。
だから預け荷物の規定は出発地点の会社(ANA)規定にのっとるのだそうだ。

はじめのカウンターの女性からすでに6人の人の手に回され、
それでもこの場合の超過料金がいくらなのかはっきり定まらなかった。
なんだか自分がいけないことをお願いしている気がしてきた。
ようやく8人目くらいの手に回されたときに、
「もう一度計算しなおしたら3万円です。申し訳ありません」
とのことだった。

3万円はさすがに無理だと思って、その理由を詳しく説明してもらうと、
この場合は成田から香港の分だけでなく、香港からヨハネスブルグの分も加算されるとのことだった。
電話でSAAに確認を入れていたので、香港からヨハネスまでの区間もとられるのはおかしい、
と主張すると、SAAに確認をしてくれた。
すると、事前に連絡がSAAに入っていたことの確認が取れ、今回はすべての航路においてSAAの規定に則るということにしてくれた。
つまりは3万円と言われていたのが追加料金なしとなったのだ。
これはかなり大きい。
あの時、15000円から3万円に上げられていなかったら、15000円を払っていただろう。
あの時、もし私がもっと聞き分けの良い人間だったら、3万円を払っていただろう。
3万円あったら場所によっては一か月旅行を伸ばせるかもしれない。

この出来事から思ったのは、国際空港で働くのは大変だなぁということ。
さまざまな国事情を背負った航空会社と関係を持つ国際線を持つ会社は、これ!といった規定を作るのは難しいのかもしれない。
たとえば今回のコードシェアのような二つの会社が分担で航路を受け持つとき、荷物のことをどうするか?
また、今回の私の例のような「稀な存在」を相手にする場合はどうするか?
といった細かな規定をきっちり決めることは難しい。
ましてや、規定が各航空会社によって違い、それも変更が度々加えられる、預け荷物の規定は難しい。

事前に預け荷物の規定についていろいろ調べたのだが、上述のような場合はこれと言って定まったものはなかった。
魑魅魍魎が集まる空港でかっちりした規定を作るより、それぞれの乗客が嫌な思いをしないよう、
またそれによって他の乗客に迷惑がかからないような対応が求められるのかなぁと思った出来事でしたとさ。

出発

日本での最後の日は曇りで肌寒い日だった。
蒸し暑かった夏が終わり、空気全体が秋めいていた。

準備は終わっているはずなのだが、なんとなくまだ何かあるんじゃないかという気がしてならない。
ウサギとカメに別れを告げる。カメは万年だからあと9975年くらい生きるが、ウサギの方はそんなに長くないだろう。
ゆっくりと頭を撫でる。いつものようにどこかくすぐったそうな、気まずそうな顔でじっとしている。

祖母にもしばしの別れを告げる。出発前に一番心配していたのは祖母なのだ。
早く出発して、その心配の種を消してあげないといけない。

時には威し、また時には遠まわしにやめさせようと諭すこともあったが、最も私のやることをよく理解し、さまざまなサポートをしてくれたのは父と母である。
仕事もしないで遊び歩いている愚息を持ってしまった彼らに、真に深く同情する。
そうでもしないと、私は罪悪感で発狂してしまうかもしれない。

日本の秋を惜しむべく、鈍く光る紫の巨峰を口に入れて出発。
この味を来年味わうと巨峰に誓って成田へ。

2013年9月16日月曜日

祖母

私の祖母は今年89歳になった。
一緒に暮らしていたことがなかったので、今回実家で初めて一緒に暮らすことになった。
今まであまり関わりのなかった世代なのでとても新鮮な毎日だ。
一緒に暮らす中で感じたのは、私の世代や親の世代よりもずっと「もったいない」や「人様に迷惑」という観念が強いということだ。
南アフリカにいて常々感じていたのは、日本人ってすごく他人への迷惑を考える国民だなぁ、とか、物を大事にする国民だなぁってのは感じていた。
そして祖母との暮らしから昔の人はもっとそういう気持ちが強かったのじゃないかと思う。
豊かになって、グローバル化が進み、そういった日本が本来持っていた性質も幾分薄まってきているのかもしれない。
「人様に迷惑がかかる」は、様々な価値観を持ち、背景の異なる人々が一緒に暮らす中ではとても重要な感覚だと思う。むしろグローバル化していく中で大事になっていくことではないか。
「もったいない」という感覚は「MOTTAINAI」として世界にも認識されているように、今後資源量が限られる地球環境の中で一人一人の意識された「もったいない」がとても大きな意味を持ってくるだろう。
日本は世界に発信できるいいものをたくさん持っているなぁ、でも薄まってきてるなーと思う出来事だった。

さらに、もう少し言いたい。
日本が持つ価値観で「清貧」というのがある。
清いために貧しい。清く貧しく。
清くあるためには貧しいことにも引け目を感じない。これは貨幣至上主義からの脱却の大事な要素になると思う。
見方によっては私のようなお金にあまり恵まれない人間の戯言のようにも思われるかもしれないけれども。でもそうではない。日本にはお金があろうと、なかろうとそういう感覚を持っている人はたくさんいる。

南アフリカにいたときに感じたのは貧しいことが恥ずかしいことで、幸福になるのがあたかもお金持ちになることとイコールであるかのような錯覚。
お金を得るためには何でもした人の話がいろんなところで囁かれていた。
いろんな人に将来の夢を聞いたときに9割以上が「お金持ち」と答えたことからもそれは垣間見える。
もちろん日々物質的に満たされない暮らしを強いられている人々にとっては、お金持ちというのは夢として語られてしかるべきことである。

誤解のないように付け加えるが、勿論南アフリカにも清いがために貧しい人はたくさんいる。
しかし社会に金至上主義の空気があるため、貧しいだけで蔑まれる面があるように感じた。

日本にも物質的に決して豊かではない時代があったにもかかわらず、そのような価値観が生まれ根付いていたというのはとても興味深い。
この背景には武士(または武士道)がとても大きい役割を果たしたように思うが、農民や商人はどうだったのだろうか。
歴史に記載されない歴史が面白そうだ。
そうやって長い歴史の中で根付いてきたものを捨てるのか、大事に守るのか、それは今を生きる人たちしか決められない。

2013年9月13日金曜日

団地

団地って心地よい。
自転車でのトレーニング中にとても大きな団地を見かけ、中を通ってみたのである。

団地と言ってまず何を思い浮かべるか?
「団地妻」がたぶん一番ではなかろうか?
私のグーグル君は以前に調べたものを記憶している賢い奴で丁寧にWikipediaの「団地妻」を候補に挙げてくれた。

ということは私は以前、団地妻という言葉をwikiで検索したことになるが、その意図は聞かないでもらいたい。

おそらく昼ドラや日活のおかげでこの言葉が皆様(?)の脳に焼き付いていったのだと思う。

まぁ、それはどうでもいい。
私が団地って心地よい、というのは決して団地妻が関係しているわけではない。

おそらく自分自身の幼少期を団地で過ごしたことに起因しているのだと思う。
今回その中を通りながら感じたのは、
・布団を叩く音や、買い物袋を持ったひとなど沢山の人の生活感を感じる。
・あんなに建物が集まっているのに明るいイメージがある。
・小さな店や郵便局が近くにあり、小さいながらも広がりを感じる。
・近くに幼稚園や小学校があり、子供の明るい声が聞こえる。
・私のような健全な青年が通るだけで怪しい人物に間違われるのではないか、という不安を持つほど治安が良い。

などなど。

もしや団地は日本らしいとても優れたシステムなのではないかと思う。
勿論その平和に見える水面下で昼ドラの事件や、日活ロマンポルノが起きているのかもしれないが、私にはとても平和で桃源郷のごとく見えたのは事実だ。


今でも子供のころの記憶の音が聞こえてくる。

昼寝時 布団叩きの オーケストラ




2013年9月11日水曜日

トルコの事件

先日トルコで日本の大学生二人が殺傷される事件が起きた。
私の旅程にもトルコが含まれているし、この二人のように大学時代に旅し、
世界を舞台に挑戦していこうという友人が身近にいるので、とてもこの事件を身近に感じた。

今回の事件の一連のニュースを見ていて感じたのは、
「親日的なトルコで!?」的なやたらとナショナリズムを絡めた報道がいやらしい、ということ。

どんな国だって人を殺める人がいれば、人を救ってくれる人がいる。
その事実をたった「親日的」という言葉だけで見るものに忘れさせようとするテレビ局の姿勢に嫌気がさす。

カテゴライズして述べようとする姿勢はしばしば極めて有効だが、同時に危うさを含む。
特に国や国民を性質によってカテゴライズする事は、政治の上ではとても重要だ。
旅するときにはそれは自分の目を曇らせ、見えるものも見えなくなる。

私自身、南アフリカで生活する中で、
「もー南ア人は○○○なんだから、困ったもんだ」(○○○には大体ネガティブな言葉が入る)
と言ってある種の諦観をもって接することがあった。
それは「彼らを理解しようとしてもなかなかできない」または「物事がうまくいかない」事に対する自分の力の無さを隠そうとする、
体のいい理由になっていたんじゃないかと思う。
そうして自分は楽をしようとしてきた。

それでは何も解決しないし、いい関係を築いていけない。
今回の旅では先入観を捨て、ラベルを付けないでやっていくことを目標にしようと思う。

2013年9月6日金曜日

保険

旅の保険にセールスレディはいない。
自分で探すしかない。

しかしちょっと長期旅行の人のブログを見れば、いいものが見つかる。
世界一周旅行をしている人が使う損保ジャパンの代理店である金子秀人損害生命保険事務所に依頼する。
とても対応が早い。
メールをすると即対応。
期間が長い上に、比較的リスキーな旅行をする人にはもってこいの保険が要されている。
条件が条件なので一年間で15万円と貧乏旅行者には高いが、何かあった時のことを考えれば安い。

一応、何かあった時のことを考えて、加入することにした。
有事の時に実際に迷惑がかかるであろう、オヤジさまに
「死亡したときは保険金でないオプションにするけどいいか?」と聞くと、
「いやぁ、せっかく産んで育てたんだから何かしらもらいたいもんだが」と言われたので、
それもそうか、親の気持ちとしては当然かと思い、
「わかった、じゃぁ死亡保険も付けとくよ」というと、
「で、いくら出るんだ?もしかして家が建つか?」と聞くので、
「500万だ」というと、
「なんだそれじゃ家は建たないじゃないか、床の張替えがいいところだ」と言われてしまった。

この身一つで床の張替えしかできないとは悲しいではないか。
絶対に生きて帰ってやると思う出来事だった。


2013年9月3日火曜日

ネパールから

旅の資金を補填すべく、空いた時間でアルバイトを始めた。
物流センターに流れてくるおでんの仕分けである。
初めてこのような仕事をしたのだが、日本のコンビニエンスストアのシステムには驚かされる。なんと無駄のない手際よさなのだろう!
そしてそのシステムの末端で働く一人一人の勤勉さ。素晴らしい。
日本のシステムには人を勤勉たらしめる土台があるように思う。
これが日本の底力なのだと確信できる。
今回勤めたところには東南アジア系やアフリカ系、さらにはネパールからも来ていた。彼らもテキパキと仕事をし、日本人以上の働きぶりであった。話したネパールの人は日本の大学でビジネスを学んでいた。
派遣の私は常勤の彼よりも立場では下で、てきぱき働く彼の元、私も一生懸命仕事ができた。
ちなみに彼には「あなた日本人ですか?」と聞かれた。
他にもアルバイトの日本人がいたが聞かれたのは私だけ。
少しだけ、少しだけ、他のアルバイトの人よりも日本人っぽくなかったのだろう。
それにしてもネパール人の顔は日本人とすごく近い。
彼と並んで街頭で「日本人どっち?」と質問したら、正直勝てない気がする。
しかも大学で日本語も学んでおり、ちょっとした会話はできる。
日本語を話せる外国の人と日本語で話すときに、なぜか敬語になってしまうのはどうしてだろう。不思議。
しかもなんか変な敬語。語調が強めの敬語。あ、だからちょっと変なのか。日本語で敬語を話すときはどちらかというと声量は抑えるもんなぁ。